本日休戦

見切り発車P

1

 国境の警備は厳しいと聞いていたが、ファイナはそれほどの苦労もせず潜り込めた。

 理由は、一つにはこの降り続ける雪。見張りがいるとしても、森の中の吹雪では視界は大分悪いだろう。

 もう一つの理由は、今日は一応休戦中だということだ。

 本日2月14日は、連合王国においては聖ヨーキムの誕生日とされている。

 詳しくは知らないが、帝国においても何らかの祝日であるらしく、協議の上2月14日は休戦とされた。

 一日限りの休戦にさほど意味はなく、兵士たちのほとんどは怪我の治療や糧食の確保、そしてファイナのような諜報活動に励んでいる。

 帝国領の国境砦に潜り込み、手に入る限りの情報を持って帰還する。

 それがファイナの任務だ。成功すればリターンは大きいが、失敗すれば死は確実。

 もっとも、ファイナにとって作戦の『失敗』もそれほど怖くはなかった。

 彼女が、危険な任務に従事して死んだなら、相応の勲章や昇級が期待できる。

 それは『部族』の国内での立場を強固なものにするだろう。後に続くものたちが楽になるなら、悪くはない。

 とはいえ、失敗を前提にするつもりはない。ファイナは雪の中を、するすると隠密に駆けていった。


*


 砦近くまで、これと言った障害もなく進んだ。

 ファイナの技術というよりは、侵入計画を立てたものたちの手柄だ、と彼女は謙虚に思う。

 最初の関門は、砦近くの山道にあった。木に登って確認したところ、明らかに予定に無い見張りの増員が行われている。

「来客でもあるのだろうか? それとも、我が軍同様、糧食を運んでいるのかもしれない」

 ファイナはつぶやくと、砦への侵入ルートを見定める作業に入った。

 腰につけた革袋から、円筒状に丸めた地図を取り出し、ペンで見張りの配置を書き込む。

 可能なルートは2つ。いったん山に入り砦を目指す、時間のかかる方法と、見張りの、配置上弱い部分を排除し、まっすぐ砦に向かう手早い方法だ。

 『排除』。すなわち戦闘だ。殺すことになるかもしれず、動けなくして置いておくとしても、この吹雪の中放置された兵は生命が危ない。

 さらに言えば、ファイナ自身が死ぬことになるかもしれない。確実に先制は取れるつもりだが、ファイナの戦闘力自体はそれほどでもない。反撃で負けることもある。

 しかし――まっすぐ向かうことで浮いた時間は、そのまま諜報活動の余裕になる。危険を犯してでも、手早いルートを取るべきだろうか。

 まだ結論は出せない。もっと情報が必要だ。

 ファイナはゆっくりと慎重に、見張りの配置が薄いあたりに近づいていった。岩場の近くで、視界が悪いわりに人員は少ない、ゆえにチャンスなのだ。

 岩陰から様子を見る。見張りは2名。兵士の緊張は弛緩していた。

 兵士の一人がのんびりした口調で言った。

「休日だってのに、寒い中、なあ」

 もう一人が冷静に返した。

「珍客だからな。時は選ばないよ」

 『珍客』という言葉が、ファイナの耳に残った。この予定外の見張りの増員は、客が来る(あるいは、来た)ことに依るらしい。

 とすれば(客は砦を訪問するだろうから)、山道ががら空きになる。もう一つのルート、山に入る遠回りのルートが、俄然有力になってきた。

「おっ」

 兵士の一人が言った。

「どうした?」

「今、鳥か何かが見えた気がしたんだが……、気のせいだろうな」

「この雪では鳥も寒かろう」

 ファイナは這うように岩陰から離れた。鳥と間違うとは、目が悪すぎる。今の自分はネズミが良いところだ。


*


 ファイナは見張りの密集地帯を離れ、山へと入った。あまり深く入り込みすぎると遭難の恐れがあるので、山道から一定の距離を保ち、じわじわと国境砦に近づいていった。

 時間はかかるが、安全なはずだ。砦の『珍客』が何者だとしても、わざわざ雪の中、山に入ろうなどという物好きではないはず。

 そう考え、足早に一歩を踏み出したとき、地面の枯れ枝がパキリと折れた。

 しまったかな――、そう思うよりも早く、背後から声がした。

「武器を捨てて手を上げろ。殺しはしない」

 その低い声を聴いたとたん、あらゆることが頭をよぎった。自分の油断? しかしなぜここに? 降伏すべきか? 戦うべきか? 殺しはしない? 死など――

「死など怖くはない!」

 ファイナは振り向きざまにナイフを投げた。防寒装備をした大柄の男性が弓矢を放ってきたが、ナイフを気にして狙いがそれた。

 その間に距離を詰める。相手は弓使い、距離さえ詰めれば勝てる!

 もっとも、ファイナはナイフ使いで、そのナイフはたった今投げてしまっていた(狙いが不十分なため外れていた)。彼女は徒手空拳で相手兵士の目を狙った。兵士は冷静に顔をそむけてかわし、カウンターでファイナの肩を突いた。

 しばらく、雪の中の格闘があった。だが、もっとも重視する先制攻撃が十分にできず、体格で劣るのに格闘戦に入った時点で、彼女の勝機は無かった。

 兵士の蹴りが、ファイナの体を雪の上に転がした。兵士は弓を拾うと、もう一度つがえた。

「死など怖くはない? 死を恐れない時点で君が兵士としてアマチュアだと分かる」

「殺せ」

 ファイナは吐き捨てるように言った。

「休戦中に諜報活動をしていたことが広まれば、連合王国は言い訳に追われることになるぞ」

「知ったことか。私の忠誠は『部族』の未来にのみある」

「なるほど、『徴兵組』か」

 兵士は訳知り顔で言った。連合王国は複数の国家の集まりだが、そのうち立場の低い集団が兵士として徴兵されている。彼ら彼女らは兵士としての練度も忠誠心も低い。そのあたりのことを知っているらしい。

「雪上の移動には慣れているようだな」

「何の話だ?」

「君の処遇についての話だ」

「殺せと言ってるだろ!」

 ファイナが気色ばんだ。しかし男は弓矢を下ろした。

「僕が何故、こんな雪の日に山の中にいたと思う?」

「知るか。『珍客』とやらが関係しているんじゃないか」

「正解だ」

 男は口の端で笑った。

「君が情報収集したように、我が帝国軍国境部隊は『珍客』を迎え入れているところなんだ。やや困りものの客でね」

「困ればいい」

「君にも『珍客』の送り出しに参加してほしい」

「正気か? 敵同士だぞ」

「想像しているような客ではないんだ……、というか、人間ですら無いんだが」

 男が草むらに向かって何ごとかを叫ぶと、草むらを踏みしめて巨大な影が現れた。

「紹介するよ。ドラゴンの幼生、メスのアンジェリカだ」

 ドラゴンがブエエと鳴いた。

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