【後編】

 ――UNA5648便、機内。



「ぐすッ」



 座席に取り付けられた小さな画面を眺め、金髪の男が涙ぐんでいた。


 画面に表示されているのは、浜辺で飼い主の少年と薄汚れた大型犬が再会を果たす感動シーンである。少年が両腕を広げれば大型犬は砂浜を風の如き速さで駆け抜けて、少年の胸に思い切り飛び込んだ。

 衝撃で砂浜に倒れ込んでしまった飼い主の上にのしかかると、大型犬は顔をベロベロと舐め回す。誰もが感動のあまり涙を流すことだろう。実際に金髪の男の涙腺も、今にも決壊しそうな勢いがあった。



「よかったねぇ、本当。再会できて本当によかったよ」


「うるさいですね、さっきからズビズビグスグス」



 男の隣で眠っていた黒髪の青年が、装着したアイマスクを親指で押し上げて言う。



「その映画、最後には全員死にますよ。津波で」


「何でネタバレするの!?」



 金髪の男が盛大なネタバレをかましてくれやがった黒髪の青年を睨みつける。



「お前さんには血も涙も人間の心もないの?」


「そこになければないですね」


「この野郎」



 盛大なネタバレを食らった影響で見る気が失せたらしく、金髪の男は座席に表示されていた映画を消した。ちょうど地震が起きて巨大な津波が発生する場面だったのだが、もう結末が分かってしまったので興味がなくなってしまう。


 電源が切れた小さな画面に、男の顔が映り込んだ。

 今まで感動の涙を流していた影響で涙の跡が頬に残り、翡翠色の瞳はまだ潤んでいる気配がある。無精髭を生やした顔立ちは精悍なもので、身なりを整えれば女性が放っておかなさそうな色気があるのだが、現状のままでは草臥れたおっさんという印象が先行しそうである。


 頬に残る涙の跡を砂色のコートの袖で拭った男は、



「何で日本映画って主人公に試練を与えて最後に殺すようなものが多いの? 俺、どっちかって言ったらハッピーエンドの話が好きなんだけど」


「最後に世界を浄化でもしているんですよ。心が抉れる物語は日本映画の醍醐味ですからね」


「日本人ってお前さんみたいに血も涙もない連中ばかりか」



 金髪の男が「ファック」と吐き捨てれば、アイマスクを再び装備して寝ようとしていた黒髪の青年が起き上がる。


 夜の闇に溶ける黒髪と黒曜石の双眸は日本人らしい特徴があり、顔立ちは儚げな雰囲気が漂う。男の言う通り、彼の出身国は日本で間違いない。

 ただ一般人と比べて、少しばかり突飛な服装をしていた。雨が降っている訳でもないのに彼は真っ黒なレインコートを身につけ、さらに細身のズボンや頑丈なブーツまで黒だけで統一されている。ほっそりとした指先も黒い手袋によって覆われており、徹底して露出を抑えていた。


 邪悪なてるてる坊主のような出立ちの彼は、男の目の前に置かれた画面を慣れた手つきで操作する。先程の犬と少年の映画から移動して、随分と可愛らしい見た目の魔法少女アニメ映画が選択された。



「じゃあこれ見てSAN値を削ってどうぞ」


「おい止めろ、これ知ってるぞ。徐々に全員が死んでいくアニメじゃん!!」


「何を仰いますか、シア先輩。こんなのまだ序の口ですよ?」


「これが序の口!? 嘘だろ日本!!」



 可愛い女の子が絶望しながら死んでいくアニメ映画がまだ序の口だとするならば、これ以上の絶望は一体何だと言うのか。日本人は絶望が好きすぎる傾向がある。

 再生ボタンに近づく青年の指先を、金髪の男は必死に押し留めた。このアニメは見てはならない、と男の中で警鐘が鳴っているのだ。絶対に見たら最後、沈んだ気持ちで飛行機を降りる羽目になる。


 そんな静かな攻防戦が繰り広げられている時である。



「おい」



 ゴリッと。


 金髪の男と黒髪の青年の頭に、自動拳銃が突きつけられた。

 いつのまにやら柄の悪い集団に座席を取り囲まれており、トイレへ行くことはおろか立つことすらままならない。柄の悪い集団は目出し帽と拳銃をそれぞれ装備しており、男と青年の命など簡単に奪えることを主張していた。


