身内 Ⅱ

 一身に視線を受け、キルシェは思わず息を呑む。


 ビルネンベルクは大らかな表情だが、見慣れない会ったばかりのあの大ビルネンベルク公にまっすぐ視線を向けられて、キルシェは身体が強張り、喉が引きつった。


 その喉の引きつりを和らげようと、米の酒を一気に煽った。


「おやまぁ」


「おっ」


「キルシェ、そんな飲み方は……」


 流し込んだ酒が、身体の中を流れ落ちていくのがわかる。そして、かっと身体が熱くなって、まるで喉を焼かれるような心地に思わず咳き込んでしまった。


 横に並ぶリュディガーが慌てて背を擦ってくれるが、キルシェはそれを制した。


「だ、大丈夫です」


 そしてひとつ呼吸を整える__が、吐き出す息は特に熱い。


 それでも、その熱に叱咤される心地がして、押されるままに言葉を続けた。


「__わ、私が、色々と話を進める機会を奪っていて、それで今後のことを話し合えていないのです」


 ほう、とアルティミシオンは腕を組んだ。その顔は、どこか笑っているように見える。


「今日、それに気づいて……。それで、今日は初めてそれなりに話せましたので、明日から時間を作って色々と話し合っていこうとなりました」


「なるほど、そういうことか」


 言いながら、アルティミシオンはキルシェの酒盃に新たに注いだ。


「__あ、ありがとうございます」


「なんの。であれば、まぁ、これ以上は色々と言うまいよ」


 畏れ多く感じて反射的に礼を言えば、笑ったアルティミシオンは、自身の酒盃にも注ぎ入れると、掲げるように酒盃を持った。


「__幸多からんことを」


 アルティミシオンは掲げた酒盃を口に運んで一気に煽り、ビルネンベルクもまた倣う。


「恐縮です」


 そう言って杯を掲げてからリュディガーもまた続くので、キルシェもそういうものだ、と酒盃を煽る。


 飲み込んだ酒が流れていくのがわかる。酒が触れた胎内が、熱くなるのだ。


「キルシェ、おふたりに続かなくていい。飲み慣れていないだろう、それは」


「これ、飲みやすいので大丈夫よ。お米のお酒って不思議ね」


 横でリュディガーが何故か心配する声を上げるので、キルシェは笑って答える。


「だろうだろう。大ビルネンベルク公がおられる席だし、大晦日でもあるからね」


「先生……」


 くつくつ、と笑うビルネンベルクに、リュディガーが咎めるような声を上げる。それがキルシェには妙に面白く見えた。


 ひとしきり笑ったビルネンベルクは、やがて静かに杯を見つめる。


「__キルシェ」


「はい」


「__彼で、いいのだね?」


 ビルネンベルクが静かに問い、視線を向けてくる。


 その顔は、真摯な顔である。


「彼でなければ、受けておりません」


「そうか」


 ビルネンベルクは大らかに目を細めた。


 それに、とキルシェは言葉を続ける。


「__私が尊敬申し上げる先生のお気に入りで、先生のお墨付きですし」


 冗談めかしていえば、ビルネンベルクが笑った。


「おや、上手いことを言うようになったね、キルシェ」


「はい。恐れながら、私も先生のお気に入りですから、色々と学ばせていただいた成果をお見せしないと。それに、今後も学んで……先生という良いお手本の、側近くに置かせていただいておりますから」


「まったくもって、君は本当に気に入りだよ。いやはや、一層磨きがかかったねぇ。__リュディガーにはもったいないぐらいだ」


 くつくつ、と笑うビルネンベルクに、キルシェは、ふふ、と笑う。


 何故だろう。すごく心地よい高揚感がある。


 やり取りを見守る視線を向けていたリュディガーに、キルシェは顔を向ける。


 そして、彼の膝に置かれていた手に、卓の死角で人知れず手を伸ばす。


 珍しく、リュディガーがびっくりとした顔を見せたので、キルシェは小さく笑ってしまった。すると、彼はとてもあたたかく大きな手が、握り返してくれた。


「これから、色々と話を聞かせてください」


「ああ、無論」


 ぎゅっ、と彼の手が握ってくる。


 リュディガーの見つめる目は穏やかで、キルシェは胸の奥底から春めく心地が広がった。


 それに浸ってしまいたくなるが、ここには自分たちだけではない。そうした分別はキルシェにはあるから、そこで自ら手を放した。


 そして再び食卓へキルシェが視線を落とした直後、リュディガーが椅子を蹴る勢いで立ち上がった。


 直前までの穏やかな雰囲気を断ち切るぐらい、その勢いは爆ぜるよう。


 リュディガーはキルシェの背後へ躍り出て腰に佩いた得物に手をかけるので、キルシェは身を弾ませながら大きな背を振り返る。


 彼はまっすぐ、庭に面した硝子戸を見つめているようだが、キルシェには大きな身体で死角となってしまっていて、何事かをうかがい知ることができない。


「お、いい心掛けだ、リュディガー」


 あまりにも大らかな、緊張感の欠片もない声は、アルティミシオンのもので、キルシェは__キルシェだけでなく、リュディガーも、え、と短い声を出してアルティミシオンを振り返った。


