36 悪魔討伐:少女の決意

 戦いの音は少しずつ、アルテミシアの居る場所に迫っていた。


『これで定置魔弓も全滅だ。

 魔石はほぼ使い切り、後は障壁展開による捕獲の余力だけ残している』


 通話符コーラーからセドリックの声が聞こえている。

 通話符コーラーは電話や無線機のように、番号や周波数で通信相手を変えることはできず、作られたときから使い切るまで二枚一組だ。

 セドリックは指揮所にて、何枚もの通話符コーラーを並べて、必要に応じて起動し通話を行っている様子だった。

 レベッカだけはずっと繋ぎっぱなしにして、札が燃え尽きるたびに新しいものに替え、ずっとセドリックの言葉を傍受して戦況を把握していた。


『こちらマウルだ! アルテミシアに取り次げるか!?』

「聞いてます! 準備はできました!?」


 マウルの声がして、アルテミシアはそれに応えた。

 アルテミシアとレベッカは、何よりもまず悪魔の誘導という仕事があった。それに向こうは居場所が分かっているのだから、アルテミシアは迂闊に動いたら危険だ。

 作戦の準備は全て、防人部隊に任せきりで、必要なポーションの調合もマウルに注文して任せていたのだ。


『大方はできた。だが最後の一本だけ無理だ!

 あれは手元の材料では作れぬ!』


 はっと息を呑む。

 だが次の瞬間にはアルテミシアは決断していた。


「わたしは作れました。

 わたしに調合させてください」

『調合!? この状況でか!?

 ……分かった、何秒必要だ』

「90秒で支度します!」

『二ブロック先で左に曲がれ!

 そこの冒険道具屋に道具と薬草と、調合が済んだ分のポーションを届けさせる!』

「はい!」


 アルテミシアは弾かれたように走り出した。

 不思議なくらいに心が透き通り、迷いも恐れも無かった。


 *


「聞いたか!?

 全軍、なんとしても時間を稼げ! 悪魔を足止めしろ!

 だがなるべく死ぬなよ! アルテミシアが悲しむぞ!

 死ぬくらいなら後に続く者に任せろ!」


 指揮所では将軍セドリックではなくルウィスが、作戦机に並んだ通話符コーラー目がけ叫んでいた。

 セドリックはルウィスに出番を譲った。これはルウィスが為すべき仕事だ。


 *


 魔力を浪費させ追い詰める……と言っても、相手が悪魔ではそれだけで命懸けだ。

 攻め手を一瞬でも緩めれば致命的な反撃が来る。防御させ続け、防御で疲弊させるべきなのだ。

 だが相手は無限の再生力を持つのだから、生半可な攻撃では防御の必要性すら感じさせられない。生と死の狭間でギリギリの攻勢を続けなければならなかった。


 炎を裂いて、騎士が突撃。

 己の身を焼かれようとも構わず、悪魔に一撃を見舞う。


 それを受け止めた悪魔は、至近距離から反撃の魔法を一閃。

 炎が爆ぜて、騎士は蹴鞠のように吹き飛んだ。


『我ら、個にあらず! 我ら、孤にあらず!

 我ら、軍なり! 我ら、群なり!!』


 全軍に向けたルウィスの遠話が通話符コーラーから響いた。


 吹き飛ばされた騎士は……しかし身を守っている! 剣の裏に構えた護符が魔法を防いでいた。


 間髪入れず別の騎士が悪魔に打ちかかる。

 そこに悪魔は、魔法を使うでもなく、後ろ蹴り一発!

 重装の鎧を着た、体格も良い騎士が、木っ端のように飛んで転がった。


 *


 前衛の攻撃が途絶えた瞬間、魔法が打ち込まれる!

 巨大な氷柱の形をした魔法弾が、悪魔に……ではなく、悪魔の一歩手前に着弾。

 狙いが逸れたと思ったか、悪魔はこれに対応しない。

 だがそれは間違いだ。一瞬で着弾点を中心に広範囲の地面が凍り付き、悪魔の足すら氷の中に封じ込めた。


 狼狽えたのは一瞬。

 鎧の内から噴き出す炎が氷を溶かし、地に拡がった氷の塊の中から足を引き抜くのに、また一瞬。

 充分すぎる隙だ。

 宙に舞うは、崩れた建物の瓦礫から形成された金剛の鎗。それが降り注ぎ、悪魔を貫き、縫い留める!


『共に戦え! 共に生き残れ!

 我ら!! 仲間なり!!』


 焦れた様子で悪魔が手を掲げる。その手から天に光が駆け上がった。

 直後、集中豪雨の如き勢いで雷が降ってくる。悪魔を中心とした同心円状に、放射状に落雷が伝播し、周囲の全てを破壊する!

 魔法の氷は砕けて消え去り、金剛の鎗は消し飛び、雷に抉り取られた市街は瓦礫と化していく。


 だが直撃を受けた者は一人も居なかった。

 四重の魔法障壁が屋根となり、巻き込まれた者たちを守っていた。


 *


 遠く、山の端の空が、薄紫色に色付き始めていた。

 そんな空と同じ色のポーションを、アルテミシアは乳鉢から瓶へ流し込む。

 待機していた防人部隊の兵士はできたてのポーションを受け取ると、足早に出て行った。


 そしてそれからアルテミシアは、机に並んだ三本のポーションを一気飲みした。

 膂力強化ストレングス速力強化アジリティ金剛体マイトガード。こちらはマウルが調合しておいたものだ。

 身体強化系のポーションをアルテミシアが使ったところで焼け石に水かも知れないが、だとしても無対策で対峙するのは危険過ぎた。


 身体が奇妙に軽い。ポーションの効果だ。

 勇み足になって転ばぬよう、アルテミシアは意識的に、地を踏みしめて歩んだ。


『来るぞ』

「分かりました」


 セドリックとの会話は短かった。

 もはや、賽を投じるのみだ。


 調合室として勝手に借りた冒険道具屋をアルテミシアが出ると、辛うじて生き残っている魔力照明の街灯が、夜明け前の街を照らしていた。

 花壇の縁に腰掛けて、爪の手入れをしていたレベッカが立ち上がり、軒下に立てかけてあった大斧を担ぐ。


 夏の気配を孕んだ、ぬるい風が吹いていた。静かに散歩するにはうってつけの朝になりそうだ。

 だが街は静かではなかった。

 鎧の鳴る音がして、荒々しく無粋な足音がして、黎明の静寂を破る。


「追い詰めたぞ、通野ぉ!」


 苛立ちのためか、息も荒く。

 悪魔が姿を現した。


 炎は既に消え、後には煤けた鎧を着た男が居るだけだ。

 その鎧も激しい戦いで左腕部分の防具が欠損し、兜も欠けて、腹には穴が空いていた。

 それを見て、アルテミシアは……


 ほっとした。

 あまりに鎧が壊れていては、逆に面倒だったから。


「通野拓人は太平洋に飛び込んで死んだ。

 ……わたしはアルテミシア。

 力無き故によすがを繋ぎ、過去無き故に未来を綴る……ただの天才薬師」


 夜明けの一筋目の光が、アルテミシアの手を照らす。


 あなたは今現在……あるいは一生、全く無力な存在です。

 戦いに満ちたこの世界で、あなたにとって敵と戦うことは、厳に慎み避けるべき行為です。

 あなたの頭脳は明晰であり、危険から生還する手段を考えられますが、無力なあなたは僅かな油断や不運すらも死に繋がるでしょう。


「これから、悪魔退治を始めます」


 アルテミシアは剣を抜き、構えた。

 使い古され、刃毀れして乾いた血の付いた、安物の剣を。

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