 金髪の男と黒髪の青年は揃ってキョトンとした表情で、



「どちらさん?」


「この座席の人ですか? すみませんね、この席は僕たちのものですよ」


「違えよ」



 男の頭に拳銃を押し当てる目出し帽野郎が言う。



「今の状況が分かってねえのか?」


「ええー?」



 男が「よいしょ」とその場で席から立ち上がり、周囲を見渡す。


 座席にお行儀よく座る乗客たちは顔を青褪めさせ、客室乗務員たちも身を寄せ合っている。この状況に強い恐怖心を抱いているのは明らかだった。

 まあ簡単に言い表すとすれば、とにかく『まずい』の一言に尽きる。男と青年が命を失うまで秒読みといったところか。2人を始末したあとに、乗客を恐怖で支配して飛行機をどこかに突っ込ませようという算段かもしれない。


 色々と状況を理解してしまった男は、ポンと何でもない調子で手を叩いた。



「ハイジャックかぁ、趣味の悪いことをするね」


「最高の褒め言葉だな」



 目出し帽野郎は男のこめかみに銃口をグリグリと押し当てると、



「俺たちゃ【OD】だからな。逆らうと痛い目見るぜ」


「へえ」



 男の反応は非常に薄かった。脅し文句として使われただろう【OD】という言葉にも反応する素振りは見せなかった。



「おい、何だよ。疑ってんのか?」


「いやいや別に。ねえ?」



 男がまだ座ったままの状態でいる黒髪の青年を見やれば、



「そうですね。もう耳にタコが出来るぐらい聞き飽きましたよ」


「だよねぇ」


「ですねぇ」



 あははははは、と最悪な状況にも関わらず笑い飛ばす2人組。精神状態でもおかしくなければこの反応は出来ない。


 逆に恐怖心を抱くこととなったのは目出し帽野郎の集団である。

 拳銃を突きつけられ、命を奪われるまで秒読みというところで笑っていられるのだ。「頭がおかしいんじゃないか?」と疑問を持つのは当然のことである。むしろ持たない方がおかしい。



「まあでも、ヒーローになるつもりは微塵もないけどさ」


「売られた喧嘩は買いますよね、3倍返しぐらいで」



 男は砂色のコートから、青年は真っ黒なレインコートの袖から、それぞれ拳銃を取り出した。その動作がすでに自然なもので、目出し帽野郎の集団は「最悪の相手に喧嘩を売ったかもしれない」と早くも後悔し始めていた。

 拳銃を取り出すという動作にすら躊躇せず、また相手が自動拳銃を構えていようが平然と行動する。流れるように弾倉を確認してから安全装置を解除して、戸惑うことなく銃口を目出し帽野郎に突きつけてきたのだ。


 その行動は、まさに人を殺し慣れていると言っても過言ではない。1人や2人どころの話ではなく、もっと大勢の人間を殺しに殺した熟練の殺し屋めいた空気が漂っていた。



「悪いねぇ」


「すみませんね」



 金髪の男はへらりと笑い、黒髪の青年は悪びれもせず無表情のまま。



「俺らも【OD】なのよ」


「僕たちも【OD】ですよ」



 そうして、躊躇いもなく引き金を引いた。


 機内に響き渡る銃声。

 乗客が悲鳴を上げる中、金髪の男と黒髪の青年が放った銃弾は的確に目出し帽野郎どもの眉間を撃ち抜いた。1人は眉間を撃ち抜かれて死んだが、もう1人は眉間を撃ち抜かれたにも関わらず狭い足場で大の字の状態で寝転がり、ぐーすかといびきを立てて寝始めたのだ。


 銃口から漂う白煙を吹き消した金髪の男は、



「やっぱり殺せないかぁ」


「不殺の眠り姫ですもんね、シア先輩」


「リヴ君、綺麗に殺しなよ。飛行機なんて弁償できないんだから」


「おや、誰に物を言っているんです? 綺麗に殺すことに定評のある僕ですよ?」


「自画自賛」


「喧しいです」



 金髪碧眼で無精髭の男――ユーシア・レゾナントールは「やれやれ」と肩を竦めて硬直状態にある目出し帽野郎を狙う。

 黒髪で邪悪なてるてる坊主みたいな格好をした青年――リヴ・オーリオはレインコートの下から大振りのナイフも取り出して目出し帽野郎相手に威嚇する。


 ハイジャックを目論んだ目出し帽野郎の集団は、喧嘩を売る相手を完全に間違えていた。何故ならこの2人は、かつて米国の地方都市で暴れに暴れた最凶の悪党どもである。

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