第164話 鶴と烏(9)

 雪神が木陰こかげで青色に輝く空を眺めていると、遠くから甲高かんだかい鳥の鳴き声が響いてきた。視線を落とすと、白い着物と黒髪の少女が立っている。夕帰魅ゆきみである。静かに立っている夕帰魅は、大人しく従順な雰囲気を漂わせているが、表情は複雑であった。


 雪神がフッと笑った。というのも、夕帰魅は、雪神よりしかりを受けるのではと弱気な顔色をしながらも、何気に不満を含めた色も持っていたからだ。


「夕帰魅、私はなにも怒ってはないですよ。そんな顔しないでよ」

「はい」


 おどけた口ぶりの雪神に返事をすると、夕帰魅の表情が少し緩んだ。だけど、まだ不満げな色は残っており、何か言いたそうな目で雪神をチラリと見た。


 全てお見通しである雪神は、その表情に吹き出しそうになるのを必死で堪えながら、静かな表情を整えた。


「夕帰魅、何か言いたいことがあるの?」


 雪神は夕帰魅にとってあるじであるが、まるで後輩や妹に向かって言う口ぶりである。雪神の言葉に夕帰魅は、ねたような表情をすると口を動かした。


「雪神様はなぜあの者に神衣かむいを授けたのですか。いや、神衣だけでなく雪神様の力を込めた強力な武具まで」

「ああ、そのことですか」


 雪神が、かまととぶった態度で返事をした。


「それは、私が必要だと思ったからです。れん神命しんめいを受けてここに来ました。私はその神命を与えた神を敬愛けいあいしています。その神の想いをげさせるために与えました」


 夕帰魅は、雪神の言葉を自分に納得させようと下を見つめ、押し寄せる感情に耐えていた。


(夕帰魅、分かっていますよ。あなたが、ナナガシラの沼の地の人を助けようとするれんに心を乱されたこと)


 雪神は『さて、どうしたものか』と笑みを浮かべた。


「そう言っても、夕帰魅は納得できないでしょう」


 雪神が言い聞かすように答えると、夕帰魅は顔を上げ、恐れ多いと首をふった。


「実のとこ、漣に力を与えたのには、もう一つ理由があります。漣は、私に礼を伝えました」

「礼ですか」

「はい。私はその礼を受けました」

「あの者は、雪神様になんと言ったのです」


 あるじである雪神に無礼があれば許さないとばかりに、ゆるやかな少女の唇を引き締めた。


「漣が私に伝えました。『夕帰魅を助けていただき、ありがとうございます』と」


 雪神の言葉を聞くと、夕帰魅はカッと目を開いた。


「なぜ、あの者がそのようなことを」

「ここに来るまでに、冬の神に夕帰魅の話を聞いたようです」

 

 夕帰魅のなかに怒りとも悔しさとも言えぬ感情が、一気に押し寄せてきた。いまからでも後を追い、漣をほうむりたいという想いが胸のうちにこみ上げてくると、ギュッと手を握りしめた。


「なぜ、あの者はそのようなことを・・・・・・同情ですか」


 夕帰魅の目が怒りで震えていた。情けを掛けられたくない相手だけに、いっそ己の身を引き裂きたいとさえ思えた。


「どうでしょう。全くないとは言えないかもしれません。でも、果たしてそれだけでしょうか。夕帰魅も知っているでしょう。神命しんめいを受けた者が、めいにない言動げんどうをとることは大きな罪です。もちろん、漣も分かっていたことでしょう。それなのに、私に礼を伝えました。それは、単なる同情だけでできることでしょうか」


 雪神の声に夕帰魅の目が少し柔らかくなった。


「同情だけで、果たして神命にない言動をとるのでしょうか。私の神命であれば、夕帰魅は確実にめいまっとうすることでしょう。もちろん、それは正しいことです。私が言いたいことは、行動の優劣ではありません。ただ、漣は夕帰魅と出会えたこと、その機会を得たことに自分の言葉を伝えたのです。正しいことか、間違いなのか、それを考えるよりも先に私へ礼を伝えたのです」


 雪神の瞳が銀色に輝くと、夕帰魅は引き込まれるように見上げていた。


「山の神のしもべである烏天狗からすてんぐは、古くから人を助けることをつとめとしてきました。漣もその務めを果たしていくことでしょう。あるじである山の神を救うため、いま漣は一人で動いています。この先、大きな試練があったとしても漣は乗り越えなければなりません。そのために再び夕帰魅とやいばを交えることがあったとしても、漣はあなたを受け入れ、自分で考え、道を見つけていくことでしょう。その覚悟が、漣にはあるのです。あなたが言う『同情』だけでそのような覚悟ができるのでしょうか。私は漣に、なぜ礼を述べたのか聞きました。漣は最後にこう言いました。『もう一度会ってみたいと私の心が伝えました。頭では分かりませんが、心がそう叫びました。ですから、夕帰魅の御霊みたまを護ってくれたこと。有難ありがたく思いました』と。」


 雪神を見上げていた夕帰魅は、素早く下に顔を向けた。見えているはずの華が霞んで見えなくなっていた。長く感じたことがなかった温かく、切ない気持ちが夕帰魅の中で狂おしいほど渦巻いていた。


 うつむいたまま動かぬ夕帰魅を見つめ、雪神は優しく声をかけた。


「夕帰魅。あなたにお使いをお願いします。この札をユウナミの神のもとに届けてくれますか」

 

 雪神は六華りっかが三つ連なった白い札を、夕帰魅に手渡した。


「事は大事になります。くれぐれも気をつけて。それと、これは神命でもなければ頼みでもありません。お使いです。これも、人を助けることになります。私が動くのは、人を助けるためではありません。水面みなもの神の想いを遂げるためです。結果として、そうなるだけですが、それには大した意味はありません。大切なのは自分が何のためにどう動くかだと、私は思います。さて、夕帰魅はどうでしょう」


 雪神が妹を慰めるように言うと、夕帰魅は立ち上がり、鶴の姿になった。


 クォーン


 美しい声を上げたのち、札を咥え、雪神に頭を下げると美しく羽ばたき飛びたっていった。


 雪神は、優しい瞳で飛び立った鶴を見送った。


(そう、私は水面の神の為に動きます。たとえ、水面の神がアマテの神を討てと言ったとしても躊躇ためらいはしません。紗雪さゆきは喜んで討ちましょう)


 再び白い着物姿となった雪神は、漣が向かった欅のもとへと歩き始めた。

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