第9話 よみがえる魂(後編)

 1.



 トレーダー。

 彼らは砂漠を行く者達。

 鋼の機体を駆り、熱砂の大地を進む。

 嵐さえもものともせずに、ウォーカーキャリアと共にオアシスを結ぶ。

 誇りと不屈の魂を持つ屈強な者達だ。



 2.



「ますます繁盛しているようでなによりです」

 シュトライゼは通りの反対側からしばらく少女の商いの様子を見ていた。客が引いたのを見計らい、店の前に立ち少女に声をかける。

「いらっしゃいませ、シュトライゼさん。今日はまだ大丈夫ですよ」

「そうですか、では、いつものをお願いします」

「ありがとうございます」

「お加減はどうですか?」

「体のほうはだいぶいいですよ」

 シェラのおかげだった。

「とても良い療法師なのでしょうね。ご紹介願いたいところです」

 シュトライゼは首や肩を動かすと骨のなる音がする。相当凝っているようだ。

「秘密です」茶目っ気たっぷりに答える。「人気になってあたしが治療を受けられなくなると困るので」

「それは残念です。なかなかうまくいかないものですね」

「本当にそう思います」

 少女は深いため息をつく。

「なるほど、昨日、私のところにハルト氏がやってきましたよ」

 本当は怒鳴り込みに来たのだが、あいさつにでも来たようにサラリとシュトライゼは話を切り出した。

「な、なにか言っていましたか? と……、フィリア、お使いに行ってくれるかしら」

 聞き耳を立てていたフィリアを少女はお使いに出し、完売の札を出すのだった。

「ご迷惑をおかけしてしまったようで……」

「いえいえ、たいしたことではありません」

「それでハルトさんは?」

「本当に紹介したのか、とね。もちろん、紹介したと答えましたよ」歯を見せ笑う。「なぜトレーダーだと知っていて紹介したのかとも言われましたが、知ってなお私があなたを紹介したかったのですよ、とね」

「で、でも、それではシュトライゼさんが悪者に」

 少女は自分の判断の甘さを詫びる。

「まあ、こうなることは予測できたことでしたからね。私としてはそれでもあなたが良くチャレンジしたと思いますよ。彼とは話ができたのでしょう?」

「ほんの少しですが」

「あなたから見て彼、マサ・ハルトはどうでしたか?」

「会う前に店をのぞいてみました。シュトライゼさんに見せていただいた品もすばらしいできでしたが、ほかの品も手をぬかずどれも良い品でした。鋼なのに木と同じようなぬくもりを感じます。それに図面を見ているあの人は、ものをつくるのが好きなのだと思いました」

「ほんの少しの出会いで、彼のことをそこまで見ていただけるとは思っても見ませんでした。ありがとうございます」

「お礼を言われるようなことは……」

「拒絶されてなお、彼の良いところを知っていただけたのです。普通できることではありません。彼は頑固で気難しい人物ではありますが、あれでなかなか良いところもあるのです」

「それはわかります。ですが、あたしは拒絶されました。ある程度、覚悟はしていましたが、それでもあそこまで拒否されると、きついです」

「彼のトレーダー嫌いは筋金入りですからね」

「一回でうまくいくとは思っていませんでしたが……、理由があるのでしょうね」

「そうですね」

「あたしは、それも知らなければならないのでしょうね」

「知ってどうするのです? それに対してあなたができることはないと思いますが」

 シュトライゼの言葉は辛辣だった。

「それでも、あたしは向き合わないといけないと感じました。あの人の気持ちを知らなければ立ち向かえない」

「ならば、ベラル・レイブラリー師に教えを請うといいでしょう。私も話すことはできますが、ベラル師のほうが詳しく語れるでしょうからね」

「そうします。とはいえ、あたしが考えなしでした。このことでお二人の信頼関係にひびが入ってしまったのであれば」

「ああ、それは問題ありません。私と彼は、時には意見が対立しあうときもありましたからね」

 会議所の考え方と鍛冶工たちの行いで衝突したことも多々あったという。

 それはお互いに一歩も譲らない激しい論争であったらしい。

「いろいろとあるのですね。それでも、ハルトさんと話ができたのはシュトライゼさんのおかげです。ありがとうございます」

「私は何もしていませんよ」

「シュトライゼさんの名があったからこそ、門前払いされることなく話ができました」

「しかし、お役には立てなかった」

「そんなことはありません。きっかけはつかめたかと思います。だぶん……」

「きっかけがあったとしても、彼の拒絶は並大抵のものではありません。他の鍛冶工を紹介することもできますが?」

「申し出はうれしいのですが」

「ハルト氏にこだわるのも判りますが、現状をみれば難しいのでは?」

「それもわかっています。でも、あたしはあの人にお願いしたい。会って話をしてみて、さらにそう思いました」

「なぜそこまでこだわるのです? それに紹介という形ではなく、あの時、私に紹介状を求めていれば、ここまでこじれることはなかったと思いますが」

「それは考えました。でもそれではいけないと思いました」

 その時はただの直感でしかなかったけれど。

「エアリィさん、私は彼になんと言われようとかまわなかったのですよ」

 むしろ、きっかけはどうであれ少女と交流してもらった方が彼は面白いと思ったくらいである。

「あなたの師であるベラル師も頼めば喜んで紹介状を書いてくれたのではないですか?」

「師とはよびますが、師弟関係になったおぼえはありません。なぜみな、そういうのでしょう?」

「ベラル師がトレーダー地区に現れたことからしても、師弟関係であることは明白なような気がしますが?」

「それは違います。それでですね……」少女から話を振っておきながら、慌てて話を元に戻す。「でも、それではダメだと感じたのです。確かに紹介状があれば、仕事を引き受けてもらえる可能性は高かったと思います」

「なにが駄目なのです? あなたは会議所に来た時、ヴェスター氏の紹介状を携えていたではありませんか?」

「あの時は、それが正式なやり方だと教えられました」

「工房へ仕事を依頼する時にもそれは有効ですよ。彼の力が必要なのでしょう?」

「必要です」あたしの夢のためにも。

「ならば、今は紹介状でも難しいでしょうから、ベラル師と一緒に工房に出向けばいいだけのことです。そうすれば可能性はありますよ」

「それはやらない。やりたくないです」

 少女は決然と言った。

「どうするつもりなのです? 今のままでは会ってすらくれないでしょう」

「それでも、あたしが、そう、あたしひとりでやらなければならないの」

「判りませんね。どうしてそこまでこだわるのです?」

「確かに最初に紹介状を持っていけば、ベラル師に頼めば、ハルトさんは引き受けてくれたかもしれません。でも、それではダメなの。それはシュトライゼさんや師の力によるものであたしの力じゃありません」

「形はどうであれ、それで問題ないと思いますが」

「それはベラル師やシュトライゼさんの力によってハルトさんがしばられるだけになってしまう。あたしではなければダメなんです。あたしがトレーダーだと知った時、ハルトさんはあたし個人ではなくトレーダーとしてのあたしを否定しました」

「それはそうでしょう。彼はトレーダーを嫌っていますから」

「でも、最初に言葉を交わした時、まだ何もわからないただのあたしだった時はそうではありませんでした。だから、あたしはトレーダーとしてではない、あたしとしてあの人と付き合ってみたい。あたしを知ってもらいたい。ただエアリィとしてあの人に認めてもらいたい。そして、不承不承引き受けたのではなく、気持ちよく引き受けてもらいたい。そして最高の仕事をしてもらいたいの」

