第二幕:怨念の暗闇④
天晴はしばらく構えを崩さずいたが、動かないと見ると刀を鞘に収めて絶に視線を送る。
絶の顔色は未だ蒼白だった。そして、その視線は天晴を見ていない。
「距離はしっかりと見極めていたはずでしたが……なるほど。これが空蝉を討つほどの腕。確かにお強い」
玄斎は両断された体のまま起き上がっていた。
「んむぅ」
天晴は驚愕を含む独特の唸り声をあげ、焦りを押し隠すように片方の口元を上げて笑む。
玄斎の割れた体の断面から触手のような物が無数に生え、離れた肉体を繋ぎ合わせて修復していく。左目に刺さった小柄も押し戻されるように吐き出され、同様の現象によって治った。
「なるほど、確かに烏夜衆とは化け物が揃っているようだ。蟲憑きとはな」
繋線虫(けいせんちゅう)と呼ばれ、生物に寄生するタイプの蟲だ。単体で生きることができないため、宿主が受ける外傷を高速で治癒する力を持っている。体に繋線虫を多く飼っている程、治癒能力が高まる。しかし、蟲は宿主の生命力を吸って生きており、多すぎると逆に自滅する恐れもある。
先ほどの玄斎の様子を見る限り、かなりの数の蟲を体内に住まわせている。おそらく刀で致命傷を与えることは難しい。
だが、手がないわけではない。
「火じゃ! む、蟲は火に弱い。囲炉裏の火を使え」
声を震わせながら絶が叫ぶ。
正しい。繋線虫が治癒できるのはあくまでも断面が露になる外傷。火傷や凍傷などには効果がない。
「おっと、そうはいきませぬな!」
天晴が囲炉裏の火を取ろうと身を翻すが、玄斎が口の中で何かを呟くと同時に火が消える。あれほど煌々と照らしていた光源を失い、屋内は墨を流し込まれたような暗闇に飲み込まれた。
「絶! 外に出ていろ!」
闇の中で天晴が鋭く叫ぶ。
見ることはできないが、絶の気配は感じられる。しかし、このまま狭い屋内にとどめておきたくない。場合によっては守り切れなくなり、敗因へと繋がる。多少リスクを冒してでも今は玄斎と一対一に持ち込みたい。
絶もそれを分かってか、すぐに踵を返して月光の差し込む戸へと向かう。
「みすみす逃がすわけもない」
暗闇から玄斎が呟くと、絶の前で戸が勢いよく閉まる。閂(かんぬき)でもかけられたように、ビクとも動かないようだった。
舌打ちをしつつ天晴は声のした方へと踏んで込み斬り上げる。しかしその刃は空を切る。
「この暗闇では、手前に分があるようですな」
嘲笑を含んだ声色が反響するように聞こえてくる。場所が特定できない。
「やはり、見えんと埒があかんな」
天晴は周囲の気配を集中しながら唇を一舐めすると、無明の鞘を掴む。一部分をスライドさせて外し、鞘に強く叩きつけた。すると、剥き出しになった鞘の内側が光を放ち始める。
鞘の内部の一部に仕込まれた『輝光石(きこうせき)』によるものだ。それは強い衝撃が加わると輝く特性を持ち、火を嫌う探鉱作業などで重宝される。
松明ほどの光量はないが、夜道を歩く程度には明るくなる。
ぼんやりと浮かび上がる中に玄斎の姿。すぐそばまで迫っていた。
斬り上げた刃が驚嘆する玄斎の腹を裂くが、内臓をぶちまける前に触手が治癒する。
やはり刀で倒すことは難しい。
見えていないはずの目を見開き、玄斎はひらりと身をかわすと大きく距離を取る。
「『怨(おん)』!」
口を大きく開き長い舌を出して玄斎が叫んだ。その途端、周囲の空気が一気に重たく、そして暗闇が一層黒くなった。沸き起こる寒気に嫌悪感。五感は狂い、視界が回転し始める。
まともに受けていない絶でさえ、堪らず壁に寄りかかり、吐き戻してしまう。
『いかに当主様でも亜人との間に子をなすとは……』『穢れた血の子だ』『半分、亜人の分際で何様のつもりだ』『人間の血が混ざっていると思うだけで恐ろしい』『こんな半端者に何ができる』
声が脳内で反響する。涙が大量に溢れ、頭の中では負の感情が止めどなく溢れて圧し潰されそうになる。自分がおかしくなりそうな感覚の恐怖から、歯の音が合わずに音を鳴らしていた。
それは呪いを受けた一般的な反応だ。しかし、そんな掠れる思考、視界の先にいる天晴は違った。平然と玄斎を睨みつける。
