第199話 巫女と見習(4)

 秋人あきとが内風呂を通り過ぎ、脱衣の場に来ると、浴衣が置かれていた。


(そうか。着るものは汚れているから、持って行かれたんだ)


 鋼色はがねいろ浴衣ゆかたそでを通す。スルリと湯上りの肌を撫でて身体を包み込むのは、バスローブよりも心地よかった。


 隼斗はやとれんがあとから入ってきた。隼斗も秋人と同じ色の浴衣に袖を通した。さらに一枚浴衣が置かれている。淡い黄緑色の可愛らしい浴衣だ。おそらく漣のために置かれたものだろう。漣は、しばらく眺めたのち、やおら裸になり浴衣を手に取った。


「隼斗さん行きましょう」


 秋人はまだおびを締めていない隼斗の手を引っ張ると、部屋を出ていった。


「おいっ、どこ行くんだよ」


 秋人の勢いに隼斗はグイグイと腕を引っ張られている。


志希名しきなさんに聞くんですよ。あの封印ふういんをしたのはなぜか。それに誰なのか」

「そりゃあ、お前もう分かったんじゃないのか。漣が話していたろ。志希名の婆さんじゃなければ、巫女とやらじゃないのか。それに、なぜって。呪とやらを外に出さないためじゃないのか」


 隼斗が引っ張られている手をグッと止めると、秋人は足を止めた。


「確かにナナガシラに鎖を巻いたのは、僕も巫女だと思います。でも、その理由が果たして呪を封印するものなのでしょうか」

「どういうことだ。違うのか」


 隼斗の問に秋人が振り向いた。


「納得できないことがあります」

「何かあるのか?」

「あります。そもそも……」


 秋人が思うことを打ち明けようとしたとき、奥から漣の声が届いた。


「あー、いたいた。慌てて出て行くなんて、つれない奴だな。おや、お前らけっこう仲良いな」


 淡い黄緑色の浴衣を身に着けた漣が、小幅でシトシトと近づいてきた。浴衣姿の漣は、どう見ても普通の明るい女の子である。


「仲? いいわけないだろ」

「じゃあ、その手は何だ」


 隼斗が「何を言ってるのだ」という顔をすると、漣は繋がれている手に視線を注いだ。二人はようやく異様な状態に気づき、バッと飛び退いた。


「変な奴だな。それより、志希名はこっちだよ」


 漣が先頭になり、二人を案内した。歩いていく廊下の外からは、虫の音が聞こえていた。


 漣が案内した先は十畳の広さの部屋であった。部屋には志希名が座って待っていた。


「上がったか。そこに座るがよい」


 志希名が示した場所には膳が三人分用意されていた。三人は志希名に言われるがまま、膳の前に座った。


 膳の上には、山菜の天ぷら、吸い物、ジャガイモの煮物、イワナの刺身、瓜の漬物、雑穀米の御飯が並べられていた。


「傷はえたであろう。じゃが、栄養も取らねば山では、動けぬ。食うがいい」


 秋人と隼斗は顔を見合わせながら、箸を取った。だが、漣は箸を取ることはなく、座ったまま動かなかった。


「山の神のしもべである天狗は、他の神の食べ物は受けられぬか。心配するな。その料理は、山の神の巫女が作ったもの。食ったところで、取り込まれはせぬ」


優里ゆりが作ったもの。里子さとこの血を受け継いだ巫女)


 志希名のゆっくりと諭す言葉に、漣は里子を想いながら箸を取った。


 三人は箸を持つと吸い物を口にした。不思議なことに、同じものを同様な仕草で食べている。隼斗は一口飲んで、パッと目を輝かせた。


(うまい。出汁だしの味がシッカリと出ている。しかも微かな日本酒の香りが、味をより深くしている。具は三つ葉とだけのシンプルなものなのに、街の高級料亭にも負けてない)


 秋人も隼斗と同じように一口飲み、椀を見つめていた。漣は静かに椀を置いた。三人の食べる姿は、整っていた。驚いたのは隼斗の箸使いが綺麗であることだった。もちろん秋人と漣も同じように美しく使っていた。ガツガツ食べるイメージの隼斗だけに、意外な光景である。秋人は驚いた顔で隼斗を見ていた。


「なんだよ。ジロジロ見るなよ。箸をきちんと使うのは、料理への敬意なんだよ」

「そのとおりだと思うよ。でも、意外な感じがして」

「お前なあ。俺を何だと思ってるんだ。ガキの頃はそれなりに教わることもあったんだよ。いまはもうないけどな」

 

 秋人は、隼斗の言葉に箸で摘まんでいたジャガイモを落としてしまった。


(もしかして隼斗は、親を亡くしているのか)


「お前、食い物を粗末にするんじゃないぞ」


 隼斗はイワナの刺身に箸を伸ばしながら、「うまい」と満足な笑みを浮かべていた。


「ごめんなさい」


 秋人は、慎重に箸を使い落としたものを口に運んでいた。


「お前たちを見ていると、似た光景を思い出したわ」


 志希名は笑みを浮かべ、二人のやり取りを見ていた。


「似た光景ですか?」


 秋人は箸を置くと、志希名に訊ねた。


「そうじゃ。真那子まなこ静南しずながここで食事をした。静南はひどい虐待を受けて、山に捨てられた子供じゃった。それを真那子が助けてここに連れてきた。初めてここで食事をした時、幼い静南は同じように芋を落とた。虐待の恐怖が蘇ったのじゃろ。静南は震え固まっていた。そのとき真奈子が、いまのお前のように優しく声を掛けて、笑っておったわ」

「その二人はもしかして、鉄鎖の神の巫女ですか」


 秋人が話の本題に入ろうとするところに、志希名はそれを察した目を向けていた。


「氏神の巫女は一人しか存在せぬ。ゆえに二人が巫女として存在することはない」

「では、巫女は真那子さんですか」

「そうじゃ。あれが真那子じゃ」


 志希名が右を向き壁の上の方を見た。秋人たちも志希名が見る先に顔を向けた。一枚の写真が額に入り、掲げられている。その写真には、一人の少女が写っていた。長いツインテールの髪が印象的だった。笑みを浮かべた顔に、優しさを滲ませるハッキリとした瞳は人柄を感じさせるには十分な魅力があった。


 秋人だけでなく、隼斗も漣も箸を止めて見とれていた。


(紺のブレザーに朱色のネクタイ。城北門校の制服だ。この人が巫女というのなら)

 

「志希名さん。教えてください。真那子さんがナナガシラを鎖で封印したのでしょうか」


 秋人はここぞとばかりに、志希名に本題を聞いた。


 志希名は予期していたという表情で聞いていた。


「違うのう。真那子ではない。封じたのは、静南じゃ」


 志希名の答えに、秋人は口をキュっと引き締めた。


(なんだろう。この胸騒ぎは。そう、何か少し答えが見えたような気がする)


 部屋には沈黙という間が流れていた。

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