「なるほど、その気持ちは判ります」

「だから、他の誰でもないあたしが、あたしとしてやらなければならない」

「素晴らしい。そうやって付き合うことができれば、壁や門は不要になる。しかし、それは理想であって、現状では何の意味もなさないものだ」

「きびしいですね」

 シュトライゼの率直な意見に少女は顔をしかめる。

「でも、やっぱりあたしが、あたしとしてやってみたい」

「あなたも頑固ですね」

「そう思います。本当はいまなにをしなければいけないのか、手がかりすらみつからなくて、途方にくれていますが」

「彼がトレーダーや旧区のものを嫌い憎むのは、彼の生い立ちと工の民の歴史に起因します。それは相当に根深いものです。簡単には拭い去れないものです」

「それもこれからあたしは知らなければならないでしょう。あの人の口から」

「話すことすら難しいのに、ですか?」

「はい。そうしなければいけない」

「つらい話ですよ」

「それでもあたしは受け止めなければ、後悔します」

「強いですね」

「そんなことはありません。あたしは弱いです。それに強い人は他にもたくさんいます」

「強さの基準は力だけではありませんよ。拒絶されてもなお立ち向かうのは、勇気がいることです。あなたはそれと向き合おうというのだ」

「本当は逃げ出したいです。わかっていても、拒絶されるのはやっぱりつらくきついことですから」

「あなたは不思議だ」

「そうでしょうか?」

「ええ、私が知り合った誰よりもあなたは面白い」

「ほめているのですよね?」

「当然です。今まで出会った誰よりもあなたは変わっていらっしゃる」

「クロッセよりも、ですか?」

「あなたとクロッセ先生では方向性が違う。ただ私に言えることは、あなたはオアシスにはない考え方の持ち主だということです」

「それと同じことがあたしからもいえますよ」

「なるほど」シュトライゼは何度も頷く。「だからこそあなたと話をすることは面白いし、楽しい。私に出来ることなら、何でも言ってください力になりますよ」

「どうしてそこまでしてくれるのですか?」

「私はあなたのファンだと言ったでしょう? それに私もこの現状を打破してみたいのですよ」

「シュトライゼさんほどの人がですか?」

「私をどう見ているのか判りませんが、私自身ができることは限られているし、私の視点はロンダサークでのものの見かたでしかありません。他の力が必要なのですよ」

「あたしはそんな力はありませんよ」

「それはどうでしょうね。ですが、あなたは整然とした流れの中に投じられた小石のようなものです。私たちが何者であるかを思い出させてくれるには十分な存在だと私は思っていますよ」

「はあ……」

「期待しているということです」

「あたしを持ち上げても、たいしたことは出ませんよ」

「大丈夫です。こうして良質の油が私の手元に来ている。そしてあなたと話をしているだけでも私は目から鱗が落ちる思いですからね」

 シュトライゼは満足そうに頷いた。


 少女は再びハルトの工房の前に立つ。

 息を吸い込み、意を決する。

 心臓の鼓動がやけに大きく感じられた。

 工房の中に声をかけると、先日の門弟が現れる。

 少女を見て驚き、そして少女の頼みに首を横に振るばかりだった。

 そして、奥からの声に工房の中に戻っていく。

 少女はしばらく工房の前にたたずみ、そして工房をあとにすることになる。



 3.



「師よ。よろしいでしょうか?」

「どうしたね、改まって」

 居住まいを正し、真剣な眼差しで見つめてくる少女を前にして、ベラル・レイブラリーは手にしていた月琴をケースにしまう。

「お教え願いたいことがあります」

「ほお、珍しいな。弟子にして欲しいと言って来た時以来じゃないだろうか」

「そんなことは一度たりとも言っていません」

「おかしいのぉ」

「おかしくありません。いいかげんあきらめてください。あたしを弟子にしようなどということは!」

「すまぬな、この歳になると物忘れが激しくてな」

「物忘れといいますか? 師が、冗談にもほどがあります。それにあたしはトレーダーだと何度もいっているでしょう」

「そのようなこと、関係ないと言っておろう」

「師が気にせずとも、あたしが気にするのです!」

「まったく困ったものじゃのう」

 ベラルはにこやかに笑い少女を見守る。

「かってに困っていてください」少女は吐息を漏らす。「それでよろしいですか?」

「うむ。かまわぬよ。改まって何が訊きたい?」

「あたしたちトレーダーのことについてです」

「トレーダーのことなら私などに訊かずとも判るだろうに?」

「いえ、これは師でなければ答えられないこともふくまれています」

「私でないと答えられないことか」

「そうです。オアシスの人々から見たトレーダーのことを訊きたい。あたしたちトレーダーがどうして、オアシスのものたちから恐れられるのか?」

 その意味と始まりを知りたいと、少女は師に問うた。

「そのことを今さら聞いてどうする?」

「師やシェラのようにあたしをトレーダーと知って恐れず嫌わずつき合ってくれる人たちばかりではないと知りました」

「そうだろうな。何があった?」

 ベラルの問い掛けに少女はフィリアから聞いた話や、マサ・ハルトの工房を訪ねたことを話した。

「マサ・ハルトに会ったのかね?」

「はい。仕事を頼みに行きました」

「なぜ、そのようなこと、私に相談しない?」

「すれば師はあたしの力になろうとしたでしょう」

「当然だ」

「……師ならあたしの力になれたかもしれません。でも、それでは問題の解決にはならないのです」

「おぬしは何をやろうというのだ?」

「ただ仕事を頼みたかっただけですが?」

「マサ・ハルトのことを知らずに行ったわけではなかろう?」

「シェラやクロッセから聞きました」

「それを知ってなお一人で行ったというのか……」

 ベラルは半ば呆れながら少女を見る。

「たとえ断られたとしても、あたしが頼みに行かなければいけないと思ったからです。師がいっしょであれば、ハルトさんは師の顔をたてて仕事を引き受けてくれたかもしれません。でも、それは本心からではないと思われます。そのような状態でハルトさんは良い仕事をしてくれるでしょうか?」

「うむ」ベラルは腕を組み考えた。「職人のハルトとしては、納得のいく仕事にはならないだろうな」

「あたしはよい仕事をしてもらいたい。そしてあたしを知ってもらいたい。そうしなればあたしも後悔してしまう」

 依頼を受けてくれたとしても、顔すら合わせてくれないだろう。彼への依頼は一回限りのものではないからだ。

「その気持ちは判るが……」

「それはあたしとハルトさんの間で解決しなければならない問題なのだと思います」

「そうかもしれぬが……解決といってもな」

「あたしには手にあまる問題ではありますが」

「どうするつもりなのだ?」

「わかりません。それでも、あたしは立ち向かわないといけない」

「それで、オアシスとトレーダーのことを知ろうとしたのか」

「シュトライゼさんに、師に訊くほうがよいと言われました」

「彼も一枚かんでおるのか」

「あたしが頼んでしまっただけです」

 少女はシュトライゼとのやり取りについてもベラルに話した。

「おぬしも頑固だのう」

「シュトライゼさんにも同じことを言われました。あたしはオアシスの人たちを地根っ子と見下してきました。勇気も誇りもない弱虫だと教えられ、そう思い込んできました」

「そうだな。君らトレーダーに比べれば、我らは弱いかもしれないな」

 しみじみとベラルは頷く。

「だが、今はどうだ?」

「なにも知らずにそう思い込んでいた自分が恥ずかしいです」

「その言葉を聞けただけでも嬉しいよ」

「知らないままでいることは悲しすぎます。それはハルトさんにも言えるのではないでしょうか。オアシスの人々があたしたちを恐れるのには意味があるのでしょう? 師と初めて会った翌日に見せられたディスクにはトレーダーもヴィレッジも下町の人たちも手をたずさえていた姿あった。それなのに今は道をたがえてしまっている。どこでそうなってしまったのか、それを知らなければ前に進めない。そう思いました」

 なぜ嫌うのか、なぜ恐れるのか、その意味を。

「楽しい話ではないぞ。過去と向き合うことは」

「それでも理解しなければ進めない未来もあるのでしょう?」

「過去を引きずっていても何もできないのは確かだな」

「そうですね。過去はあたしと関係ないと思っていました。いまここにあたしがいればいいとしか考えていなかった」

「むしろそれが普通だろうて」

「師よ。でも、人はそれだけで生きていくわけではないのですね。あたしがトレーダーとして生まれたように、オアシスの人たちもいろいろな生い立ちがあるのですね」

「なにを知ったか知らぬが、生まれ、育ちはだれにも決められるものではないからな」

「そう思います」

 シェラの生き方を聞いて少女は考えるようになった。

 クロッセのように生き方を変える者のほうが稀だろう。

 人は過去に縛られながら生きている。少女がそうであるように。

「トレーダーとして生まれた以上、トレーダーやファミリーの過去からの歩みや今のあり方は、あたしに付きまとい無縁ではなくなりました。あたしはいままでその意味を考えようとしなかった。考える必要がなかったといってもいいでしょう。でも、誰も自分ひとりで生きてきているわけではなかった。それと同じようにオアシスの人たちにもいまだけではなくそれぞれの過去がある」

