従軍治癒術師が、戦争の町で過ごした日々のこと。
春一
第1話 招集
ソフィアの目の前に、瀕死の若い女性が横たわっている。
背中の裂傷から大量の血が流れ出し、診療室のベッドを赤く染めている。
放っておけば、あと数分もしない内に彼女は死んでしまうだろう。
「お願いします! 彼女を助けてあげてください!」
涙を浮かべながらソフィアに頭を下げるのは、患者の仲間である少女。年齢は十代後半。二人とも「魔物狩り」をしているそうで、仕事の際、患者の女性は背中を魔物の爪でえぐられてしまったそうだ。
なお、「魔物狩り」というのは、様々な目的で魔物を狩る者たち。昔は冒険者という呼び方もあったらしいけれど、今では魔物退治を主とする者たちは魔物狩りと呼ばれている。
「ここまで来ればもう大丈夫です。安心してください」
ソフィアは声を掛けながら、患者の背中に右手をかざす。
「……傷つきし者に尊き光の癒やしあれ。ルミナス・ヒール」
ソフィアの右手から淡く優しい光が放たれて、患者の傷口を癒やしていく。
瀕死の重症だった傷が、一分もしないうちに塞がった。
「お、おお……! 凄い! あの酷い傷が、こんなにも簡単に……!」
「……簡単ではありませんけどね。でも、彼女はもう大丈夫です。ゆっくり休ませてあげれば、また元の生活に戻れるでしょう」
「ありがとうございます! 助かりました!」
「魔物狩りはとても大変かと思いますが、どうかお気をつけて。死んでいない限りわたしが治してみせますから、怪我をした時にはどうにかしてここまでたどり着いてください」
「心強い言葉です! あなたがこの町にいて良かった!」
ソフィアは笑顔で応じる。
やがて患者の女性も意識を取り戻し、仲間の女性と共に生きている喜びを分かち合う。
それを眺めていると、ソフィアは温かい気持ちになった。
転生から十五年が過ぎた、春。治癒術師として世のため人のために働くことに、ソフィアは満足している。共に診療所を経営している両親からも、やってくるお客さんからも、ソフィアの評判は良い。順調な異世界生活……と言って差し支えない。そこだけを、切り取るならば。
(あとは……魔族との戦争が終わってくれれば、いいんだけどな……)
ソフィアが転生した世界では、人間と魔族との争いが絶えない。一時的に数年間休戦状態に入ることはあっても、結局また戦争が再開される。今は魔族との戦争が激化している時期で、ソフィアの住まうユニールの町もいずれ戦火に飲まれるのではないかと言われている。魔族領からもそう離れていないので、安心してはいられない状況だ。
そして、戦争が延々と続くことで、人手不足や食糧不足なども発生している。この世界で治癒魔法の使い手は少なく、治癒術師といえばかなり裕福に暮らせる仕事のはずだが、多少は余裕があるくらいの生活しかできていない。
それでも、ギリギリの生活を強いられている者が多くいることを考えれば、かなりマシな方だ。
ソフィアが終戦を願っていると。
「ソフィア・シュライナという治癒術師はいるか?」
診療室に、どこか威圧的な低い声が届いた。
ソフィアは診療室を出て、診療所の出入口に目を向ける。
鎧を着た青年兵がいた。精悍で険しい顔をした、二十歳前後の男性だ。銃器が戦場でも活躍し始めているけれど、彼の腰には剣が提げられている。
今は、剣と魔法の世界から、銃と魔法の世界に移り変わっている最中、といったところだろうか。銃器に連射性能がないため、個人の武器としては弓の方が優秀だけど、集団戦においては銃器が弓以上に活躍を見せることもある。
時代についてはさておき、特に怪我をしている風でも、怪我人を連れている風でもない。
そこで、ソフィアは悟る。
(ああ……来ちゃったか。いつか、わたしのところにも来るとは思ってけど……)
怪我人でもない兵士がやってくる理由は、ただ一つ。
「……わたしがソフィア・シュライナです」
ソフィアは名乗りながら青年兵の傍に歩み寄る。
青年兵は鋭い眼光でソフィアを見つめた。
「お前がソフィア・シュライナか。二級治癒術師で間違いないな?」
「……はい。間違いありません」
治癒術師には、一級から五級までの格付けがされている。
一級といえば、聖女などの特別な治癒の力を持つ者。死者の蘇生はできないが、どんな怪我も病気も即座に治せると言われる、奇跡の存在だ。世界に数名しかおらず、ここテラザード王国にもただ一人しかいない。
二級も大抵の怪我や病気を治すことができるが、重症を癒やすのには時間が掛かる。手足の欠損を治すには数日必要だ。それでも欠損を修復できてしまうのだから、かなりの実力者には違いない。
三級になると、治せる傷や病気は限られてくる。欠損などは治せない。
四級では軽い切り傷を治す程度。
五級は、治癒力を高めて、若干傷の治りを早くする程度だ。
その格付の中で、ソフィアは二級。十五歳にして二級というのは、この世界では特別な才能があると言って差し支えない。
「ソフィア・シュライナ。お前に対し、軍から召集令が出ている。従軍治癒術師として働いてもらうことになった。支度をしろ」
そういう話になるだろうと、ソフィアは予測していた。でも、実際にそう聞くと、やはり気持ちは落ち込んだ。
ソフィアは一つ深呼吸して、頷く。
「……戦地に向かい、兵の治療をしろ、ということですね。わかりました。招集に応じます」
正直なところ、可能なら戦地になど行きたくない。従軍治癒術師が死亡したという話など、いくらでも耳にする。
もちろん、治癒術師が戦線に出て戦うわけではない。後方で怪我人の治療に専念する。でも、少数部隊を敵陣の後方に送り込み、治癒術師を殺すという戦術はある。特に、優秀な治癒術師は狙われやすいらしい。怪我人がまたすぐに戦線に復帰することになるので、優秀な治癒術師は非常に厄介なのだ。
戦地は怖いけれど、ここで逆らうことはできない。逆らえば、非国民だとか、裏切り者だとか言われて、まともに生活できなくなる。
「協力、感謝する」
「……それで、わたしは、いつ、どこへ向かえばいいですか?」
「詳細はここに記してあるが、文字は読めるか?」
「はい。読めます」
ソフィアは、青年兵が差し出した封筒を受け取る。開封するのが怖かった。
「明後日の朝には出立だ。準備を急げ」
「……はい。ちなみに、この町で招集された治癒術師は、わたしだけでしょうか?」
「お前の他に数名いる。他にも、兵士志願者や徴兵される者もいる」
「……そうですか」
「用件は以上だ。失礼する」
青年兵が去っていく。その背中を見つめて、ソフィアは深く溜息。
室内に視線を戻すと、待合室にいた数名の患者が、気の毒そうにソフィアを見ている。
皆に心配させまいと、ソフィアは努めて明るく微笑んだ。
「大丈夫です。わたし、生きて帰ってきますから。ただ、ごめんなさい。しばらく、皆さんの治療はできなくなります。でも、必要なときは両親が診てくれますから、心配しないでくださいね」
ソフィアが笑っても、皆が明るく笑ってくれるわけではない。
少し気まずい思いをしながら、ソフィアは残っている患者たちの治療を再開する。
(……まだ、死にたくない。生きて返ってくる。必ず)
ソフィアは、心の中でそう誓った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます