第6話 見てんじゃね−よ

 アッキちゃんから、話を聞きたい。反応が欲しい。

 

 直感として、この件はこれから詳しく説明されることは無いような気がした。

 過激なファンがついているっていうのは、Sin-sとしてイメージがいい事ではないし、そもそもアッキちゃん以外の人はぴんぴんしている。液体を浴びたらしい女の子がいい例。

 

 まあこの子が虚言ヘキだっていう線もあるけど、そうだとしたら演技派すぎるでしょって思う。そのくらい彼女のツイートは混乱を極めていて追いにくかった。

 

 地下アイドルの運営に、これ以上の説明を求めるのは無理かも、なんて気もする。

 Sin-sのプロデューサーであり【強欲】担当でもある#name#は悪い子じゃないけど、Sin-sの成功が第一で、コンセプトにはまる女の子を集めて物語を付与したっていうだけだから。

 

 もしアッキちゃんが表向き沈黙しちゃったら、あたしは何も知りようがない。

 他のファンと同じ発言をして、毒にも薬にもならないリプライをつけるだけのいちご大福じゃ、きっとアッキちゃんは何も反応してくれない。


 毒虫アカウントを動かすしかないと思った。

 アッキちゃんが確実に見て、反応してくれるのは、なぜかあの気持ち悪い毒虫アカウントなのだ。

 

 

  毒虫@dokuhakiuzimushi

  推しに会わないうちに推しが消えたら嫌だ


  毒虫@dokuhakiuzimushi

  復活して復活して復活して


  毒虫@dokuhakiuzimushi

  復活してよ、絶対凸るから

  知らないことだらけのまま消えられたくない

 

 

 衝動的にツイートを連投した。

 

 居ても立ってもいられなくなって、あたしは夜の街に出ることにした。

 ライブ会場の前まで、とりあえず現場に行かないと気持ちが収まらない。


 会場までのルートはずっとイメージトレーニングしてきた。しっかり頭に入っている。

 まさか初めてのライブ参戦前に、こんなことになるとは思わなかったけど。

 

「もえちゃん、ご飯あっためる?」

 

 階段を駆け下りるあたしに、お母さんがリビングから声をかける。

 帰ってからずっと眠っていたし、起きてからは事件の情報を漁っていたから部屋にこもっていて、夕ご飯を食べてない。

 

 急に自分の空腹に気づいてしまったけど、もう止められない。

 

 あたしは、初めての「現場」ってやつを体験しにいく。そこにもうメンバーもファンもいない。

 でもそんなの関係なかった。アッキちゃんにつながるものなら何でも良いっていう動機。それだけがあたしを動かした。

 

「ごめん、ちょっと友だちに会いにいく! 試験勉強!」

「ちょっともう9時前だよ! お父さん、もえ止めてよ!」

 

 シンクの水を止める音と、テレビがザッピングされる音。お父さんが落ち着き無くテレビのチャンネルを回しているらしい。

 止められる前に、と急いで靴を履く。しわくちゃの制服のままだけど関係ない。

 

 帰ってきたときのまま玄関に放置されていたリュックは、ノートや教科書でずしりと重い。でも関係ない。

 肩にかけると、お父さんが居間から出てくる前に急いでドアを開けた。

 

 後ろで、「まあ、いいんじゃないか。友だち付き合いもあるだろ。勉強なんて熱心じゃないか」とめんどくさそうに言うお父さんの声がした。

 これでお母さんの怒りの矛先は、お父さんに向くはずだ。ありがとう、全てにやる気のないお父さん。あたしの陰キャってあなたの遺伝では?

 

 

 山手線から降りたときに気づいてしまった。あたし、制服のままだ。

 夜の11時をすぎることはさすがに無いだろうけど、もしなにか聞かれたらどう答えたらいいのか分からない。

 あたしは地下街の雑貨屋で、適当なねこの絵のTシャツを買って着替えた。

 せめてものメンバーカラーで紫を選ぶ。2000円+税の出費はお財布に結構なダメージだ。

 

 ライブハウスのある道玄坂に立ち入って、Tシャツに着替えたのはいい判断だったと思った。


「ホ、ホテル街じゃん……!」


 道を行くのはカップルと酔っ払いばっかり。酔っ払ったカップル、というパターンもある。

 できるだけ動揺を表に出さないようにしながら、グーグルマップを見つめてライブハウスに向かって歩く。

 