「戯言ばかりほざく奴だと思っていたが、なるほど。呪言師か」
「なんと! 我が呪言を受けて怯まぬか。なんと膨大な胆力。なんと強靭な精神よ」
玄斎は感嘆の声を上げる。
目に見えない呪詛や呪言などの類には、己の胆力で抵抗できる。が、それには並外れた精神力も必要になる。それをまるで何事もないかのように平然とやってのける人間を玄斎は会ったことがない。
対峙して睨みあう二人を横目に、絶は壁沿いに進んでいた。土間の戸は閉ざされて出ることができないなら、逆に屋内へと進み、裏戸まで移動しようと考えてのことだった。
呪言の影響による吐き気を堪えながら、ゆっくりと足音を忍ばせて歩く。妖狐の血による五感の鋭さと天晴の鞘からの明かりのおかげで、難なく進むことができた。
できることなら天晴に加勢したい。絶の焔火『火産霊(かぐつち)』なら、玄斎に有効な一撃となるだろう。しかし、それを使えば絶が動けなくなる。そうなれば、逆に天晴の足手まといになってしまう。
これ以上、迷惑はかけられない。これ以上、頼りきることはできない。これ以上、役立たずは嫌だ。足手まといになり、幻滅させたくない。
もっと自分に力があれば……。絶は自身の無力さに唇を噛む。
そんな時、手を付いた壁の感触が違い、驚いて手を引っ込める。目を凝らすと、襖があった。これで廊下へと出られるかもしれない。期待を込めて取っ手に手をかけて開くと……。
目前に、大小さまざまな塊が降ってきた。
思わず口を抑えて声が出るのを堪えるが、その塊の正体に気付いて悲鳴が漏れる。
「こ、これは……」
「おやおや、見つかってしまいましたな」
物音と悲鳴に、玄斎は事も無げに話す。
「時間がなかった物ですから、手近な場所に押し込めておいたのです」
「おぬし、この者達はここの住人ではないのか!」
怒りが恐怖を超えていく。視線の先には、枯れ木のように干からび朽ちた死体が転がっていた。一様に老人のように骨と皮だけになっているが、その中には明らかに小さいものまである。
「この者達を殺したのか?」
玄斎への恐怖心が怒りへと変わり、絶は毛を逆立てて怒鳴る。
「関係のない者達を巻き込むなど言語道断であろうが」
一方の玄斎は、絶の怒気になど意に介する様子もなく、逆に反応を面白がるように笑みを深める。
「関係のない者達ではありませんよ。あなた様は殺生石を持って逃げており、そしてここを訪ねている。それだけで理由は十分なのです」
「無辜の者達を殺すなどあってはならぬ蛮行ぞ」
「手前どもに反発するのであれば、もっと無辜の命が失われますぞ」
「外道が」
ケタケタ笑う玄斎に、絶は音が鳴る程に食いしばる。
「おぬしらのような者たちがおるから……烏夜衆がおるからこの藩は……」
頭の頭巾はずり落ちて髪の毛が一層逆立ち、握りしめた拳から血が滴る。纏う気配が変質し、周囲で火花が散り始めた。
「なんだ?」
明らかな異様な光景に、玄斎だけでなく様子を見ていた天晴も身構える。
「絶。落ち着け……」
憎い……
『火産霊(かぐつち)』
天晴が言い終わるよりも前に、絶を中心に炎が巻き上がり、一瞬にして屋内に広がった。炎は壁や柱、床を舐めるように移動し、気付いた時には四方を炎に囲まれ、どちらを向いても熱気で肺が焼けてしまいそうになる。
駆け寄る天晴は、糸が切れたように崩れ落ちる絶を抱える。力を使い果たしたのだろう。空蝉の時に見せたものよりも威力が高い。つまり、それだけ妖力も奪われるはずだ。
「ひ、火? これほどまでに? 何という焔火なのか」
突然、現れた火の海に玄斎は狼狽えた。当然だ。彼を守る蟲の弱点でもあるのだから。
天晴達もすぐに避難する必要がある。しかし、これは僥倖。
「絶よ。少しの間、待っていろ。お前の怒りを、奴に分からせてくる」
天晴は自身の外套を脱ぐと絶を包み、そっと床に寝かせる。彼の外套には防寒や防水だけでなく、戦いに備えた防刃や防火の効果も兼ね備える。見た目は地味だが、機能性に富んだ品だ。
ゆっくりと立ち上がる天晴は、鞘に収まる無明を握りしめて玄斎に対峙する。
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