#1 配信のはじまりは唐突に【さすがに急すぎるんだけど!?】

「……足りない」


部屋の端に積まれたゲームは、確実に高さを減らしていく。

貯金箱は既に叩き割られて破片に、数日前にはまだ何枚か残っていたお札すらも使い果たして。

財布の中身も小銭がいくつか、机の上に並べた全財産はあまりにも心もとない。


その光景をまざまざと見せつけられて少女——逢澤あいざわ 綾芽あやめは、この日幾度目かのため息を吐いた。


「……でも、欲しいものは欲しい……よね?」


全財産の隣に並べた新作ゲームのリーフレット。

お金が無い時に隣に並べるのは良くないようには思われたものの、物欲というのは一度暴れ出したら満足させてやるまでケリがつかないもの。

特に綾芽に限って言ってしまえば、それは顕著なものだった。


机の端に置かれたヘルメット状のヘッドギア——『ウィアートル』。

最初の頃はメッキによってそれなりの高級感を演出していたそれも、クリスマスプレゼントとして彼女に与えられてからもうすぐで十年。

メッキは剥げて鈍色に。最近では充電端子を刺しても反応しないことすらある始末。

けれど、裏を返せばそれだけずっと使われてきたのだ。


『ウィアートル』が作り出すVR世界——その中でもVRMMOというジャンル。

それは、帰宅の遅い両親に加え自身の引っ込み思案ともとれる性格によって友人の出来づらかった綾芽にとってすれば、最大の娯楽だった。


満足に親が外へと連れて行ってくれない中、VR世界でどれだけの景色を見てきたことか。

クラスメイトにすら満足に声をかけられない中、VR世界でどれだけの人々プレイヤーと交流してきたことか。


起きている時間の大半どころか、寝る時すらも一緒。

VR世界は娯楽から、やがては彼女にとってのもう一つの世界になっていた。


しかし、いざそうなってみれば浮き上がる問題が一つ。


「……あと積んでるのって何本だったっけ?」


それは、起きている時間の大半をあてがっているが故に一本のゲームを消費してしまう速度の速さだった。


与えられているお小遣いも特段多いものではない。高校生が受け取っている平均的な額だ。

だからこその純粋な金欠と、プレイできるタイトルの限られた本数。

まさしく綾芽にとっては死活問題とも言えるものだった。


「……でも、売れないしなあ……」


しかし、部屋の奥——クローゼットに目を向けて、その中に眠る百本超のゲームタイトルを思い起こしてみても到底それらを売却して工面する気にもなれない。

どれも買ってきてから100時間以上は遊んだものばかりだ。一度は触れた身として売るのはマナー違反。傍目からみれば面倒臭い信条ではあったが、それだけは絶対に破ってはいけないものとして胸に刻み込んでいる。


仕方なく積みゲーを物色しつつ、綾芽は来月までにあとどれくらい保たせられるかを考える。

とはいえ、まだ月初め。お小遣いはもらったばかり。残ったタイトルは4本ほど。


「……どう考えても保たない、よね?」


やがては来ると覚悟していた限界が訪れたことに戦慄しながらも、ため息を幾度か。

残されたパッケージを一つ一つ積みながら、何度も何度も残されたタイトルを数えていた時だった。



「アヤメ、いるんでしょ? 開けてもらってもいい!?」



インターホンすらも通さず、ドア越しに聞こえるくらい大きな声ではやって来た。


「“ルカねえ“……? どうしたの? そんなに慌てて……」


「ルカねえ」と。親しみ半分、呆れ半分で綾芽が呼ぶ相手—— 本条ほんじょう 瑠華るかは、ドアを開けて早々特に許可も取らずにそそくさと部屋に上がり込む。

とはいえ、綾芽にとっても瑠華にとってもある程度それは慣れたものだった。


両親が忙しくて帰ってこない時も、よく世話をしてくれたり遊び相手になってくれた4才上——19才の幼馴染。

昨年デザイン系の専門学校に通い始めたという彼女は、それでも普段よりも焦ったような様子で綾芽に通されるがまま椅子に腰掛ける。


「取り敢えず、お茶でも……飲む……?」

「じゃあお願い。ミルク多めで」


ミルクとガムシロップを大量に投入した紅茶を二つ持って綾芽が戻って来た時、瑠華は部屋を見回していた。

まずは減った積みゲーを、次にほとんど残っていない財産を、最後にその隣のリーフレットを。

そうしたのちに一際目を輝かせて綾芽に駆け寄ると——思いもよらなかったことを口にした。



「あたしの目、やっぱり狂いがなかったみたいっ! ねえアヤメ、してみないっ!?」



しばらくの間、声が出なかった。

瑠華がはつらつと口にしたその単語を理解するのに──綾芽にとっては少々──時間がかかってしまったから。


「——は——はあ……っ!? 配信って……あの……なんか頭ぽやーってしてるやつ!?」

「……それはまあ、随分と誤解があるみたいだけど——そんなのも踏み倒せちゃうくらいメリットがたくさんなのよ。まず、これをみてもらえるかしら?」


瑠華が鞄から取り出したタブレット端末から起動して数秒とかからず、表示された画面。

そこに映ったものを前に、綾芽は思わず息を呑んだ。


「……これって……バーチャルアバター……?」

「そ、あたしの自作。ほとんどの規格に対応済み。大体のVRゲームにコンバートできる仕様よ」


──完成度の高いバーチャルアバター。


目の覚めるような金髪、ぱっちりとした紅色の瞳に加え、瞳の濃さとは対照的に抜けるように白い肌。はっきり言ってしまえば、良い容姿かおをしている。


そして、髪の編み込みやそれを飾る装飾品の一つ一つ——コンバートを前提としているせいか服装は簡素なワンピースのみだが、たまに見るような有名配信者のバーチャルアバターにもほとんど見劣りしない。