 トレーダーとしてだけ生きていたらそんなことを考えることもなかっただろう。

「人との関わり合いというのはそういうものだろう。私とてこうしておぬしと話している時間以外にも、様々な人との関わり合いはあるのだからな」

「オアシスの人たちにトレーダーが受け入れられないとしても、あたしは師を始め、シェラや親方と知り合うことができた。商いや漁でもっとたくさん人と交わることができました。師はトレーダーとしてではなくあたしとして受け入れてくれたのでしょう?」

「決まっておろう」

「そういってくれると思いました」

 少女は微笑む。

「トレーダーとしてのあたしが、マサさんと知り合うことは無理だったとしても、エアリィとしてのあたしはマサさんとつき合うことはできるでしょう?」

「おぬしは本当に頑固だな」

 そう言いながらもベラルは嬉しそうに少女の頭をなでる。

「あきらめたくない、悔いを残したくない。それにあたしには考える時間はいくらでもありましたから」

 照れくさそうに少しうつむきながら少女は答えた。

「誰もができるものではない。気付く者の方が少ないだろう。そう染みついてしまっているし縛られているのだからな。変わるのは難しいだろう」

 それでもやるのか? ベラルは少女に訊ねた。

「あたしは向き合います。その覚悟はできています」

 少女はまっすぐな瞳で見つめる。


「三百年ほど前の話だよ」

 ベラル・レイブラリーは静かに話し始める。

 それはいつもとは違い抑揚のない淡々とした語りだった。

「長い歴史の中で今に続く停滞期を迎えようとしていた頃だろう」

「停滞期ですか?」

「今のロンダサークは全てが停滞している。そうは思わないか? 停滞しているだけならまだよいが悪化の一途をたどっているだけなのかもしれない」

「停滞とか退化とか、そういうのはあたしにはわかりません。でも、師がそうみているのなら、そうなのかもしれませんね」

「ロンダサークはその版図を広げることで様々なものが生み出されていったといってもいい。しかし、徐々にその勢いは鈍り始め、外壁の拡張が限界に達した頃には、目新しい技術は生まれず、他のオアシスとの交流は徐々に減っていった。そして、オアシスの中でも我らは孤立と対立を深めていった」

 初期のロンダサークは旧区だけしかなかった。

 他のオアシスからの移民の流入などによって、ロンダサークは居住区と農地の確保が最優先課題となった。そのための解決策としてオアシスの民は外壁の拡張へと乗り出していったのである。

 幸いなことにロンダサークは固い地盤の上に建っており、新たな外壁を広げるのに適した地形になっていた。そして厚い岩盤は外壁を造るための石材を供給することができた。

 困難な作業ではあったが、彼らはそれを成し遂げてきたのである。

「ロンダサークが今のような姿になったのは、その頃であった。すでに難民の流入はとまっていたが、それでも人は増え続けていた。土地や水、食糧といった問題が再び重くのしかかってきた時代でもあったのだ」

「先人は何もしてこなかったのですか?」

「手をこまねいていたわけではなかっただろうが、有効な解決手段がなかったのも事実だ。特に技術の衰退は著しかった」

「ヴィレッジですか?」

「そうだな。だが、ヴィレッジも最初からああではなかったのだよ。ディスクからも判るだろう? 石材の切り出しや積み上げ方、その計算は彼らがやっていたものだった。彼らなくしては拡張はなしえなかっただろう。そして、我らに必要な水の水路を造る技術もな」

「今、ヴィレッジを見ていると信じられませんね」

「権力を掌握しようとする者が現れたのが原因だろう。目新しい技術も生まれなくなって久しい。それならば今ある技術を独占すれば彼らは優位に立てるからな。そして、そんな中で技術の継承がうまくいかなくなってしまった」

「どうしてですか?」

「ヴィレッジ内部での権力抗争が原因だったらしい」

 詳しいことはベラルにも判らないという。

 ヴィレッジ内部で闇に葬り去られたらしい。

「良識あるものと、独占を狙うものとの争いがあり、その中で必要だった技術のいくつかは失われてしまった」

「そして残ったものたちは、良識を失った屑ばかりになってしまった。それが、旧区と下町を隔てる決定打となったのですか?」

「そういうことだろうね。拙い技術で何とか外壁を外へと広げていったが、硬い地盤は無限ではなかった。残った技術では砂の上に外壁を築くことはできなかった。そうなるとロンダサークの成長は打ち止めとなる」

「外側へ行くほど、下町の作りが粗悪なものになり無秩序になっていくのはそのせいもあったのですね?」

「このあたりのように計画的に造ることは不可能になっていたようだからね。だが、それだけではなかったのだよ」

「といいますと?」

「労力の問題だ。エアリィも見ただろう。トレーダーの力を」

「はい。石材を切り出し、積み上げる。それはウォーカーキャリアがあったからこそなしえたものでした」

「その手助けも徐々に減っていったようだ」

「どうしてです?」

「ひとつはファミリーの数が減っていったこと」

「あれだけのファミリーが一堂に会することはいまでは難しいことでしょうからね」

「そういうことだ。長期にわたる拘束はトレーダーにとっても痛手となる」

「ファミリーは交易を糧に生きていますからね」

「彼らへの対価が必要になるが、ロンダサークの財政も逼迫していた。そして、富裕層であるヴィレッジもあのような有様、自分のところには関係ないと彼らは出費を惜しむようになる」

「イクークはだれが獲っていると思っているのよ。それに自分たちのところの農地だけでは足りないくせに!」

「彼らにはそれが理解できないのだろうな。下町は暮らしていくだけで手一杯だ。そうなるとトレーダーの協力を取り付けるのも難しくなってくる。我ら下町の住人だけではもはや限界だったのだよ」

「しかし、そうだったとしても、そのことでトレーダーが恐れられる理由にはなりません。ヴィレッジが嫌われるのはわかったとしてもです」

「確かにまだ、それだけでは決定的な隔たりにはなっていなかった。土地を広げるのが無理となると、ロンダサークの人々は別のところに目を向けるようになった」

「ほかになにか問題を解決する方法があったのですか?」

「使われていない土地を再利用しようとする試みだった」

「そのような土地があったのですか?」

「そこでロンダサークの人々が目につけたのが、トレーダーの土地だったのだよ」

「トレーダーの土地? あたしたちの住む地区ですか? 確かに人はあまり住んでいませんが、せまい土地ですよ」

「そこだけではないのだよ」

「ほかに……って、もしかして宙港のことですか!」

「あそこは未使用な土地がひろがっている」

「確かにそうですが……」

「長老会もトレーダーに再三、話を持ちかけたが、拒否された」

「そうですよ。宙港はウォーカーキャリアの係留地であり、ファミリーの交流の場ですよ」

「しかし、二、三のファミリーがそろうくらいではさほど場所も取るまい?」

「たしかにそうではありますが」

 いまでは使われていない日のほうが多いくらいではあるが。

「宙港の半分、それが駄目なら隅でもいいから利用を認めてほしいと持ちかけた」

「ですが宙港ははるか昔からトレーダーが守ってきた場所だと聞きます。神聖な場所であると」

「それは判っている。それでも未使用の土地は我々には魅力だったし、全てというわけではなかった。普段、使用していない場所を我らは貸してほしかったのだよ」

「でも、管制塔は首を縦には振らなかったのでしょう?」

「そうだな。その頃の宙港にはまだ壁はなく誰でも自由に足を踏み入れることができた」

「そうだったのですか?」

「ああ。だが管制塔は借地を認めてはくれなかった。あろうことか、トレーダーはウォーカーキャリアを使って交渉に赴いた長老を脅し、更にはウォーカーキャリアが下町の外壁を崩し下町を蹂躙したのだよ」

