第5話 雷鳴
政庁に向かうとは言っても無断で学園をでるわけにはいかない。カインはこの学園の職員であり、それ以上に半ば囚人としてここに監禁されているも同然の身だ。国家反逆罪の罪人に完全な自由など与えられるはずもない。よって理事長の許可を得る必要がある。
休憩時間の校内をあまりやる気もなく、ニルフェルに引かれるまま歩くと、今朝も見た灰色っぽい黒髪ポニーテールが目に入る。後ろからだと確信できないが、おそらくはやはり穏奈だ。
「? あの子がどうかした?」
「いや……なんでもない」
ニルフェルの言葉に、カインはそっけなくお茶を濁す。穏奈たちを《戦の聖女》に仕立てるという構想はともかく、いまニルフェルに合わせると「人が死ぬ戦争」に巻き込みかねない。できる限り巻き込みたくないわけだが、将才抜群とはいえカインは将軍、名軍師ニルフェルの洞察力をごまかすことはできない。
「ふむ……あの子が五人の聖女の一人?」
「……ああ」
看破されたなら誤魔化しはきかない。うかつに誤魔化そうものなら穏奈やほかの4人を、ニルフェルは勝手に巻き込みかねない。ニルフェルは悪人ではないが善人でもなく、情理より利害でものを考えるところがあるので厄介だ。軍師としては正しいのかもしれないが。
「そこの、黒髪ポニテのおっぱいさん!」
声をかける。穏奈は右を見て左を見て、ついで下を向いて足元が見えない自分の巨乳を確かめて、「おっぱいさん」が自分であることに納得したらしい。少しばかり不本意そうに振り向いた。
「わたし、ですか?」
「そうそう。えーと……アカツキ系っぽいから……あなたが獅堂穏奈さん? ここぞというときの突破力に関して比類なし、って聞いたわ」
「ぇ……と、ガラドリエル先生?」
「あー……、警戒しなくていい。こいつはニルフェル、俺の幼馴染で、姉のようなものだ。もともとアジュナーダインの人間だが、いまはクズルパシュに仕えている」
「クズルパシュ……このあたりの大勢力ですね」
「ああ。能力があるものは育った池を出て大きな海に住むべし、というのが彼女の家の考え方でな。父娘ともども優秀だから、クズルパシュとしても助かっているところだろう」
「紹介ありがとう、カイン。それで、獅堂さんはいまから授業?」
ニルフェルはふわりと笑う。ウィンプルとマスクで顔を隠しているにもかかわらず、艶然無比の美貌はひとを魅了して止まない。
「はい。歴史の……祖帝シーザリオンと真祖帝新羅辰馬の比較研究について、です」
「それなら学園講師なんかよりカインに聞いた方が万倍詳しいわよ。カインはその二人を崇拝してる信者なんだから」
「信者とか言うな、宗教臭くなる。俺はおなじ将軍として、純然たる思慕心で祖帝と真祖帝を敬愛しているんだ」
憮然とした顔で、カイン。将軍として軍旅に身を置く身が、祖帝シーザリオンや真祖帝新羅辰馬を敬愛しないはずがない。その戦績、カリスマ、政治的業績、人間的魅力、すべてにおいて史上に比類がないのだ。
「そうね。そのあたりを彼女に講義してあげなさいよ、みちみち」
「彼女を、連れて行く気か?」
「ええ。安心なさいな、今回危険はないわよ」
「……ならば、いいが……」
「わたし、先生より強いですよ?」
穏奈はきょとんとした顔で悪気もなくそういう。実際、カインはたいして腕っ節がないし、穏奈はそちらに関して怪物レベルに強い。
「それは分かっているがな。それでもやはり心配にはなるんだ、教師としては」
「カインは馬に乗れば落ちるしバイクなら転けるくらいの運痴なのに、結構勇敢なのよね。臆病でないのはいいことだけど、でも億劫がりだからあまり雄々しくも見えない」
「でも、すごい名将だったんですよね? わたしアジュナーダインに来てまだ1週間足らずですけど、ガラドリエル先生の戦績について目についただけでも……」
そう口にする穏奈はどこかうっとりしているようにも見える。自分にない技能で優れた成績を発揮したカインという人間を、ようやく少しは尊敬しているのかも知れない。しかしカインとしては自分のデータは消されてしまっているのではないか? と穏奈の言葉を訝る。
「……それはおかしくないか? 俺の戦績など半年前のあの時点ですべて消し潰されたはずだ。データは全部改竄されてしまっているだろう」
「下宿先のおばあさんが新聞をとってるんです。いま、その中から先生の活躍を抜き出すのがマイブームになってるんですよ♪ エフェメラさんと一緒に楽しんで読んでます」
「はぁ~……紙媒体。いまだに残っているんだな……」
「そりゃ、そうでしょ。電子データはいまアンタが言ったように、簡単に改竄されるからね。ウチの情報部にも紙媒体が大量に押し込んであるわよ。滅多に役に立つことはないんだけど」
「えぇと、ガラドリエル先生はそういうことには詳しくないんですか?」
「あぁ、将軍のくせに、ってこと?」
「いえ……その……、はい、そうです……ごめんなさい」
