Chapter3. Take My Hand
今年は嫌に残暑が厳しい。九月だというのに三十度を超える日々が続き、体力的にバテ気味なのを自覚している。そもそも夏の熱気が心底苦手で、日増しに増える残業にほとほと気力を削られており、「心のオアシスタイム」こと美良のゲームデーも断らざるを得なくなっていた。大事な週末も、ただの回復時間に取って代わった。
その日は得意先へと向かうべく、美良と共に外出。先方のオフィスへは駅からしばらく歩くため、時間に余裕を持って出発することにした。
電車を降りると時刻はちょうど十三時。三歩歩けばアスファルトの照り返しで全身を温められ滝汗が輝く。こんな姿で挨拶したくはないのだが、先方に指定された時間なので仕方ない。
目的地手前で足を止め、美良が要らぬ緊張をしないよう全体の流れを掻い摘んで説明しておくことにした。
「今朝も言ったけど、今日は定期訪問だから、込み入った話にはならないはずだ。もし向こうから質問や提案があれば、積極的に対応してみて欲しい。サポートは適宜入れるからな」
「はい、頑張ります! あの、ひとつ聞いておきたいんですけど」
彼のやる気を応援したいのに、途中で何も聞き取れなくなり、何故か「もう一度言ってくれ」の言葉も口を突いてくれない。拍車をかけるように視界が霞がかってゆき、咄嗟に電信柱に手をついた。
追い討ちをかける目眩の襲来。脳内をかき乱される感覚に、強烈な吐き気を覚えた。電信柱に熱せられた手が無性に痛むのに、手を離した瞬間倒れそうで身動きが取れない。
言うことを聞かないカラダ、動こうとしない思考。
朦朧とする意識の彼方から、俺を呼ぶ声が聞こえた。
「……さん、輝台さん! 大丈夫ですか?!」
今の俺に出来ることは、ただただ美良の視線を受け止めることだけ。
「あっ! 右手真っ赤じゃないですか。自分の肩使ってください」
「無理……倒れる……」
「大丈夫です。安心してください。これでもやる時はやる男ですから」
電信柱に別れを告げ、美良と繋がる右手。支えを失った体は力なくふらつき、導かれるまま彼に全てを預けた。予期した共倒れはなく、美良の温もりに支えられ、この上ない安心感を覚える。だがすぐに自責の念がそれを凌駕した。ああ、なんて情けない。
「…………ごめん…………」
しばらくして目眩が落ち着いた頃。幸いにも目と鼻の先に静かな公園があり、運よく木陰のベンチを確保。鞄を枕にして横たわった瞬間、体がふっと軽くなる心地がした。飲み物を求めて遠ざかる美良の足音を聞きつつ、重い目蓋を閉じる。事実上、客先訪問が延期になった今、次へ繋げるべく彼にフォローしてもらわねばならない。いまだ重量感の残る頭に発破をかけ、あらかた指示内容がまとまったところで突如枕が消失し後頭部がベンチを直撃。その衝撃で、指示が全て飛んで消えた。
「ごめんなさい! ゆっくり引き抜いたつもりだったんですけど」
いつの間にか戻ってきていた美良は、慌てて鞄を脇に置き、同じベンチに座ってこちらの頭部を膝に乗せた。
「何してんの?」
「膝枕です。早く治るかと思って」
「そうか」
「はい。それと飲み物はポカリとファンタ、どっちの気分ですか?」
「いや、あの、選ばせる気ある……?」
もちろん前者に手を伸ばすものの、体を起こす気力はまだ無い。仕方なく、火照った額に添えて涼を取った。
「美良。すまないが、お客様にお詫びの連絡を入れてほしい」
「大丈夫です。さっき済ませてきました」
「さすが、気が利くな。リスケは?」
「はい。なるべく向こうの都合に合わせられるように、いくつか候補日依頼してます」
「ありがとう。さすが。大分成長したな」
「輝台さんのおかげです!」
「そんなことないって。もっと自分に自信持ちなよ」
「いやいや、本当に輝台さんのおかげですもん。なので、あの、よかったらもっと自分を頼ってみてもらえませんか」
木漏れ日を受けて、彼の瞳が煌めいた。
「輝台さんは天才だから何でも出来るし、任せるよりご自身でこなした方が速いでしょうけど、自分にもお手伝いできることがあるはずなので」
「美良……」
「自分はもっと輝台さんのお役に立ちたいです。もっともっと……輝台さん? 聞いてます? 輝台さーん?」
輝台さんの頬を突いても反応がない。さっきまでちゃんと目が開いていたのに、すでに寝息を立てていた。たくさん寝て早く回復してもらいたい気持ちと、もう少しだけ起きていて欲しかった気持ちが拮抗した。
「もっと頼って、もっと遊んでくださいよ」
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