4-13

 パウロへと戻ってきたクレハは、軍病院で怪我の状態を診てもらった。通院しながら経過観察をすることになり、軍大学の寮へと戻った。

 机の前で一息いれられるくらいの落ち着ける状況は久しぶりな気がする。クレハは机の上の写真立てを手に取った。中に挟まれているのは、軍大学に入学した時の写真だ。

 クレハ、レオン、レヴィンスの三人でとった写真。レヴィンスは、レオンの肩に腕をかけ、もう片方の腕でガッツポーズをしている。レオンは真ん中で棒立ちだけど、笑顔だった。

 このときは、自分もレオンの肩に腕掛けて密着したいなと思ってたけど、周りの目が恥ずかしくてできなくて、結局レオンの肩に手を置くだけにして、隙間を埋めるように立つだけだった。

 それでも、これ以上にないくらい幸せだった。もう、このころには戻れない。

 でも、少しなら近づける。

 クレハはもう、大方決意が固まっていた。なぜだか自分のやるべきことが自然と思い浮かぶ。だけど、あと一歩だけ気持ちの後押しが必要そうだった。



 翌日クレハは、タイラスのもとを訪れることにした。個別にふられている教官室が並ぶ廊下を歩く。来てはいけないわけではないが、アポなしでの訪問は毎回嫌に緊張してしまう。自分が言おうとしている要望は受け入れてもらえるのだろうか。きっぱり断られてしまうのではないか。その不安が胸の中で渦巻いている。

 クレハは、タイラスの部屋の前で足を止めると、ふうっと深く息を吐いた。自分の気持ちをもう一度強く意識してから、扉をこんこんと二度叩く。どうぞ、と声が返ってから扉を開ける。

「失礼します」

 クレハを認識した時のタイラスの顔は少し驚いたようにも見えたが、穏やかだった。

 島型にデスクが置かれたレイアウト。彼は、机の向こう側に座ったまま声をかける。

「ずいぶんと早く来たんだんね。もう決断できたのかい」

 クレハは、タイラスの前まで歩む。

「いいえ。ただ決意を固めるために、お願いしたいことがあります」

 タイラスは、訝しむように眉をひそめた。普段は上の方から受けることのない教官からの視線が、下からのせいなのかやけに不安を煽ってくる。

「すぐに済む話じゃなさそうだね」

 タイラスは立ち上がると戸棚の方に歩く。

「安価なものしかないんだが呑んでいくかい?」

「ええ、いただきます」

「そこに座りなさい」

 タイラスが目顔で窓際の椅子をさす。ローテーブルを挟んで向かい合う椅子の片方にクレハは座った。

 タイラスはポットとカップ二つをもってくると、向かいに座った。慣れた手つきで紅茶を入れる。紅茶がカップに注がれると華やかな香りがたった。

「それでお願いしたいこととはなんだね」

「はい。身内がレフォルヒューマンの人に会わせてください」

 少し間を開けて彼は訪ねる。

「経験談を聞こうとしているのかもしれないが、何を良しとするかは人によりけりだ。一応聞いておくが、君は、その人がレオンのことをレフォルヒューマンにしない方が良いと言えば、君はレオンをそのままにするのか?」

「いいえ。私は、もうほとんど決心がついています。レオンのレフォルヒューマン化を希望するつもりです。ですが、やっぱり不安なんです。この選択が正しいのかどうか。この選択で余計にレオンを苦しめてしまうのではないか、不安で仕方ないんです」

 クレハは、出された紅茶を飲む。気持ちはまったく落ち着かなかった。タイラスの眼光は益々鋭くなる。

「わかっているだろうけど、昏睡状態となった彼の意思を私たちは知ることが出来ない。彼の希望通りの選択ができるのかわからないから不安というのかね?」

 クレハは、頷いた。

「できればレオンに直接訊きたいと?」

 もう一度頷く。

「ただ、レオンを今の状態のまま目覚めさせることはできないよ」

「どういうことなんですか?」

「コールドスリープ装置は、人体の血液を不凍液に変える機構を備えているんだ。本当に凍らせたら細胞が死んでしまうからね。だけど、目覚めさせるときは、ちゃんと血液を戻してやらないといけないし、必要な装置を取り付けないといけない。それだけでも負担が大きすぎるんだ。何が言いたいかわかるかい?」

「いいえ」

「二度目はないということだよ。コールドスリープと覚醒を行き来することは、人体に負荷がかかりすぎる。だから、生きている我々がちゃんと決めてやらないといけないんだ。厳しい事言うようだけど、私には君が責任逃れをしようとしているように見える」

 クレハは、タイラスの言葉にはっとした。正直なところもう七割がた決心はついていた。しかし決め切れずにいた。それはタイラスの言う通り自分が責任を背負っていく決心がまだついていないから。だから不安がぬぐえないんだ。

