第九章 2
「俺は、昔から雷神が好きだった。フォルマの神と帝国の神々ってのは違うだろうが、人智を超えた存在には畏敬の念をもって崇めるのが、きっと正しい在り方だ。俺は……、たぶん、そういう気持ちでは雷神のことを想ってない。『憧れ』って言えば聞こえは良いけど、俺は神を俺と同じあたりまで引きずり下ろして、縋りついたら慰めてくれるような――、ただひたすらに美しいものとして想像してるくせに、俺の卑しさにも同情して付き合ってくれるような、都合のいい存在にしちまってるんだ。本当、気持ち悪い。なのに、そうやって穢してる神の名前を、お前に宛てがっちまった。お前が、俺がずっと思い描いてた雷神の姿と重なっちまったんだ。……ごめん」
「……それって、いけないこと? 縋りついたら慰めてくれる神なら、僕も慕ってみたいよ。アーリャに叱られそうだけれど」
「……そういうのじゃねえんだよ……」
語っちまったのを今更後悔した。曖昧に言うしかねえんだ。想像の中で具体的にどうしてるかを、説明するわけにはいかない。
「……『穢してる』って言うけど、その感情というか……、想像は汚いもの?」
「汚い」
「どうして?」
「言いたくない」
さすがにリオンは黙った。察したか? 俺ってのはこんな気色悪い人間で、最期の最期にこんなやつと二人きりにならなきゃいけねえお前が気の毒だ。『俺が想像する雷神に似てる』なんて言われて、怖がってなきゃいいけど。俺は、自分が生身の人間とどうこうってのは、まるで想像できない。したくない、って方が正しいだろうか。だって、この体である限り、俺は男にならなきゃいけねえ。普段の生活の中で男であることに不満を覚えることはないが、ただその一点においてが嫌で仕方ない。たぶん、人間がわざわざ男と女に分かれてる最たる理由の部分はそこなんだろうが、俺はそんなときに男である意識をかなぐり捨てたくなる。ガキの頃の体験が尾を引いてるのか、元からこういう人間なのかは分からねえ。でも俺の中の雷神は、俺の『男の意識』を忘れさせてくれる。要は、都合のいい存在。
……何日生き延びるだろうか。水には困らないだろうが、非常食やらが入った袋は野営所だ。でも、ここで何日耐えたところで、救けは来ないだろう。アンドレーアが無事なら、きっと俺らが落ちていったことを連中に伝えるだろうけど、いかんせん地上からの距離がありすぎる。さっさと入水でもしちまった方が楽かな。餓死と溺死なら、どっちの方がマシだろう。気管を塞ぐのもアリか。でも、それはどちらか片方しか選べない死に方だ。いや、俺が殺してやるしかないだろうか。たぶん、リオンでは力が足りないから。
まあ、まだ気持ちにも体力にも余裕はある。もう少し考えていてもいいだろう。
どのくらい経っただろうか。あれから夜が明けたのか、数日過ぎたのかも分からない。時間の目安になるものが、なにひとつない。不思議と空腹を感じることはなかった。だが、余裕のある俺とは違って、リオンは少し前から横になってぐったりとしている。術後に出されていた薬を飲めていないせいかもしれない。なんだかんだと会話はしているが、そろそろ億劫そうだ。
俺は波の立たない青い水面を眺めて、時々その水を掬って飲んで、相変わらずぼんやりとしている。幻想的な光景も相まってか、余計に夢を見ている気分になってしまう。
「……前に話してくれたっけな。お前が初めて自分のことを伝えて、一旦は受け入れたくせに裏切ったやつ」
「ああ……」
リオンはほとんど息だけで返事をした。いよいよ具合が悪いのかと思って少し焦ったが、ただ暫く黙りこくっていたから上手く声帯が鳴らなかっただけみたいだった。横になったまま、立てた肘に頭を乗せて、深海みたいな空間の色を反射させた淡色の瞳をこっちに向けた。
「そいつさ、……たぶんお前が好きになっちまったんじゃねえかな。ダチとしてじゃなくて」
「……そうかもね。そんな気はしていた」
「お前が男じゃあ、都合悪いよな。フォルマ人ならさ」
「そうなんだろうね」
「お前に当たってもどうにもならねえのに」
「僕よりも、
リオンは体を伸ばしながら、素っ気ない口調で言った。所詮こんなものか。
「そいつがすっぱりと夢を選びきれていれば、お前にきつく当たる必要もなかったんだろうな」
「…………」
リオンは黙った。
俺は自分で思っているよりもきっと執念深い人間だから、きっとリオンみたいに割り切るのは難しい。エロイにされたことを『仕方ない』って思いてえのは、実際そう思えきれていないからだ。あいつを許したいと思うのは、あいつを許せていないからだ。でも許したい。憎み続けるより、きっと楽だから。憎み続ける限り、嫌な記憶は生々しいばかりだから。俺はただ、自分が楽になるためだけに、他人を許したいと思う。だが、そんな態度は却って相手を傷つけることもあるらしい。例えば、アンドレーアの――俺たちの父親に対する場合だとか。無関心になられるよりは、それが憎悪であれ、何かしらの感情は向けられたい場合もあるようだ。だから俺は、又聞きでしか知らないリオンのかつての友人の中にも、そういう気持ちがあったんじゃないか、なんて勝手に想像した。
「……君は、そういう感情って分かる?」
「え、どれ? ……ああ、恋愛感情か?」
考え事をしていたせいで、自分から振った話題を忘れて、すぐに反応できなかった。問い返して確かめたら、リオンは頷いた。
「……どうだろうな。知らないってわけじゃない気がするけど、たぶん他の好意との区別がつかない」
「そっか」
お前はどうなんだよ、って訊こうと思ったが、やめた。
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