 その力は絶大だった。

 見上げるような巨体が人々に迫り。工作用のアームが壁を粉砕し、巨大な足が家々を踏み潰していく。

 逃げ惑う人々。

 ロンダサークの人々にその進撃を止める術はなかった。なす術もなく彼らはウォーカーキャリアが下町を蹂躙する姿を見ていたのだった。

「理由もなくトレーダーがそんなことをするはずがありません!」

「一部の住人が土地を占有してしまったようだ。最初はそれを排除するだけだったが、トレーダーもそこまでするとは思わなかったのだろう」

「あたしたちは、自分たちの物は必ず守ります。一致団結して」

「彼らも必死だったのだろうな。二度三度繰り返してしまえばトレーダーも怒り狂うだろう」

「自業自得です」同情の余地は無かった。

「第三十二地区では死者も出たという」

 見せしめもあったのだろう。トレーダーは外壁を崩し下町に侵入し、二度とオアシスの人々が宙港にやって来ないよう建物や壁を崩していった。

「それ以後、トレーダーはオアシスの人々が宙港に立ち入らないように彼らのための壁を造り、我々との交流を絶ってしまった。一部の者を除いてな」

「それが、トレーダーを恐れる理由ですか?」

「そうだ。どんなに我らが抗おうと、強大な力で駆逐されてしまう」

 以来、その力に恐怖したオアシスの人々は宙港やトレーダーの区画には近づかなくなったという。

「まさか、その犠牲になった人たちに……ハルトさんの一族もいたというのですか?」

「いや、ハルトのそれは別の話となる」

「他にもなにかあるのですか?」

「エアリィは廃棄地区を知っているか?」

「ええ、よくクロッセと実験するために使っていましたから」

「そこが廃棄されたのが、トレーダーのせいでもあるのだよ」

「どうしてです? あそこは砂嵐のために放棄されたのではなかったのですか?」

「砂嵐と竜巻によってあの地区は外壁を崩されてしまった。それが放棄された最大理由ではあった。しかし、今でこそ外壁はあそこまで崩れてしまっているが、当時はまだ修復可能なレベルであったという」

「では、なぜ直さなかったのですか?」

「トレーダーの助力が得られなかったからだよ」

「どうしてです? 義をつくせばトレーダーは助力したはずですよ」

「我らとて昔のことは手打ちにしようとした。しかし、彼らは聞く耳を持たなかった。トレーダーは彼らを見捨てた。それ故に外壁を修理することはできず、あの地区は放棄されてしまった」

「その地区に住んでいたのがハルトさんの一族なのですね?」

「そうだ。今でこそ、工の地区はあそこに移されたが、それまでは廃棄された地区にあった。彼らは土地を捨て、そして彼らの命とも言える炉を放棄しなければならなかった」

「炉?」

「絶えず黒煙を上げている煙突があるだろう? あれが炉だ。工の民が材料とし使う鉄鋼などの金属を生み出すためのものだよ」

 炉は火を絶やすことなく日々稼働しているという。

 それ故に彼らは早くからロンダサークの外周部に居を構えていた。

「それは宙港や流刑地区と同じような成り立ちだったのでしょうか?」

「流刑地区を知っているのか?」

「シェラから聞きました」

「そうか……工の地区はその性格上隔離されていたといってもいい。騒音や煙害によるものだった。それでも彼らにとっては長年住み続けた土地だった。空いている土地はほとんどない。なんとか住む土地を確保し、最低限の炉は移設出来たらしいが、最大の炉は捨てなければならなかった。移住後も先に住んでいた住人たちとのトラブルは絶えず、彼らは苦労を重ねてきたのだよ」

「それでもトレーダーを嫌う理由が判りません」

「一度違えてしまった道を元通りにするのは難しいものだ。失ったものが大きければ大きいほどな。ニ百年前に我ら下町の民とトレーダーとの間でどのようなやり取りがなされたか、詳細は判りはせぬ。しかし、現実に宙港には壁が出来、交わりは失われた。その結果、工の民は住む家を失ってしまった。それは間違えようのない事実なのだよ」

「そうであったとしても、どうしようもないことなのでしょうか?」

「そうは思わぬが、人は過去に縛られ生きているのも事実だ。それは思考の妨げとなる」

「ならば、それを変えてみたい」

「誰もがエアリィのように行きつくわけではない。悲しいことに体や頭に染みついたものはそう簡単に拭い去れるものではない」

「だからといってあきらめて立ち止まってしまっては、本当に停滞してしまいなにもできなくなってしまう」

「若いな」ベラルは熱くなる少女を見て微笑む。「それに難しいことだぞ」

「わかっています。ですが、少しでも可能性があるのならあたしはやりたい」

「おぬしは本当に頑固だな。ならば気の済むまでやってみるがいい。私がそれを見届けよう」

「はい」

 少女は力強く頷くのだった。


「嬉しそうですね」

 書斎のテーブルのカップや皿を片づけながらドロテアはベラルに訊ねる。

「なにかいいことでも?」

「そうだな。ああ、とても嬉しいことだよ」

 少女の話を彼は妻に聞かせる。

 それは子の成長を見守る父親のような喜びようだった。

「あの子が、マサ・ハルトさんと、ですか? 大丈夫でしょうか?」

「うむ。このままでは難しいだろうな。そこでだ、ドロテア、少し頼まれてくれるか?」

「手助けは無用と言われたのでは?」

「私が直接、ハルトに対して動かなければいいことだろう?」

「あの子が知ったら、嫌われますよ」

「それは困るな。しかしだ、直接、マサに頼むわけではない。そんなことをすれば彼も依怙地になるだけだからな」

「どうするおつもりなのですか」

「ハーナは知っておるな?」

「ええ、マサさんの奥様ですよね」

 長老会の集まりで何度か顔を合わせたことがある。

「まずは奥方からマサの様子を聞いてほしい」

「どうしてです?」

「エアリィの見方が正しければ、あやつは依怙地になっているだけだろうからな。それをまずは確かめたい」

「あの子の目を信じておいでなのでしょう?」

「当然だ。それが確かならば突破口はある」

「それが、ハーナさんなのですね?」

「できた奥方だからな。あやつにはすぎた嫁と言われたくらいだ」

「そんなことを言われていますと、マサさんが怒鳴りこんできますよ」

「それは怖いな。それから、あの子の商いのことをハーナに教えてやってくれないか。エアリィの名を出さんでも、油のことを知るだけでもいいだろうしな。それで奥方がエアリィのことを知る分には問題ないだろう」

「外堀から埋めていくおつもりですね」

「それくらいの手伝いなら、エアリィも許してくれるだろう」

「そうですね。会って話をすればあの子の良さは誰もが判ってくれるでしょうから」

 ドロテアは頷く。

「では、明日あたり欲しい食器がございますので、ハルトさんの工房に行ってまいりますね。そのついでにあの子のところで油も買ってまいります」

「よろしく頼む」



 4.



「おねぇちゃん!」

 それは昼と夕刻の中間点当たり、灼熱の太陽がすべてを溶かそうとしている刻限だった。

 突き刺さるような日射し、乾燥した大気が体の水分まで蒸発させていくようだ。

 商いが終わると少女は工の地区へと足を運ぶ。

 強い日射しの中、店の前に立ちマサ・ハルトに会おうとする。

 何度訪ねても弟子は首を横に振るばかりで、すぐに店の中に戻り、少女の相手をしようとはしない。

 それでも少女は数時間、店の前で待ち続ける。

 店の扉が固く閉じられるまでそれは続いた。

 通りを行き交う人は好奇の目でそれをただ見つめるだけだった。

 会うことすらままならず、ただ無為に時間だけがすぎ去っていく。本当に正しいことをしているのか、何も得られず何も判らない。ただ少女は消耗した体を引きずるように来た道を戻っていく。

