Baby, Tell Me You Love Me.

木之下ゆうり

Chapter1. Good Morning, Mr. My-dear

「藤井さん、輝台きだいさんから内線二番です」

美良みよし、目の前にいる俺が輝台だ。藤井さんから俺に二番だな?」

「あ、はい! すみません!」


 強めに「しっかり頼む」と注意を加え、受話器に耳を当てる。彼、美良みよしたまきは俺の部下なのだが、たまにこうして軽いミスを繰り出し職場の緊張感を強制弛緩させる。微笑む同僚たちの視線を避けるようにして、彼は背中を丸めパソコンのモニターで顔を隠した。


 ああ、今日も好調な滑り出し。彼のおかげで頑張れそうだ。



 あれは半年前。新年度初日の部内朝礼で、事件は起きた。

「ということで今日から我々の仲間になった美良君だが、輝台君、責任を持ってしっかり教育してあげてくれよ」

「はい?」

「美良君。輝台先輩は入社五年目の万能な方だから、大いに頼って力をつけるんだよ」

「はい! よろしくお願いします!」

 突如任命されたことに面食らい反論が叶わず、いつの間にかよろしくお願いされていた。そこで朝礼解散となり、同僚達には同情の視線を送られ、挨拶をしにきた美良には期待の視線を浴びせられ、頭が混乱を極める。事前相談もなく目が合った部下に仕事を投げるのは、部長の悪い癖だ。運悪く被弾した俺は、鮮やかに営業スマイルを作り上げ美良を歓迎した。

「川上商事、第二営業部へようこそ」


 任命されたからにはきっちり仕上げようと決め、まずは基礎編として名刺交換の作法から指導することに。手順を説明すると、ぎこちないながらも堂々とこなして一発合格。これは見込みのある人材だと思った。微笑ましく思っていると、彼は笑顔でこう言った。

「珍しいお名前ですね。コウダイ・セイさん、スケール大きい響きがあります!」

「美良君。それは輝台きだいまことと読んでくれると嬉しい。それと、ローマ字が併記してあるだろう。お客様からもらう場合は、なるべくそちらを読むと間違いないぞ」

「す、すみません!」

「いいって。ここで失敗しておけば、本番で間違えなくなるから」

 入社初日ともあれば緊張もあるだろうし、そのうち慣れて実力が出てくるだろうと期待した。そして教育を重ねるにつれ、上限を知らない向上心と爽やかな天然を兼ね備えた人だと判明した。仕事ができないわけではなく、飲み込みも早いので当初の期待値は下がらずにいるが、いまだに電話の取次が苦手な点だけは改善を待ち望んでいる。


 そして教育係任命から二ヶ月ののち、アパートのエントランスで偶然鉢合わせた。まさかこんな場所で会うとは思っておらず驚きはしたが、休日だったし、牛丼四食分を手にしていたので知人を訪ねてきたのだろうと思った。

「休日なのに会社の人間に会うなんてイヤだろう、ごめんな。俺は階段で行くから、美良君エレベーター使いなよ。それじゃあ」

「あっ、あの! 一緒にどうですか。全然大丈夫なんで」

「そう? じゃあごめん。お言葉に甘えて」

 エレベーターの到着を待つ間、彼は衝撃の事実を口にした。

「まさか同じアパートに住んでるとはびっくりです」

「え、ここ住んでるの?」

「はいっ。二〇二号室です」

「へえ……え? じゃあまさか、その牛丼一人で食べるかんじ?」

「はいっ。今日の夕食と明日の三食です。料理があまり得意じゃなくて」

「なるほど。お節介かもしれないけど、なるべく食べる当日に買う方がいいんじゃないかな。腹壊してもよくないし」


 定時通りに出退勤する彼と違い、俺は早めの出勤と残業が当たり前だったから、これまで会わずに済んでいたのだろう。けれどこうして居住地がバレた今、申し訳ない気持ちが押し寄せ占拠した。

 ここは郊外の単身者向けアパート。そう広くはないシンプルな物件なのだが、通勤に便利で賃料も程よく、さほど物を持たない俺にはちょうど良い場所だった。しかし美良からすれば、五年勤続したところでここ止まりの上司から教えを受けているなんて、なんとも未来のない話だろう。エレベーターを待つ間、溜息を堪えるのに必死だった。


「輝台さんは何階ですか?」

「五階でよろしく」

 到着したエレベーターに乗り込むと、瞬時に充満する牛丼の香り。俺の部屋にはない香りだった。二階のボタンを押し忘れた美良はそのまま五階まで一緒に上がることになり、隣で笑いながらこちらを見上げた。

「自分、他県から引っ越してきたんで、ここには全然知り合いがいないんですよね。何気に不安だったんですけど、輝台さんのおかげで頑張れそうです」


 次の月曜日、彼の「おはようございます」を聞くだけで喜ぶ自分がいた。

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