第2話

 俺が彼女と話すことになったキッカケは、国語の授業中でのことだ。

 未だ教科書が届いていないという彼女に、国語の教師が隣の席の人に見せてもらいなさいと言ったので、その時初めて彼女は俺の方を見た。

 彼女の大きな澄んだ瞳に俺の冴えない姿が写っているのかと思うと、俺は、恥ずかしいようで緊張して、変な汗をかいてしまっていた。

 俺は、なるべく彼女の方を見ないように教科書を机の中から出して広げようとした。


 でも、あんまり緊張して焦っていたので、机の中に仕舞っていた読みかけの文庫本を一緒に出してしまい、床に落としてしまった。

 俺が、あっ、と言うのと、彼女が、あっ、と言うのは同時だった。

 俺たちの “あっ” が重なった時、俺たちは思わず互いを見つめ合った。

 彼女の黒い大きな瞳が驚いたように俺を見つめていて、俺は顔が熱くなるのを感じた。そのまま俺が動けないでいると、彼女がふっと前屈みになり、床に落ちたままの俺の文庫本を拾って、俺に渡してくれた。

 彼女は、右手で俺に文庫本を差し出しながら、左手で自分の耳に長い髪をかけて抑えていた。

 ちょうど彼女が少しだけ俺を見上げるような姿勢になり、俺をじっと見つめる大きな黒い瞳に、俺は魂を吸い込まれそうになる。

 ありがとう、という言葉すら言えず、文庫本を受け取った俺に、彼女が言った。


『何の本を読んでるの?』


 それを聞いた俺の心臓が大きく跳ね上がった。

 彼女の声は、ソプラノとテノールの間くらいの高さで、落ち着いていて、透き通った泉のように清らかだった。

 俺が落とした文庫本には、紙のカバーを掛けていたから、何の本なのか、外から見ただけでは分からない。

 格好をつけて、有名な小説のタイトルでも答えておけば良かったのだが、普段からライトノベルしか読まない俺は、咄嗟に作品のタイトルが出てこない。

 その時、ちょうど国語の教師に、早く教科書を開くよう注意されたので、俺たちは慌てて机を近づけると、間に俺の教科書を開いて置き、授業に集中することになった。


“本、好きなんだ ”


 彼女がノートの端っこに書いた文字を俺に向けて見せてきた。

 さっきの会話の続きなのだと気付いたけれど、それが俺に対して聞いているのか、彼女自身のことを言っているのか分からなくて、返答に困った。

 すると、彼女は、持っていたシャーペンの頭で自分の顔を指し示した。


“そうなんだ、オレも ”


 今度は、俺が自分のノートの端っこに書いた文字を彼女の方へ向かって見せた。

 俺は、何だか悪いことをしているような気持ちになって、胸がどきどきした。

 でも、見せてから、そんなことは、さっき俺が文庫本を持っていたことで彼女に知られているだろうと思い直し、俺は文字を付け足した。


“どんな本を読むの?”


 それを見た彼女は、にやりと嬉しそうな笑みを浮かべて、ノートの上で熱心にシャーペンを動かした。


“恋愛小説、ファンタジー、ミステリーとか、何でも読むよ。”


“すごい 読書家なんだ ”


“君は、どんな本を読むの?”


 俺は、少しだけ迷って、正直に事実を書くことにした。


“ライトノベル ”


 以前、俺が教室でライトノベルを読んでいたら、傍を通りかかったクラスの女子生徒たちにそれを見られて、彼女たちは、俺のことを軽蔑するような見下すような目で見たことがあった。

 ちょうどその時開いていたページに、露出の多い女の子のイラストが大きく出ていたから、変な誤解をされたのだとすぐに解ったけれど、僕が訂正する暇もなく、俺はクラスの女子たちから “暗いオタク” 認定を受けてしまった。

 だから、これを彼女に見せるのは、少しだけ勇気がいったけど、彼女は、そんなことを気にしないで受け入れてくれるような気がした。


“いいね。今度、君のおすすめの本、教えてよ。”


 その文字を見た俺は、なんだか胸がいっぱいになって、苦しくなった。

 大げさだと思われるかもしれないけど、生まれて初めて誰かに俺のことを受け入れてもれえたみたいに思えて、視界が霞んでしまい、彼女の顔を見ることが出来なかった。

 そして、やっぱり俺の想像通り、彼女は、クラスの他の女子生徒たちとは違うのだと思った。


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