 近づくにつれて、マップを拡大していく。ライブハウスの向かいも隣もラブホテルだってことに気づいた。


「うわあ、ライブハウスってこんなとこにあるんだ……」


 アッキちゃんたちがどれだけ輝いて見えても、いまはまだ地下アイドル。ライブハウスでの活動を応援しないといけないんだ。茶の間してる場合じゃないんだ。そんな思いを新たにした。

 

 だからこそ、アッキちゃんにはちゃんと復活してもらいたい。

 ここが、最後にアッキちゃんが立った舞台にならないように。


 そう思って顔を上げた先に、地下にライブハウスが入っている商業ビルがあった。

 ビルの前は閑散としていて、チューハイの缶が転がっている。

 

 外側にも、ビルのエントランスにも、自動販売機が立ち並んでいる。

 ビルの柱に巻かれたスチールが、景色を歪めて写している。そこに紫色のTシャツを着たあたしが、ムンクの叫びみたいに歪んだ形で写り込んでいる。

 

 静かだった。看板に書かれたSin-sの文字だけが、今日ここでアクトがあったということを知らせている。


 

  毒虫@dokuhakiuzimushi

  来てみたけどどうしていいか分からない

  茶の間の無力さ


 

 向かいのビルの影でツイートしたところで、お腹が鳴った。こんなときにもあたしの内蔵は、いつも通りに働こうとする。自分の健康さが恥ずかしい。

 お腹を鳴らし続けているわけにもいかないし、ジュースでも飲もうかな。とライブハウスの入り口前に並ぶ自販機に向かって足を踏み出したときだ。


 スマートホンが通知を告げた。

 さっき投稿したばかりの毒虫ツイートにいいねがついている。アッキちゃんからだ。


「え? え? もうツイート見られるの? じゃあやっぱり怪我したっぽい情報はウソ?」


 動揺して道の真ん中で足を止めたあたしの視界の端で、なにかがうごいた。

 自販機の陰に、アッキちゃんが居た。


「アッキちゃん、だ」

 

 もともと自販機に向かおうと道路を横断していた足だ。動き出した力のままに、一歩、二歩、と足を進めればアッキちゃんのところにたどり着く。

 着いていいのか迷いながらも、動き出したものを止めるだけの力はすぐには湧いてこない。


 アッキちゃんの先にある自販機を目指すふりをして、ゆっくりと彼女の前を通過する。

 アッキちゃんの顔の右半分が、長い髪で覆われていた。

 

 髪に隠されていない方の、左側の目はいつもの囲み目メイクじゃない。すっぴんなのかな? と思った。

 

 すっぴんっぽくても、きれいな顔立ちなのはよく分かった。目だって、はっきりとした二重の、吊り気味のアーモンドアイだ。瞳も大きくて、光を吸い込んできらきら光っている。

 

 そう、瞳に目が行って、あたしは立ち止まった。

 

 彼女の瞳が真っ赤になっていた。真っ赤な目、と比喩で言うときには、白目の充血をさすものだけれど、この場合の真っ赤は比喩じゃない。眼球が、白兎みたいに赤いのだ。

 それにまつ毛も白い。

 はじめはノーメイクだから目元がぼやけているのかと思ったけど、よくみたら白鳥の羽根みたいに白くてふわふわした、でも密度の高いまつげが生えている。

 

 アッキちゃんはいつも大きな黒のカラコンをつけていて、それが若干浮いていると陰口で言われることもある。正直ファンから見ても、もっと自然なカラコンにしたらいいのにとは思うけど、アッキちゃんが選んだものだから文句はなかった。


 ――イメチェンで、赤のカラコンにした、とかかなあ? でもなんでこのタイミングで?


 足が完全にとまって、あたしは知らず知らずのうちにアッキちゃんを凝視していたらしい。

 しゃがみ込んだままのアッキちゃんが、あたしを見上げて、睨みつける。血色を失った真っ白な唇が動いた。


「見てんじゃねーよ」


 音にならないくらいの声で、でもそう言ったんだなって分かるくらいはっきりと口を動かして、アッキちゃんは言った。

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