4日目

 竜宮城で働き始めてどれくらいが経つだろうか。

 真鯛まだいは連日の狂乱の空気の中で、そんな感慨に耽っていた。

 親切で心優しい人間が現れたら、竜宮城にお連れして最大限のもてなしをする。その際の食料として乙姫配下の者たちの身を捧げるという習慣がいつできたのかはわからないが、時に十年以上の周期で行われるためか、その詳細まで知る者はほとんどいない。真鯛自身も実際に経験したのは今回が初めてであり、同僚が殺されて食される場面を目にすることに何も思わないわけではない。

 しかし、こんな異常時でも比較的心穏やかでいられた。

 なんとなくこれまで選ばれてきた同僚を見ていると、『代えが利きやすい』者たちが選ばれているように思う。

 すずきあじ素魚しろうおは、竜宮城の中で単純労働をしていた。竜宮城は広いため、多くの生き物たちが仕事をしている。彼らは指示を受けて仕事をする立場であり、複雑な判断や思考を必要としない仕事をしている。つまり、頭数さえ足りていれば、彼らがいなくなっても仕事は回るのだ。

 対して、真鯛は多芸だ。

 まず舞の腕が一流だ。早朝と夜に舞の稽古を連日欠かさず行い、研鑽に努めている。初日から太郎の前で踊り続け、その評価の高さは乙姫本人からもお墨付きだ。体だって美しい。赤から銀へのグラデーションからなる体は舞の際にはその美しさがより引き立つ。

「そう、わたしにはこの美と、舞という高度な技術がある」

 真鯛の技術と美貌は一朝一夕でなんとかなるものではない。

 自分は簡単に代えの利く存在ではない。

 だから、乙姫も簡単には自分をしないはずだ。

 そう思っていたのに―――


「本日の主役はあなたです、真鯛」

「…………え?」


 海の生き物たちが集まる中で告げられた乙姫からの発言に、真鯛は一瞬言葉を失った。

 乙姫が何を言っていらっしゃるのか、わからない。

「何を惚けているのですか、真鯛」

「あの、仰っている意味が……」


 乙姫は一度ため息をつき、少し首を傾けながら言う。

「ですから、今夜、あなたはその身を太郎様に捧げるのです」


 真鯛は必死になって頭を回転させる。

「あ、そういう、その、わたしの舞で、太郎様の目を楽しませるという—――」


「真鯛、太郎様に、あなたの肉を召し上がっていただくのです」


 現実から目を逸らそうと言葉遊びに奔走する真鯛に対し、乙姫は直球で説明をした。


「あの、なぜわたしが?わたしには他に真似できないこの美貌と華麗な舞があるではないですか!」

「ええ、確かにあなたの舞は素晴らしいですね」

「食べさせるなら、たこの足でもいいでしょう!放っておけば生えてくるのに!」

「蛸には知将として常に傍に控えてもらわねばなりません。それに、太郎様は蛸のお味が苦手とのことですので、蛸を出すことはしません」

 

「なら他の……、死んでもいい有象無象がいるのに、なんでわたしが!」

 真鯛はとうとう理性のたがが外れたのか、叫び散らした。

「わたしは才色兼備の真鯛よ!?美しい舞という特別な技能を持っているのに、その辺の雑用しかやってないやつらが生き残って、どうして特別であるわたしが—――」


「口を慎みなさい、真鯛」


 乙姫は冷たく言い放った。

「舞ならば他の鯛やひらめ海月くらげたちが務めます。後顧こうこうれいなく、を全うしなさい」

 あなたの竜宮城での価値は、あなたが思っているほど唯一無二の希少ではないのです。

 そう言われた気がした。


 乙姫が部屋を去る。

 周囲の生き物たちが同情の視線を真鯛に向けているが、こそっと「ざまぁみろ」「お高くとまってたからな」「年増の踊りはいらないってか」などという声が聞こえた。

 真鯛がその声に反応するが、声の主を含めて全員がぞろぞろと退室を始めたので、結局文句のひとつも言うことができなかった。





「このまま終わってたまるもんですか…!」

 昼過ぎになり、真鯛は竜宮城の入り口に向かっていた。

 逃げ出すつもりだった。

 竜宮城の出入り口の警備は虎魚おこぜ鮟鱇あんこうが担っており、無許可の外出はご法度だ。強行すればまず彼らに見つかるし、捕まればただでは済まない。

 だが、何もしなければどうせ殺される。

 ならば、ここからの脱出に賭けるしか生き残る術はない。

 こっそりと、死角から外に出ようとするが、

「おい待て。どこへ行くつもりだ」

 鮟鱇に見つかってしまった。

「真鯛か。貴様は今夜の宴でがあるだろう。外出は許可されていない」

 鮟鱇とて役目がある。ここで真鯛を逃がしては、自分が何をされるかわからない。

 対して、真鯛は鮟鱇に上目遣いで訴えかける。

「お願い、見逃して。このままじゃわたし…」

「それはできん」

「ね、お願いよ」

 真鯛は鮟鱇の体に擦り寄り、体を密着させる。

「何も助けてくれって言うわけじゃないの。あなたは誰も見ていないし、気づきもしなかった。そうでしょ?」

 執拗に体を擦り付け、鮟鱇を物陰へと誘引する。

「お礼に、イイコトを、ね?」


 そして、真鯛は竜宮城から逃げ出した。




       *   *   *




 数時間後、真鯛が目を覚ますと―――。

(……ここは……)

 明るい。

 騒がしい。

 聞こえてくるのは、ここ数日聞き慣れた音頭—――歓迎の舞だ。

 ならば、ここは太郎をもてなす宴の席か?

 自分は何をしている?

 自分は逃げたはずではないのか?


「いや~、おいしいですね」

「どんどん召し上がってください」


 太郎の声だ。答えるのは乙姫の声。

 わたしは二人に見下ろされている。

 

(なに…?喋れない…動けない…)


 身動きが取れない。

 太郎がわたしの体に箸をのばしている。


 箸?


 四角くて白いものをわたしの体から取り上げ、口に運んでいる。


 あれはなに?


 鏡のように磨かれた天井に焦点が合う。


 あれは……わたし?


 いつも通り、赤と銀の綺麗な体が横たわっている。


 胴がごっそりと抉られた状態で。


(なに…これ……)


 頭から尾まで、輪郭は変わらない。

 しかし、そこにあるはずの胴が、ごっそりと消失し、代わりに白い身が、かつてわたしの体を構成していたものが、綺麗に切り取られて、背骨やあばらを剥き出しにしたわたしの体に盛られている。

 普通なら死んでいるはずなのに、乙姫はわたしの体に何かしたの?


「太郎様、ここが珍味なんですよ」

「え?それは食べたことないですね」


 何か話している。

 直後、わたしの目玉が抉られた。

(やめて、いた……くはないけど、なんだか気持ち悪い)

 目玉をごりごりと棒で突き刺され削られていくような感触が気持ち悪い。


「あれ、なかなか取れないな」


 箸が目を抉ろうとする。貫通して、先端が頭部をぐちゃぐちゃにしていく。


(やめて、ぎぼじわるい……)


「あ、取れた」


 わたしの視界が完全に奪われる。


 それでも、まだ意識がある。

 まだ、声が聞こえる。

 まだ、わたしの骨に、箸が当たる感覚がある。


 ねぇ、やめて。

 いやなの。

 きもちわるいの。


 ねぇ、はやく。


 おねがい、はやく―――




 はやく、わたしをころして。

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