 工の地区を出てメインストリートに戻ろうとしていた頃、少女は声を掛けられた。

「エアリィおねぇちゃんだ」

 少女のもとに駆け寄ってきたのは、廃棄地区に来ていた子供達だ。

 あの日以来だった。

「テオにマルテじゃない。このあたりに住んでいるの?」

「うん、おれはこうのちく、テオはそこのとなりのちく」

「そうなの、廃棄地区でしかあっていないから、どこに住んでいるのか知らなかったわね」

「うん、おれもじぶんのちくだけじゃないともだちができたのははじめて」

「そういうものなのね」

「おねぇちゃんは、もういいの?」

「まだ痛いところもあるけど、大丈夫よ。テオもマルテも助けを呼びにいってくれたのよね? ありがとう」

「おれ、はじめてトレーダーのところにいったよ」

「こわかったけど」

「でも、こわくなかったでしょう?」

「うん」

「今日はどうしたの? お使い?」

「夕市にいくんだよ」

「あそんでばかりだとおこられるからね」

「こんどいつあそべるの、エアリィおねぇちゃん?」

「うーん、いつかなぁ……」

「ウォーカーキャリアがあがっていくの、またみせてね」

「おねぇちゃんがいないとすなあそびもつまらないから」

「そうだね」

「まってるからね」

 少年達はそういって手を振りながら通りをかけていく。

 少女の顔に笑顔が戻る。そして再び歩き出すのだった。


「ヴェスター、五家のベラル師が君の館を訪れたそうだね」

「情報が早いね、デドライ」

 管制塔の一室でヴェスターとデドライは酒を酌み交わしていた。

「まあ、それが仕事でもあるからね。我らは彼らと関係を絶っているとはいえ、完全に無視しているわけではないのだから」

 直接的な交流は商い以外ないとしても、管制塔は今でも変わらず旗によって嵐や竜巻の到来をオアシスに伝えている。

 お互いの間に深い溝があっても、交易相手を失うわけにはいかないからである。

 オアシスも同様にトレーダー無しには生きられない。

 トレーダーがいなければ彼らは孤立してしまうからだ。

 オアシスの民は腫れ物に触るかのように、トレーダーから距離を置いてしまっていた。

「トレーダーもオアシスも、それぞれなくてはならない存在なのだからね」

「交易相手がいなければ交易にはならないからな」

「そういうことだよ、デドライ。どんなに反目し合い疎ましい相手であろうと、お互いが存在を認めなければならない」

「どこまで博愛なんだい、ヴェスター」

 皮肉交じりにデドライは言う。

「人は変われるものさ。君も地に根をはれば変わるかもしれない」

「そうなる前に、あの世とやらに行くさ。我らは誇り高きトレーダーだ」

「誇りも意地も必要なものだが、それがすべてじゃない。住む世界を隔てていても人は人さ。どんなに離れた存在であろうとも、それはどこまでいっても変わらない。環境や生き様で人が形作られようと、我らはともになくてはならない存在者だと思うがね」

「地根っ子はどこまでいっても地根っ子だ。ヴェスター、おまえさんはよくあいつらと交われるものだな。ああ、すまない」

「いや、もうすぎたことだ。トレーダーとしての私の半身は地平の彼方に消えている。それに、彼らとの交わりは面白いよ。そう無碍にするものじゃない」

「そんなこと言っているからあの子も影響を受けるんだろう」

「いい傾向だと思うがね」

「トレーダーとしてはどうかと思うよ。彼らとの因縁を考えるとな」

「はるか昔の話だ。もはや生きている者はいない、それに引きずられるというのもどうかな。その理由すら知らない者達だって多くいるだろうに」

「彼らが忘れようと、我らは忘れない。彼らは我らの聖域を犯した。それは紛れもない事実だ。もはや彼らは親しい隣人ではなく聖域を狙う敵でしかないのだよ。それはいまも変わらないだろう」

「彼らはただ深層心理に刻みこまれた恐れだけで我らに寄りつかないにすぎない。それがなくなれば違ったものになるだろう」

「そうだろうか。我らから歩み寄るようなことはない。それなのに今頃になってベラル・レイブラリーは何故、トレーダー地区へ現れたのだ?」

「ああ、エアリィの見舞いに訪れただけだよ」

「ただそんな理由でか」それは驚きだと、デドライはヴェスターの顔をまじまじと見つめる。「またも土地問題を持ち出す足掛かりのつもりなんだろうな」

「そうではないよ。エアリィとベラル師の結びつきは」

「どうだろうね」

 鼻で笑う。

「トレーダーとオアシスが仲たがいしていたとしても、人と人はかくあるべきじゃないかな」

「人ねぇ……それが本当だとして、いつ以来になるだろうか」

「非公式なものなら、なかったわけではないだろうが」

「そうだな、百年ぶりくらいか、一度、ロンダサークの外壁が崩れたとかで、復旧作業を手伝ってほしいという依頼があったらしいからな」

「ほう、そんなことがあったのか」

「管制塔にいると時間だけはたっぷりとあるからな。過去の日誌を読み漁ってしまう」

「崩落した外壁というと、あの放置された地区のことかな」

「たぶんそうだろう。オアシスの非常事態にあたっては我らとて、無視できるものではない。要求に応えるのもやぶさかではなかった」

「しかし、あの地区は放棄されてしまっている」

「記録によれば、その時点で宙港にいたファミリーはなかった。残念なことにな」

「しかし、その後入港してきたファミリーに外壁の作業ができるところはなかったのか?」

「入港記録を見る限り、土木作業に従事できるファミリーはなかった。はるか昔と違って、今はどこも人手が足りないし、大型のウォーカーキャリアも減っているのが事実だ。昔のようにはいかないさ」

「そうか、残念だな。そこで復旧作業に一役買っていたら、関係も変わっていたかもしれないのに」

「それは無理だろう。やつらは節操がないからな。そうでなければそもそも、あんな事件は起こらなかった」

「そうかもしれない。それでも、この孤立状態がこのまま続くのは良くないと思うよ。開かれた宙港であるべきだ」

「そう考えるのは構わないが、今さら戻れないだろう。確かに三百年前までは、地根っ子たちも宙港で自由に市を開くことが出来た。我らと直接取引をすることが出来た」

「しかし、それを逆手にとって、勝手に住みつこうとしたものがいた……か」

「やつらに市を開くことは許しても、宙港は我らの祖が受け継いだ地だ。やつらに住まわせるためのものではない。しかもやつらはそれを既成事実として、土地を要求したのだ。許されることではない」

「しかも、我らの立ち退きの声も聞かなかった」

「こちらが穏便に済まそうとしたが、長老会も侵入したもの達を煽り、重機を使い籠城などという姑息な手を使いだしたからな」

「交渉は決裂。力には力による排除しかなかった。本当にそれしか方法はなかったのだろうか?」

「仕方あるまい。やつらが先に仕掛けてきたことだ」

「それを誰が知る?」

「どちらが先でもいいのだよ。事実は籠城したやつらを我らが力によって排除した。ただそれだけのことだ」

「そのために、関係ない地区の外壁を崩し、蹂躙する必要があったのか?」

「関係はあった。抵抗する重機を駆逐するという理由がな。外壁の中に逃げ込めば何もないだろうと考えたやつらに我らの力を示す必要がある。二度と近づかぬよう完膚なきまでに叩き潰す必要がな。そうしなければ、またやつらは同じことを繰り返すだろうからな」

「本来はそうするための機械ではなかったはずだ、ウォーカーキャリアも重機もサンドモービルも」

「しかたなかろう。我らの数は少ない。危険の芽は摘んでおくにこしたことはない」

「それ故にオアシスの重機は不足してしまったのではないかな」

「もともとはヴィレッジが技術を秘匿してしまったのが悪いのだろう。そうでなければ衰退などというものは起こらなかった。それにこれはやつらが自ら招いたことだ。自業自得というものだよ」

「もはや元に戻ることはないということだな」

「過去を清算することなど不可能だ。歴史に刻まれてしまっている以上、誰かが蒸し返すことになるのだからな」

「それ故にあの子が苦しむか……」

 ヴェスターはグラスを見つめ呟く。

「どうした?」

「いや、何でもない独り言だ」

「そうか、では、この話はこれで終わりにしよう。酒がまずくなる」

 デドライはそう言い、ヴェスターに酒をつぐ。

 そして、次のキャラバン入港時の商いの話を始めるのだった。



 5.



