第2話 形見
勘太郎は、心を決めた。鏡池の言い伝えの真相を、一人で確かめに行くのだ。
例え平次郎の嘘だったとしても、構わない。池に行って帰ってくるだけのことだ。化け物なんて、作り話だろうから。
朝食後。祖母には昨日と同じ川で釣りをすると伝えた。
「鏡池には、近づいちゃだめだよ。決して。」
真面目な顔で釘を刺す祖母にドキリとしつつ「わかってるよ。」と嘘をついた。
いつも通り母の形見であるきれいな石を小さな巾着に入れたものを首からぶら下げ、釣り道具を持ち、家を出た。
首から下げた母の形見の石は、元々は父の物だったそうだ。父は子供の頃、村の河原でたまたまその白くなめらかな小さな石を見つけたらしい。見つけた石を父はずっと大事に持っていたが、結婚するときに母に贈ったのだそうだ。
鏡池は林を抜けた先にあるという話だった。勘太郎は林の入り口の木の根元に釣り道具を置いた。
林の中にはうっすらと道らしきものがあった。今でも通る人がいるのだろうか。
歩みを進めていくと、段々と音がなくなっていった。はじめは猿や鳥の鳴き声が響いていた林の中だが、今では自分の草を踏み分ける音と呼吸の音しかしない。川が近くを流れているはずなのに、せせらぎも聞こえない。
異様な雰囲気だった。
祖母の言葉が頭をよぎる。勘太郎は何度か引き返そうかと考えたが、昨夜見た夢が彼を突き動かした。もう一度、あの温もりを現実に…。
唐突に林が終わり、鏡池は現れた。勘太郎は足をぴたりと止めた。
水面は水ではないかのように真っ平らで、本当に鏡のようだった。田んぼ一反程の広さの歪な円形の池に周囲の景色が映し出されており、逆さまの世界があった。不気味な静けさの中にあるその美しさに、勘太郎は息を飲んだ。
ゆっくりと池の縁へと近づく。風はなく、相変わらず何の音もしない。
勘太郎はそっと水に触れてみた。ひやりと氷のように冷たい。水は澄んでいるが生き物の気配はしない。
すると、突然、水面が眩しい光を放った。勘太郎は思わず目を覆った。しばらくして、そっと腕を下ろすと、目の前には二人の人の姿があった。
「おっかあ、おっとう…!」
二人は寄り添うように並んで立ち、勘太郎に手を差し伸べている。生きていた時のままの姿だ。
勘太郎は一歩、また一歩と近づく。あと少しで手が届きそうなのに、届かない。
母の優しい笑顔、父のごつごつとした頼もしい手、あと少し…!
また母の作る料理を食べたり柔らかな腕に抱かれたりしたい。父と魚を釣ったり仕事のことを教えてもらったりしたい。
とにかく、二人に触れたい。一緒に暮らしたい。勘太郎は歩調を速めた。
もう目の前だ。きっとあの手を取れば、それが叶う。精いっぱい腕を伸ばして進む。もう少し…!
「勘太郎!」
「行くな!」
自分を呼ぶ声がし、突然、勘太郎の胸のあたりが焼きごてを当てられたように熱くなった。慌てて胸のあたりを触り形見の石の入った巾着を取り出した。
一瞬の出来事で熱はもうなく誰の声もしない。はっとして目を上げたが、もう母と父の姿はなくなっていた。
勘太郎はぞっとした。気付かない内に、胸の辺りまで水の中に入り込んでいたのだ。慌ててジャバジャバと池から上がり、林の中へ駆け込みもと来た道を走った。
動物達の鳴き声や木々のざわめきが聞こえ始めて、ようやく勘太郎は足を止めた。呼吸が苦しい。息を整えながら、先程の出来事を思い返した。
あの姿は…化け物が見せたものなのだろうか。それか、化け物自身?
喰われるというのは、池に溺れさせられるということ?
色々と疑問が沸き上がったが、確かなことがあった。
勘太郎を止めてくれたあの声、あれは母と父の声だった。間違いない。巾着の中の石を取り出してみたが、ひやりと冷たくなんの表情も見せない。特に何も変わったところはなかった。
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