「君の要望は聞くが、最終的に決めないといけないのは君だということを覚えておいてくれ」

「わかりました」

「では、明日、バークス夫妻に会えるようにアポイントメントしておくよ。二人は、高等学院からの付き合いで、レフォルヒューマンとインスペクターの関係になってから結婚した二人だ。レフォルヒューマンの連中には、伏せていることだから、他言無用で頼むよ」


 その日の夜にタイラスからクレハの携帯端末に連絡がきた。二人とも快く了承してくれたみたいで、明日、近くの喫茶店で話をさせてくれるという。

 その日は早めにベッドへ入ることにした。気を抜くとレオンとの思い出や、今後のことで頭がいっぱいになってしまうので、他のことに意識を向けたい。

 クレハは、机の上の無造作におかれた一冊の本をとる。とってからふと思い起こす。これもレオンから借りたものだった。レオンは、変に几帳面なところがあって本を読むときは絶対にカバーをつけるのだ。貸してくれた時も、ベージュのレザー調のブックカバーがかけられた状態でわたされたのだった。

 一度とった本、借りたまま読まずにいるのも抵抗があったのでそのまま持ってベッドに入った。

 眠くなるように、照明を赤くなる前の夕焼け色に変えて本を開いた。

 小説のジャンルは恋愛だった。シェルター内の世界しか知らない人が書いたような平和な世界。

 主人公は、男女二人の高校生だった。二人の距離感は、時に近づき、時に離れつつもお互いを意識しあっている感じだった。最初はなかなか距離が近づかないもどかしい場面が続いた。しかし、学園祭でクラスの出し物が食べ物屋になりいっきに近づいた。販売する食べ物はクラス投票でサンドイッチに決定した。準備期間は男の子の方は、力仕事を端的にこなし、女の子の方は料理の試作を振舞った。その時に男の子はたまたま女の子からサンドイッチを渡されて食べることになる。緻密な描写から二人の初々しい気恥ずかしさを感じられた。

 そして、販売する担当の時間が同じになり、さらに距離が近づいた。そして非番の時間。二人とも、友達が少ない方で都合のつく友達がいなかったことから、学園祭を二人で周ることになった。他クラスの出し物を周り、すっかり意気投合した二人は、学園祭が終わった後も、一緒に出掛けることに。そして、その回数は段々と増えていった。そして、十回目のデートの終わり際に男の子の方から告白して、二人は晴れて付き合うことになった。付き合いを重ね、お互いの両親への顔合わせもして、二人の関係は順調に進んでいた。まるで幸せを絵にかいたような時間を過ごしていく二人の様子を頭で思い浮かべながらクレハは小説を読んでいった。

 しかし、あるページをめくると、男女はやっとつかんだ幸せを手放すことになってしまう。

 男の子の方が交通事故にあってしまったのだ。信号無視した乗用車に撥ねられたのだと彼女は彼の両親から連絡を受けた。病院にすぐに搬送されたが、頭を強く打ったせいで脳死の状態となってしまった。回復は見込めない。目を覚ますこともない。彼女と男の子の両親に迫られた選択は二つだった。このまま昏睡状態のまま管をつないで生きながらえさせるか、死を受け入れてドナーとして臓器を提供するか。

 このまま終わってしまうなら。

「彼の生きた意味を残したいんです」少女は、少年の家族にそう訴えた。

 事故によって理不尽に奪われた不幸な男子としてではなく、その身をもって誰かの命を救った人として。少女は、そう両親に訴え続けた。

 最初こそ、延命治療を希望していた両親であったが、少女の必死な説得に納得させられて、最後には首を縦に振ったのだった。

 そして、少年はドナーとなって命を落としたのである。

 数週間後、家族のもとに臓器提供を受けた主人公と同い年の少年から、手紙が届く。家族は、少女を家に招いて、感謝の言葉を一緒に受け取ったのだった。

 

 結局、最後まで読んでしまった。

 サイドテーブルの置時計は既に二四時をとっくに通り越し、三時になろうとしていた。

 クレハは、本を閉じた。横になったまま腕を伸ばして、本をサイドテーブルに置く。

 彼が生きたことに意味を与えたい……か。

 それは自分もそう思っている。しかし、それは自分の勝手なエゴなのではないか。そう思わずにはいられない。

 それにレオンはもう充分なことをした。自分が犠牲になることを顧みず、ギガセンテに深手を負わせた。ギガセンテを追い払い、多くの人を救ったのである。レオンは生きる意味を自分で作り上げていたのだ。そこに他者があとから色々付け加えるのはどうなのだろう。

 そこまで頭に思い浮かべたところで、急に瞼が重たくなった。起きる限界が来てしまったのだ。クレハは、照明を消して気絶するように眠った。

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