いつかの面影 Ⅰ
気持ちよく、すっきり、と目を覚ます。
二度寝したくなるような後を引く眠気もなく目が覚めて、軽く伸びをする。
見慣れない部屋は、例の庭師の家の一室__二階の部屋。
窓から見える景色は、眩しいぐらいの白銀と、抜けるような青に二分されているといっていいほど、他の色がなかった。
二階ということで、今朝は温かい空気が二階にのぼっているからだろう、春の陽気のような暖かさで、苦なく水差しの水を使って顔を洗い、身支度を済ませる。
そして下の居間へと降りていく__が、そこにリュディガーの姿はなかった。
彼は、暖炉近くにソファーを移動させて休んでいたはずだ。だが、そのソファーには彼がかけていた布団が背もたれにかけられているだけ。
人の気配はない__音があまりにもない。
テーブルには一人分の朝食があって、まさか、と弾かれるようにして暖炉そばにあるだろう彼の外套を探したが、やはりなかった。
__もう出てしまっている。
確か、屋敷の部屋にとりかかるという話だったから、屋敷へ行けばいいだろう。
キルシェは人目がないことをこれ幸いと、かきこむように食事を済ませ、外套を奪うようにとると外へと飛び出した。
案の定、まっさらな雪の中に、大きな足跡が一人分ずうっと続いている。
間違いなくリュディガーのものだ。
キルシェはそれを追った。
やや深い積雪だから、彼の足跡をなぞるように踏んでいくのだが、背丈に比例するように彼の歩幅は大きく、途中からは彼の足跡をたどりこそすれ、なぞるのを諦めた。
__いつも、合わせてくれていたのね。
改めてそうであったのだということを思いながら、その足跡をたどれば、途中足跡が分岐していた。
一方は屋敷の裏手へ、もう一方は屋敷の正面へ向かう軌跡。
__裏手には厩があるのよね、確か。
リュディガーから、大まかな敷地の配置を聞いていたキルシェ。
さらによくよくその足跡の軌跡を観察すれば、厩から戻ってきた足跡に少し重なるように屋敷の表へと向かう足跡が上から圧迫した足跡になっていることに気づいた。
__朝一番で、厩のサリックスに餌を与えにいったのね。
加えて言えば、敷地のどこかにいるらしいゾルリンゲリにも、餌を与えに行ったのだろう。であれば、この足跡の示す通り、その後屋敷を覗きに行った可能性はある。
キルシェは、屋敷の正面へと向かう足跡を辿ることにした。
屋敷は、地上二階建て。圧倒されるというほどの大きさではないが、だからといってこぢんまりとした印象を覚えるほどではない。
その屋敷の、玄関の扉の屋根の下まで足跡は続いている。さらに、屋根で雪が積もっていない扉前には、靴裏についていた雪がぽろぽろ、とこぼれて足跡になっている。
扉脇の泥落としで泥を払った後があるから、まずもって間違いない。
__ここにいる。
キルシェも彼がしたであろう、靴の泥を金具で落としてから、扉の来訪を告げるドアノックを使って叩いた。
しかしながら、返事はない。
__まぁ……広すぎるでしょうし、リュディガーが聞こえる場所にいるとは限らないわよね……。
キルシェは苦笑し、扉に手をかける。
扉は施錠されていなかった。見た目通り重くはあったが、開いた。
蝶番の音が古めかしさを際立たせる。
うっすらと開け、中を覗いた。
庭師の家よりも、圧倒されるぐらいに大きい玄関ホール。
帝都のビルネンベルクの邸宅が、ここより狭いのは、帝都内という限られた土地の中にあるから。
玄関ホールの正面には、幅の広い階段が出迎えるようにあった。
「リュディガー? 居ますか?」
キルシェは、そのままの状態で、吹き抜けの玄関ホールへ向けて、少し声を張って呼んでみる。少し、というのは、まだ他人の家という気がしてしまって、遠慮してのこと。
「__キルシェか」
するとどこかから、こもったような声であるが、リュディガーからの返答があった。
ほっ、と胸をなでおろす。
「はい、そうです」
「今、そっちへ行く」
革靴の踏みしめる音が響いて、それが玄関に向けて足早に近づいてくるのがわかった。そうしてリュディガーは階段の上に姿を現して、階段を小走りするように降りてくる。キルシェはその姿に微笑んで、扉を押し開けて中へと踏み入った。
「すみません、寝坊をしました」
いや、と笑ってキルシェのもとまでやってきたリュディガー。
「__起こしに行ったが、よく寝ていたからそのままにした」
「そうでしたか。起こしてくれてよかったの……に……」
__ん? 待って……。起こしに……来た?
「__起こしに、とは……その……扉越しで声をかけてくださった……?」
キルシェは、ぎこちなく問う。
「ノックして応答がなかったから、声をかけて……でも応答がなかった」
「そ、そうなの。そういう__」
「__寒空を飛んだから、体調を崩していないか心配になって、確認のために中には入った」
キルシェの言葉をみなまで言わせず、リュディガーが言い放った言葉に、キルシェは顔が引きつったのがわかった。
「私……寝、て……」
「ああ、よく寝ていた」
寝顔を見られた__途端に、キルシェは顔が熱くなるのがわかった。
「何を今更。初めてのことではないだろう」
「それは__っ!」
キルシェはそこから先の言葉を発することができなかった。
幾度となく彼には見られているのは事実だからだ。
大学の寮生活の頃など、疲れ切って熟睡してしまい、部屋まで運ばれた始末。振り返ればそうした出来事は片手で収まるかどうか__少なくもなくない出来事である。
キルシェは俯いて手で顔を押さえるように覆い、顔の火照りを鎮めてからため息を小さく吐く。
「キルシェ?」
「いえ、なんでもないの」
大丈夫、と今一度大きく息を吐き出して、キルシェは顔を上げた。
「えぇっと……その……朝食、ありがとうございました」
「大したものはないから、あんなもので申し訳ないが」
「いえ、そんなことは」
リュディガーは苦笑を浮かべて肩をすくめる。
「それで、今は何をしていたの?」
「あぁ……少し、使用人部屋の様子をみていた」
「屋根裏?」
「ああ、そうだ。__ホルトハウスさん達が来るまで、内覧でもしているか?」
「いいの?」
リュディガーは笑った。
「なんで駄目なことがある。まぁ、整っている部屋というわけではないが……見てはいけないはずがないだろう」
リュディガーは言って、促すように前をしめしつつ、キルシェの背__腰のあたりに手を添えた。
「__君の家にもなるんだから」
改めて彼に言われると、気恥ずかしい。
「屋内は寒いから、外套はそのままで」
さぁ、と背中に添えられた手に押され、キルシェは玄関ホールの脇にある扉へと進まされた。
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