「もう、がまんならん!」

「頭、やめてください」

 砂鉄の入った大きい壺をかかえたマサを弟子が三人がかりで抑えようとするが、工の頭の勢いは止まらない。

 弟子の一人を振り払うと、工房の表に出る。

 そこにはあの少女が立っていた。

「お願いします」

 少女はマサを前にして土下座する。

「何のまねだ。お前らにはプライドはないのか!」

「人としてのほこりはあります。でも、人として願うことにそれは必要ありません。あたしは作り上げたい。そのために手を貸してほしいのです」

 それがマサの怒りにさらに火をつける。

 弟子を払いのける。

「二度と来るな!」

 少女に向かって砂鉄をぶちまける。

 空になった壺を地面にたたきつけると、破片が少女のもとにまで飛び散ってくる。工の頭は工房の扉を閉め中へと消えていった。

 工房の中からは怒号や物が壊れる音が聞こえてきた。


「いつまでそうしているんだ、エアリィ。太陽に燃やされちまうぞ」

 少女の頭や体のついた砂鉄を払う手があった。

「クロッセ?」

「どうしてここにいるんだって顔をしているな。まったく水臭いやつだな。ヴェスターさんから聞いたよ、毎日来ているんだって? 言ってくれれば僕も付き合うのに」

 クロッセは腕をとり少女を立たせると服についた砂を払ってやる。

「これはあたしが始めたことだから」

「だとしてもだ、それを教えたのは僕とシェラだ」

「クロッセと一緒だと話してくれそうにもなかったから」

「まあ、エアリィのやることを止めはしないが……、そんなことより大丈夫か?」

 ふらつく少女を支えると水を飲ませる。

「そりゃあ、僕の顔も素性も向こうは知っているからね。でも、今の君も僕とたいして変わらないだろう?」

「でも、あたしがやりたいからやっていることだし」

「じゃあ、僕もやりたいからやらせてもらおう。明日からは僕も一緒にお願いをするよ」

「でも、それじゃあ、修理はどうするのよ」

「どのみち進まないよ。あの人の力が必要だと思ったんだろう。だったらそれにかけてみようじゃないか、それに一人でやるより二人でやった方がいいこともあるさ」

 クロッセは答えを聞かず、肩をすくめるとまだ未練がましく立つ少女の手を引き工房をあとにする。


「あなた。浮かない顔をしてどうしたんです?」

 ハーナは椅子に腰をかけてぼんやりしているマサに声をかける。

「いや、なんでもねぇよ」

「最近、うわの空になったり、考え事をしたり、変ですよ」

「そ、そうかい」

「そうですよ。悩みごとでも?」

「そんなんじゃねぇよ」

「ため込むのは良くないですよ」

「だから、なんでもねぇって言ってるだろうが!」

「はいはい、そうですか。まったく、あなたは頑固なんですから」

「余計なお世話だ!」

「ほらほら、そんなに怒らないの。血圧が上がりますよ。いいかげん歳なんだから、人の話は素直に聞いた方がいいですよ」

「大きなお世話だ、それに齢だったら、おめぇだって同じだろうが」

「そうですよ。だから判るんじゃないですか。いったいどれだけ一緒にいると思っているんですか。あなたの顔を見ればなんだってすぐに判るんですからね」

「てやんでぇ、何が判るってんだ」

「やりたいことがあるんでしょう?」

「ど、どうして、そう思うんだよ」

「何が引っかかっているんだか知りませんが、やってしまいなよ。もう長くないんだから」

「長くないとはなんだ。人を年寄り扱いしやがって」

「年寄ですよ。孫がいるんですから」

「その話はするな!」

「まだ怒っているんですか?」

「怒ってねぇよ」

「まったく大人気ない。娘が隣の地区の人と結婚したからって、なにもいいじゃありませんか」

「お、おれはもっといいやつをだな」

「あの子が選んで、それで幸せならそれでいいじゃありませんか」

 ハーナはマサを見つめる。

 先に視線をはずしたのはマサの方だった。

「孫に責任はありませんよ」

「そりゃあ、そうだが、工の民には工の誇りがある」

「あの子はこの地区の生まれであっても、工の民ではありませんよ。それにあたしらだってここに移住してきたいわば新参者なんですからね」

「新参たぁなんだ、土地を失おうとおれら工の民は誇りを失っちゃいねぇ!」

「誇りねぇ。そんなことばかり言って客を選んでいるから、うちはねぇ……娘が嫁いでもろくに持たせてあげられないんですよ」

「お前に何が判る」

「判りたくありませんよ。そんなもので暮らしは良くなりませんから」

「それもこれもヴィレッジやトレーダーのせいだ」

「そんな昔のこと今さら言っても仕方がないでしょうに。誰かのせいにしたいのは判るけどさ」

「どういうことだ!」

「放棄、移住を決めたのは、長老会だったんでしょう。結局、それに納得したからここにいるんでしょ?」

「誰が納得なんかしているか。仕方なくだろう。工の民がこんなところで肩身の狭い思いをしなければならいのは、ヴィレッジもトレーダーも自分らのことだけしか考えず、誰もかれもが工区を見捨てたからなんだよ」

「そうだとして、過去を蒸し返してどうなるのさ」

「おれは、工の民の誇りをだな」

 工の民はオアシスとは離れた場所に造られた地区に住んでいた。

 孤高の民とも呼ばれたが、いつしか外壁の拡充によって下町とつながってしまう。

 隣接することで高炉から出る煙による煙害などのトラブルが絶えず、工の民は孤立していたといってもいい。

 その彼らの地区が巨大な竜巻によって外壁が破壊されてしまった。

 もともと古い地区で長きにわたって補強も補修もされていなかったこともあり、一度崩落が始まると急速に亀裂は広がっていった。

 初期には修理は可能であったとの見方もあったがヴィレッジやトレーダーの協力が得られず、十分な重機もない下町の民だけでは何もできないに等しかった。

 彼ら工の民の命でもある高炉の移設もままならならず、さらにはあてがわれた移住先でも先住していた民とのトラブルは絶えなかったという。

「はいはい。そんなに誇りがあるんだったら、廃棄地区で暮らしていけばよかったでしょう」

「おれはそんときは生まれてねぇ! お前には誇りがないのか!」

「誇りがあるんだったら、一人でだって廃棄地区を再建してみたら?」

「おれ一人で何が出来るってんだよ」

「だったら八つ当たりしない」

「してねぇよ」

 ハーナはため息をつく。

「いまさらいっても仕方がないのでしょうけど、そんなんじゃ誰も付いてきませんよ」

「性分なんだから仕方がねぇだろうが、今さら変えられっかよ」

「たいがいにしときなさいよ。それで後悔してたら、どうしようもないでしょう」

「だから、どうしてそうなる」

「そういう顔をしているからよ」

「てやんでぇ」

「はいはい。食事にしましょうね」

 ハーナはテーブルにはイクークの揚げ物が並ぶ。

「今日はどうしたんだ?」

「どうしたって?」

「いつもより豪華じゃねぇか、何かあったかなと思ってな」

 いろいろと考えてみたが思い浮かばなかった。

「良い油が手に入ってね。調子にのってたら作りすぎちゃってね」

「良い油ねぇ」

「ええ、食べてごらんよ」

「そんなんで変わるもんかよ」

 そういいながらイクークをつまんでみる。

「おっ!」

「違うでしょう?」

「お前の料理じゃねぇみてぇだ」

「褒めてるのかしら?」

「ほ、ほめてんだろうが……」

「そういうことにしておきましょう。ドロテアさんて覚えているかしら?」

「誰だ?」

「あんたって人は」呆れ顔だった。「ベラル師の奥さんでしょう」

「ベデアルじゃなかったか?」

「それ、人前では言わないようにね」

 数年前に亡くなったベラルの二番目の妻の名前だと教えた。

「……で、そのドロテアがどうしたんだ?」

「先日、会ったときに、油のことを教えてくれて、試しにもらったのを使ってみたら本当にいい油でね。今日量を買って来てね、いろいろとお料理してみたの」

「ふ~ん。油なんてどこも同じだと思っていたよ」

「あんたも機械油で職人さんを選ぶじゃない」

「そりゃあ、そうだが」

「それにね小さな女の子が店にいてね。孫と変わらないくらいの子だったわ」

「店番か」

「そうかと思ったら、その子がお店をやっていたのよ。ちゃんと、切り盛りしているのよ。明るくていい子でね、誰とだってわけ隔てなく話をして、あんたとえらい違いだわ。少しは見習った方がいいわ」

「うるせぇ、大きなお世話だ」

「あんたにも好評なら、今度からひいきにしようかね」

「好きにしろ」

「そうしますよ」

 黙々とイクークとライスをかきこむマサを見ながらハーナは微笑む。



 6.