 アルティミシオンは、食事をひとつ頬張ったところである。


 戸惑いながらビルネンベルクを見れば、彼もまた持っていた酒盃に口をつけたところで、視線が合うと肩をすくめて笑みを浮かべる。


「……よろしい、ですかね?」


 瞠目していれば、がちゃり、と硝子戸が開く音の後に、伺いを立てる声があった。


「やっと来たな」


 アルティミシオンの声は、笑いを含んでいた。キルシェもリュディガーも弾かれるように硝子戸の方を見る。


 そこには、人の好さそうな笑みを浮かべた青年がひとり、後ろ手で硝子戸を締めるところだった。


 栗色の髪と淡褐色の瞳のやや細身の男の姿は、記憶に新しく、キルシェもリュディガーも知った人物で、まさか、と驚いてお互いに顔を見合わせる。


「表から入らないということは、後ろめたいことがあるようだ」


「私が声をかけたのでな。裏からこい、と」


「左様にございます。__今宵はお声がけいただきまして恐悦至極にございます、大旦那様」


 アルティミシオンは、壁際に置かれていた椅子を示して、同じテーブルに適当に座るよう仕草で促した。


 食卓としているテーブルは長く大きく、四人で座るには大きすぎるため、空きならばいくらでもある。


 彼は指示を受けてから、まとっていた外套を脱いで壁際の椅子のひとつにかけると、長い棒状の物を手に、真横の椅子一脚を運んで、アルティミシオンの並びに椅子をおき腰掛けた。__並びといっても、三席分ぐらいの間隔を空けてであるが。


「どうも、お嬢様におかれましては、息災のようで。ナハトリンデン卿も」


 キルシェは未だに驚きに、はくはく、と口を動かすばかりで、男は笑顔を向けてきた。


「何故、クライン殿が……」


 リュディガーとは時間差で、先の任務にあたっていた者である。


「あぁ、ナハトリンデン卿、今は、ライナルトです。ライナルト・アーク」


 くすくす、と笑う細身の男は、座ったままわざとらしく大げさに丁寧な礼をとってみせた。


 __別の任務についているのね……。


 別の姓名を名乗っているということは、概ねそういうことなのだろう。


 しかしながら、髪型こそ違うものの、相変わらずの飄々とした雰囲気である。


「お……お、お元気そうで、ライナルトさん」


 キルシェが辛うじていえば、彼は満足気に頷く。


「ええ、それはもう。__しかしながら、ナハトリンデン卿も、よく察しましたね」


 さすがです、とライナルトが称えるリュディガー。


 彼は呆然と立ったままで、ビルネンベルクが笑いながら座るように促して、やっと我に返って着席した。


「伊達に私が直接、苛め抜いたわけではないからな」


「またまたご冗談を。大旦那様が苛め抜いていたら、彼は今頃、廃人でしょうに」


「酷い言われようだな。__お前さん、色々な任務に就いたのだから、いくらか性根が腐ったか。叩き直してやろうか?」


「こわやこわや。私はナハトリンデン卿ほど強靭ではございませんよ。肉体も精神も」


 自嘲を浮かべながら、ライナルトは手にしていた棒状の物をアルティミシオンに差し出した。


「お約束の物です」


「あぁ、すまん、助かった。__ライナルトには、打ち直しを任せていたこれを届けてもらうのが目的でな」


「それは、大業物おおわざものですか」


 ああ、とビルネンベルクに頷くアルティミシオンは、ライナルトから受け取った棒状の物にまかれている布を解きにかかる。


「大業物……」


「アルティミシオン先生の得物のひとつだ。先生は槍と、刀剣を一振り愛用されている。我々と同じでやや反りのある種類の。先生のは、長さがかなりあるものだ」


 リュディガーが耳打ちしてくれるが、キルシェは武具について明るくないため、へぇ、とぼんやりとした頷きしか返せなかった。それを察して、リュディガーも苦笑を浮かべる。


 鞘からぬらり、と抜き放つと、アルティミシオンは刃をじっくりと観察し始める。確かに、リュディガーが腰に佩いているものよりも長いということだけはわかった。


「いかがでしょう?」


「斬ってみないことには。だが、良さげではあるな」


 助かった、と改めてライナルトに言って鞘に納め、得物は帯執おびどりで腰掛ける椅子の背もたれに引っ掛けた。


 そして酒盃をひとつ取って、酒を注ぐアルティミシオンは、ライナルトへと差し出す。


「お駄賃は、改めて」


 __お駄賃……。

 

 恩師ビルネンベルクも、それなりに使う言葉なのだ。仕事を任された折など、心付けを渡されるのだが、そうしたときに冗談めかして言う。


 大ビルネンベルクもまた、同じような柔らかく穏やかな響きで言っているものだから、思わずキルシェは笑ってしまった。


「はっ。ありがとう存じます」


 ライナルトが酒盃を受け取ったのを見、アルティミシオンは自身の杯を掲げるようにして煽った。


「__さぁ、仕切り直そうか」


 その言葉を皮切りに、夕餉が再開された。

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