「いや、構わんさ。俺の前職は軍師ではなく将軍だからな、智謀を戦わせるのではなく、戦場で雌雄を決するのが役目。兵法に関してもひととおり修めてはいるが、やはりニルフェルには遠く及ばない」
「その、遠く及ばないヤツにあたしは模擬戦で2敗してるんだけどね。まあ、あたしは軍師で将軍じゃないから」
「そういうわけで、軍師と将軍というのは基本的に分業制だ。兵力や地形、天候をもとにして作戦や陣形を考えるのが軍師、軍師が立てた作戦をもとに実際兵を率いるのが将軍。真祖帝・新羅辰馬陛下は皇帝の身であられながら宰相を兼ね、そのうえで将軍と軍師を兼務したと言うから、あのかたはやはり史上空前と言うべしだな。祖帝シーザリオン陛下も軍人皇帝として将才かなり優れたと言われるが、かのお方を軍事的に支えたのは「鉄槌」コルブロス将軍あってこそ、才覚という点においては真祖帝に軍配か」
やや熱っぽく、カイン。軍略オタク気質としては天才将軍だった真祖帝への敬意はとどまることを知らない。しかしそのオタクっぽくまくしたてる口調に、ニルフェルがこれ見よがしにため息をついた。
「まあ、分かってるんだけど。アンタ真祖帝好きよね。……というか男はみんな真祖帝好きか……」
「? どういうことですか?」
「あ、穏奈さんは知らないか。んーとね、真祖帝……当時の呼称だと赤竜帝だけど……新羅辰馬ってひとはすごいスケベでねー、正妻が6人もいたのよ」
「ふえぇ?」
「違うぞ、ニルフェル。真祖帝が漁色を好むような表現は止めろ」
「違ったっけ?」
「分かっていて言ってるな。真祖帝陛下は自分から女性に言い寄ったことは一度もない。それは正史に明らかだし、野史・稗史のたぐいを見ても彼のお方が清廉であったことを証明する記述には事欠かない」
「でも、妻が6人ってのはねー……あきらかにアンモラルだし」
「彼のお方は愛する女性に順列をつけることができなかったんだ!」
「単に優柔不断で八方美人だったってだけでしょ? あのひとの死後、皇妃瑞穂さまがエーリカさまに殺されたあたりからしても、皇家の家内が円満だったとは思えないわよ」
「く……」
「妙な人徳があって周囲がほっとかなかったっていうのも、絶世の美形だったっていうのも。後付けでどうにでもなる言い伝えだしね。実際の等身大を見なさい、カイン」
「写真とか、残ってないんですか?」
「あの時代写真はもう珍しくないはずなのに1枚の写真も残ってないって辺りがね。本当に美男子だったなら隠す必要なくない? 赤竜王朝初代と二代目には、一枚も写真が残ってないのよ。最後に残った皇妃・牢城雫が意図的に隠蔽したって言うけど……半妖精種だからって200年以上生きたことになる牢城皇妃にしてもお話がうさんくさいわ」
「あー、お前が真祖帝を否定するからやる気がなくなる……教室に戻って良いか?」
好きなものを否定されて実に顕著に気分を悪くしたカイン、本当に踵を返して教室に戻ろうとするが、ニルフェルはあっさりその腕に腕を絡めて引き留める。胸が押しつけられる割にあまり柔らかさがないのが悲しいところだった。
「いいわけねーでしょーが。理事長に話しつけて、政庁まで……」
そこまで言ったところで、爆音が轟いた。
「バヤズィトさま、進軍準備完了です」
「ああ、往くか。……わが王は偉大なり!」
サファヴィーのラルダーン、その驍将「雷鳴」バヤズィト。東北、ヘスティア帝国の流れを汲むサファヴィー朝はヘスティアの後継を名乗るアイユーブ朝の一領邦に過ぎないが、英邁なるラルダーンに率いられた軍はここ半年ほどで一気に勢力を増した。先代までは歩騎弓銃といった旧態依然の兵装に依存していたサファヴィーだが、ラルダーンは近隣に攻撃を繰り返しては車両や航空兵器を鹵獲、たちまちこれらの操作に習熟し、本格的な近隣征服に乗り出した。そして、ニルフェルの見立てではまだ数年の猶予があると思われていたが、この日、西方ウズン・ハサンの白羊朝を攻撃して大きく版図を削り取った余勢でいま、南方に軍を進めてアジュナーダインに攻め込んだ。
空挺隊の前に高い市壁は無意味であり、市内に入った空挺隊が内部から発破をかけて城壁を爆砕、そこに榴弾をまき散らしながら兵を満載した装甲車が突っ込み、一気に市街戦へと持ち込む。白兵戦の騎兵突撃となるともともと騎馬民族だけあってサファヴィーの兵は強く、一騎当千。しかも同じく騎馬民族の白羊朝を破った余勢とあっていま彼らの士気は高い。
災禍の予感に、カインは走り出した。理事長室も政庁も無視して、軍の屯所に向かう。軍権を剥奪された身で独断で軍を動かせば責任問題、へたをすればあとで処断されるかも知れないが、そんなことを言ってはいられない。カイン・ガラドリエル、半年ぶりに戦場に戻ることになりそうだった。
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