「あれから一週間ですか」

 手帳を見つめながらシュトライゼは呟く。

「どちらも頑張りますね。本当に頑固だ」

 少女はあの日以来毎日、商いも休まず、その後で工の地区を訪ね店の前でマサを待つ。

 昨日からはクロッセ・アルゾンも一緒になってマサの工房に出向いている。

 人が集まりだしていた。

「私もそれは同じか」

 少しずつ動き始めている。

 シュトライゼは微笑みながら、港湾地区へと向かった。


 少女とクロッセは今日もハルトの工房の前に座り込む。

 ひさしもない炎天下、路上で、ひたすらマサが出てくるのを待つ。

 フライパンのように熱い石畳の上、降りそそぐ太陽の下でずっと。

 根競べである。

 日が経つにつれ工房の周囲にはギャラリーが増えていく。

 遠巻きにではあるが、様々な視線が少女を見つめていた。

 路地の隅から、向かい側の工房から、興味津々見つめる者もいれば、ニヤニヤほくそ笑んでいる者、陰口をたたく者、憐れむ者、それぞれの想いや思惑があった。

 最初の頃は近所の人が何気に眺めていくだけだったが、徐々に工の地区以外の者も見受けられるようになってきた。

 その数は日に日に増えている。

「お前らたいがいにしろよ!」

 轟きわたるような声だった。

 もともと通る声だったが、作業場で怒鳴り続けていて更に声が大きくなっていた。

「嫌がらせのつもりか、人まで集めやがって」

「そんなつもりはありません。ただあたしの話を聞いてもらいたいだけです」

「聞く気はねぇ! 誰がお前らの話に耳を傾けるってんだ!」

「それに、あたしは工の頭の口からなぜ、旧区の人やトレーダーをきらうのか訊きたい」

「てめぇらになんでそんな話までしなきゃならねぇんだ!」

「あたしができることをしたいから。それにただきらいだといわれただけではあたしは納得できない」

「てめぇが納得したらもう二度とおれの前に現れねぇって言うのか?」

「あたしやクロッセが嫌われる原因であれば、そうします。ですが、ただ旧区だトレーダーだというだけでは納得できません」

「どうしてだ! 生理的にもお前らは虫が好かん! その図々しさもな!」

「ずうずうしいのは百も承知です」

「はっ! 認めるかトレーダー風情が! てめぇらやヴィレッジが勝手なこと言いやがるから、おれたちは先祖伝来の土地を捨てなければならなかったんだ!」

「その話は聞きました。ですが、あたしたちトレーダーにはまったく違う話が伝わっています」

「どういうことだ。てめぇらの所業を棚に上げて勝手なことをほざくな!」

「勝手なことなのかは誰にも判りません。もう二百年も三百年も前の話です。誰も当時のことを知る者は生きていません。工の頭もそうではないのですか?」

「たとえそうだとしてもだ、貴様らのせいで、こんな目にあっているんだ。恨み辛みを口にして先人は死んでいったんだよ。おれ達はてめぇらの非道を聞いて育ってきたんだよ」

「あたしもそうでした」

 石畳に座ったまま少女は居住まいを正し、工の頭を見つめる。

「なんだ、その目は?」

「あたしももの心つく前から、ズッとオアシスの人たちのことを地根っ子だと教えられ続けてきました。オアシスという外壁に守られて何もできない弱虫だと」

「なんだとぉ!」

「ロンダサークに来るまであたしはオアシスの人たちとはちがうのだと思い続けてきた。でもそうじゃなかった。クロッセはヴィレッジにいたというけれど、つき合ってみればバカで考えなしでひとりじゃろくな生活もできないやつだけれど」

「……おいおい……」

 クロッセは呆れ顔で抗議する。

「だけど、おもしろいし、あきない、ちがった視線でものごとが見れるようになった」

「だからどうしたってんだ」

「港湾地区の人たちだって、商区の人たちだって、あたしを初めて受け入れてくれた五十一区の人たちも、長老もみんないい人たちだった。なにも知らないでバカにしていた自分が恥ずかしくなってくるくらい。そして、こんなあたしを受け入れてくれる下町の人たちがいる。確かにあたしはトレーダーの生まれです」

 ざわめきが大きくなる。

「生まれは変えられないけれど、あたしはあたしとしてマサ・ハルトさんと話がしてみたい。そしてお願いしたい。だからこうしてここにいます」

「人を馬鹿にするのもたいがいにしろ! 受け入れられただぁ。トレーダーはトレーダーだ。ヴィレッジもな。そして信用ならねぇの変わりはねぇ!」

「トレーダーを信用してくれとはいいません」

「なんだとぉ!」

 ブチ切れた工の頭は工房の中に戻ると、砂の入った大壺を持ち出し、少女に向かって砂を浴びせる。

 埃や砂にクロッセは咳こむ。

 砂まみれになっても少女はそれを払おうともせず、マサを見つめる。

 その姿が更に頭の怒りに火をつける。

 がなり声が周囲に響き渡る。

 その声に更に人が集まりだす。

 人垣が二重三重に増えていく。

 工の頭をもてはやす者もいれば、少女に同情する者もいる。面白がっている大人達もいれば、泣き出す子供もいる。

「誰が、てめぇを信じるってんだ!」

 マサは集まった者達まで睨みつける。

「俺が信じるぜ」

 工の頭に負けない大きな声で人垣の中から進み出る者がいた。

「……親方……なんで……」

「俺が嬢ちゃんを信じるってんだよ」

「港湾のやつか!」

「お初にお目にかかるぜ、工の頭さんよ。俺はなぁ、コードイック・ドルデンってんだ。シルバーウィスパーの親方をやっている」

「その親方が、何の用だ?」

「ずい分とごあいさつだな。お前さんが好き放題言ってくれるから、こちとら切れかけてんだよ」

 大柄な親方はマサに負けじと睨み返す。

「なにか文句あるってぇのか」

「いいくらい年くったじじいが、なにガキみたいに喚き散らしてんだよ。嬢ちゃんのほうがよっぽど大人じゃねぇかよ」

「てめぇは、こんなガキが信用できるっていうのか!」

「ああ、信用するさ。てめぇと違ってな。いいかよーく聞きやがれ。嬢ちゃんはな、俺の船に乗って大人顔負けの活躍をしてくれたよ。シルバーウィスパーの乗組員全員がそれを知っている。それにだ、おれの船がもう二度と動けないって言われたのは覚えているよな! ここにいるクロッセ先生はシルバーウィスパーの大恩人だ。てめぇらが誰ひとり直せず、ヴィレッジすら見捨てた船を再生してくれたのは、誰あろうこの先生だ。ロンダサークのみんなが安心してイクークを食っていられるのは、誰のおかげだと思ってやがるんだ、ええっ、工の頭よ? おめぇらだって何もしちゃくれなかったんだぞ、あん時はなぁ」

「いや、それはぼくが好きでやったことだから」

「先生ょぉ、そこは黙って頷くところだぜ」

 照れ隠しに頭をかくクロッセに親方が突っ込む。

 周囲から笑いが漏れる。

「今もちゃんと船が動くのは先生のおかげだ。頑張ってくれている先生を信用できないっていうんなら、港湾の全員を敵に回すことになるぜ。先生だって、嬢ちゃんを信用しているからここにいるんだろう?」

「そうです。もちろん!」

「それにこの嬢ちゃんだって、俺たちにとっちゃあ命の恩人だ。漁のときに嵐の予測をしてくれた。そのおかげで船は無事、嵐を乗り切れた。こんな小さい身体で大人たちに交じって嵐の前には一生懸命手伝ってくれたよ。それに船の恩人、クロッセ先生が火の中に取り残された時、先生を救ったのは嬢ちゃんだ。そんなことがてめぇに出来るか! 船の中でも港湾でも誰とだってわけ隔てなくつき合ってくれている。どこの生まれだなんだと差別するてめぇと違ってな」