「まず、配信をするならこれをアヤメに使わせてあげる。というか、使って」


感嘆している時にその隙を狙うようにして提示された一つ目のメリット。

確かに、少し心が動いてしまう。自分専用のアバターには確かに興味がなかったわけではないし、しかも完成度の高いこれを使わせてもらえるのなら、メリットとしては十分だ。


「……でも、なんでわざわざこれを作ったの……?」


しかし、ルカねえはここに来てから何度か眉間を揉んだり、ため息を吐いたり——極め付けには目の下にクマまで作っている。

徹夜でもしたのかはわからないが、これを作るのに相当身を削ったことには違いないだろう。

つまるところ、裏を返せばなぜわざわざそこまでしたのかがわからなかった。


「……課題、よ」

「課題って——学校の……?」

「ええ。デザイン系の専門学校に入ったって話したじゃない? それで、あたしは3Dモデル制作の講義をとってるんだけど——現物を作った上でレポートを書かなきゃいけなくなって……」


たっぷりの疲労を感じさせる含みと表情。

未だ綾芽には大学だとか専門学校がどんな場かはわからなかったけれど、困っているのは理解できた。


「でも、なんで自分で使わないの……?」

「趣味全開にしたせいで体型が合わなくて……上手く使えないのよ」


瑠華の身長は高めだ。それに対してアバターの身長はそこまで高いものじゃない。大体——綾芽と同じくらい、むしろ小柄な方。

いくらVR空間とはいえど、アバターと本来の自分の体型に大きな差異があると上手く扱えない——それはまだVRハードが抱える大きな問題だ。


「アヤメならピッタリじゃない? しかもVRにも慣れてるし。ここは困ってるあたしを助けると思ってどうか……」

「……でも、なんでわざわざ配信にしないといけないわけ……?」

「モデラーとしてのわかりやすい実績になるからよ。レポートも書きやすくなるし。……それに、見たいじゃない。コメント欄であたし渾身のアバターが褒められるの」


最後に付け足された一言は余計な気がしないでもなかったものの、案外筋の通った理由には思える。

けれど、問題はそれとは別。扱うのも配信するのも自分自身だ。

アバターを使えるだけではメリットが薄い。


「……お金、ないんでしょ? 多いわよ? 収益」


それを察したのか、瑠華は遂に人の弱みにまでつけ込んできた。先ほどまであんなに弱みを晒していたのに——と愚痴りたくなるのも束の間。

確かに、お小遣いに加えて収益まで入ってきたら月のゲームソフト代や通信量——それらが全部工面できる。


「でも……そこそこ有名にならなきゃ、収益ってほとんどない、でしょ?」

「配信してくれればお礼として、好きな中古ソフト三本まで買ってあげる」


ギリギリで踏みとどまり、たじろごうとして——けれど、そこにはまだ罠が仕掛けられていた。

あと三本、好きなソフト。収益どうこうを抜きにしたってそれだけで今月は凌げる。


「……やる」

「——ほんとっ!?」


答えが出るのは早かった。渋々頷く綾芽を尻目に瑠華は小踊りしつつ、タブレット端末とヘッドギアを接続して作業を始めると共に、一冊の本を手渡してくる。


「それじゃ、今から準備するからこれ……心得みたいなものね。読んでおいて」


『今日からあなたも配信者! キャラ作りの仕方、全部教えます!』と表紙に躍る文字列はグラデーション強め。フォントを手伝ってか既に不安感を煽ってくる。というか——。


「今からやるの!?」

「……じゃないとレポート間に合わないのよ。お願い! 今日も残りの時間はゲームに充てるんでしょ?」

「うっ……」


それを言われてしまえばもう反論しづらいもの。

言葉に詰まったまま、間を埋めるようにして綾芽は本を開く。


「……ねえ、この付箋貼ってあるページって何……?」

「あ、それね、オススメのやつ」

「一人称ボクで、ニコニコしてる天真爛漫タイプって……私から結構遠いタイプじゃん……」

「そう? あたしはいいと思うんだけど……」


あざといキャラ付けだ。これをやらなければいけないと考えると若干憂鬱にもなってくる……が、中途半端に自分の性格に則したものよりもいっそこれくらい割り切ってしまった方が恥ずかしくないのかもしれない。

表紙に反して、悔しいことに意外と詰まっている情報量に驚きながらも、読み終えた時だった。


「……そういえばアヤメ、やるゲームは決めたの?」

「やるゲーム……?」


言われてみれば、まだ配信するゲームを決めていなかったことに気がつく。


「じゃあ、今やってるこれとかどう? そこそこ強いよ?」

「ううん。やっぱり視聴者との一体感を求めるならまだ触ってないタイトルじゃないと……」

「あの……ルカねえ……物色しないでもらえる?」


咎めようとも彼女は止まらない。

残された数本の積みゲーを漁って——そののちに掲げられたのは一本のソフトだった。


「『グリモワール・エタニティ』……? そういえば今流行ってるんだっけ。それ」

「アヤメ、ずっとゲームやってるクセに流行には案外無頓着よね……そ、最近流行ってるのよ。やっぱり、流行には乗っておくべきでしょ?」

「……じゃあ、それでいいよ」

「了解。アバターのセッティングも、配信の準備も終わったし——ダイブ、していいわよ」


タブレットの操作を続けるルカねえに促されるままヘッドギアを被り、ベッドに横になる。

目を瞑った途端に、内部の機構が動き出しファンが音を上げ——聞き慣れた起動音と共に、瞼の裏が照らされる。



「──行ってらっしゃい、アヤメ!」



遠ざかっていく意識は、新しい世界ゲームを求めて羽ばたいた。

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