「何でおれがそんなことをする必要がある」

「かわいそうな奴だなぁ。その方が楽しいに決まっているだろうが、てめぇほどの阿保は見たことがねぇぜ」

「あんだとぉ、やるかこら!」

 にらみ合いは火花を散らす。

 一触触発の状態であった。

「お、親方」

 少女が声をかける。

「おっといけねぇ、あぶねぇ、あぶねぇ」

 握り拳を見つめたあと、慌てて少女に笑いかける。

「ふん、怖じ気づきやがったか」

「嬢ちゃんが我慢していなかったら、俺がてめぇを殴っているところだよ。ふん、稀代の名工だか何だか知らねぇが、ただのわがままな石頭野郎かよ」

「もう一度言ってみやがれ!」

「何度でも言ってやるよ」

「親方のいうとおりだよ、この石頭のとうへんぼく」

 さらに人垣から進み出る者がいた。

「ハ、ハーナ、なんでここに!」

 フライパン片手に腕まくりして仁王立ちするハーナがいた。

「まったく、テオが泣きながらやってくるから何事だろうと思って来てみれば、あんたは何やってんだろうねぇ!」

 ハーナの後ろで服にしがみつくように泣いている子供がいた。

 廃棄地区に遊びに来ていた子のうちの一人だ。

「おねぇちゃんいじめちゃいやだよ……」

「ああ、もうそんなことさせないからね」

 ハーナは優しく孫の頭をなでる。

「テオがね、大好きなお姉ちゃんがあんたにひどいことされているって、泣くんだよ。来てみれば女子に砂までかけて、大の大人が何やってんだい?」

「なにってだな……」

 ハーナの圧力に工の頭はタジタジだった。

「小さな子供をいじめて何が楽しいんだい」

「カギだろうがなんだろうが、こいつはトレーダーだ。おれたちの敵なんだよ」

「お嬢ちゃん、トレーダーだったのかい?」

「あっ、はい」

「な、なんだ、こいつのこと知ってるのか?」

「油売りの女の子だよ。先日話しただろう、あんた」

「あっ? ああ」

「いい子じゃないか。元気で明るくて、無愛想なあんたよりもずっと親しみが持てたよ」

「商売だからに決まってるだろうが、商いの連中はな笑顔で人を騙すんだよ。そんな奴らになに騙されてんだよ」

「そんなわけないでしょう。この子の真剣な顔を見てればさ。それともなに、わたしにはそんなに人を見る目がないっていうのかい?」

「そ、そういうわけじゃあねぇが……」

「あんたを選んだわたしの目は節穴だってことだね」

 ハーナの迫力の前に後ずさっていくマサだった。

「ねぇ、あんた。トレーダーだなんだっていう前に、少しはこの子の話をきいてあげたらどうだい」

「おめぇまで何言ってやがる!」

「あんただって本当は、この子の話をもっと聞きたいんだろう?」

「な、なんのことだ」

「長年連れ添ったんだから判るわよ。名工だなんだっておだてられて、極めてしまったその技も、結局はさ、腕の振るいようがなくてくすぶっていたんだよね」

「それもこれも、ヴィレッジやトレーダーのせいだ」

「そんな大昔のことに縛られて、後悔したってしかたがないだろう。まったくなに考え込んでいるのかと思ったら、この子の話だったんだねぇ」

「う、うるせぇ!」

「ごめんね、お嬢ちゃん」

 ハーナは少女に向かって微笑む。

「こんな石頭で頑固で素直になれないろくでなしでさ」

「あっいえ」少女は唖然としながらも首を横に振る。「頑固な人たちはたくさん見ていますから」

「そういってくれると助かるよ」

「言いたい放題言いやがって、おめぇはどっちの味方だ!」

「決まってるじゃない。この子の味方よ」

「あ、あの……」

「お嬢ちゃんも、黙って見ててね」

 それは有無を言わせぬ笑顔だった。

 少女も気圧されてしまう。

「これだけ言って判んないなら」

「……何だってんだよ……」

「わたしが立ちあうから、きちんとこの……、え~と、名前なんて言ったっけ?」

「エアリィです、ハーナさん」

「エアリィちゃんの話を聞きなさい!」

「い、いやだ」

「なんですってぇ! わたしの話が聞けないっていうの?」

「誰が、トレーダーの話なんか聞けるかよ」

「この期に及んで何、意地はってんのよ」

「おれにだって意地があらあな」

「そんなもんのために後悔したってしょうがないじゃない、だったらどうやったら聞くってんだい」

「そ、そうだなおれの言うこと聞けばな」

「……あんたは本当に大人気ない。」

「話を聞いてもらえるのだったら、それでもかまいません」

 少女は答えた。

「エアリィちゃんも、このバカの言うことなんて本気にしない方がいいわよ。無理難題押しつけて逃げようっていう魂胆なんだから」

「逃げよう、たぁなんだ」

「逃げてるじゃないか! 二度と顔を出すな、なんて言ったらただじゃ済まないからね」

「そ、そんなことは……」

 図星だったらしい。

「なんでもやります」

「けっ、だったら、おれと工芸品の勝負でもするっていうのか」

 少女の真っ直ぐな目に、工の頭は鼻を鳴らしながら呟いた。

「あんたは!」

 ハーナがマサの頭をひっぱたいた。

 鈍い音が周囲に響く。

「やります」

「な、なんだとぉ! こ、こいつバカにしてんのか!」

 マサは頭を抱えながらも少女を睨む。

「エアリィちゃんも、このバカの言うことは真に受けなくていいんだよ」

 周囲の方が慌ててしまっている。

 しかし、少女はまっすぐに工の頭を見つめ続けるだけだった。

「それは面白い勝負ですね。私が立会人をやりましょう」

「シュ、シュトライゼ、何でこんなところにいやがる!」

 現れたのは、商工会議所の顔役シュトライゼだった。

「私が立会人となって二人の勝負を見定めさせていただくということですよ」

「おれはそんなことを言ってるんじゃねぇ!」

「勝負といったら立会人が必要でしょう。それを商工会が買って出ようというのです。いい話じゃありませんか」

「てめぇ、商工会だぁ、なに考えてやがるんだ!」

「あなたがトレーダーを嫌悪されているようでしたから、少しでもお役に立ちたいと思いましてね。公式の場できちんとけりをつけられるようにして差し上げようと思った次第ですよ」

「なにをいけしゃあしゃあと言ってやがるんだ。そんなことこちとら頼んでねぇや!」

「ここにいらっしゃる皆さんは全員聞いていましたよ。それとも工の頭ともあろうお方が、自分の言葉に責任を持たないと?」

「そ、そんな訳ねぇだろう」

「それでは決まりですね。エアリィさんもよろしいですか?」

「はい」

「はいってなぁ、嬢ちゃん、止めるんだったら今のうちだぞ」

 親方やクロッセが慌てて止めようとする。

「なんで?」

「お前、工芸品なんて作ったことがあるのかよ?」

「ないわ」

「そ、そんなんで、稀代の名工に挑むなんて、無茶だよ」

「無茶かどうかはやってみないとわからないじゃない?」

「そ、そうは言ったってなぁ……」

「どのみち、あたしには選択権なんてないわ」

「そういうことです」

 シュトライゼは微笑む。

「このままでは堂々巡りもいいところですからね。ここらへんで白黒つけた方がいいでしょう。そうであればお互いにあきらめもつくでしょう」

「お、おれはやるといってないだろうが!」

「ほお、こんな少女を前に自分の得意分野での勝負事から逃げますか?」

「おれは逃げも隠れもしねぇ!」

「だったらいいじゃありませんか」

「だが、こいつ、まったくの素人だっていうじゃねぇか」

「素人だからってバカにしない方がいいですよ。なにせエアリィ嬢はベラル・レイブラリー師も認めたお弟子さんですから」

「……弟子じゃありません……」

 少女は聞こえないように呟いた。

「ベラルが認めただとぉ?」

「そうですよ。さて、ここにいる皆さんが証人です。商工会より場所や日時内容は布告します。マサ・ハルト氏とエアリィ・エルラド嬢の立会人として私シュトライゼ・グリエがこの勝負を預かります」

 シュトライゼは群衆に向き直り、高らかに宣言する。

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