優しいカラクリ

渡貫とゐち

母とは違う教育方法

 久しぶりに実家に帰ると、たまたま遊びにきていた甥っ子が俺の腹に突撃してきた。


「は――うぐっ!?」


「おっかえり――っ!!」


 元気な男の子である。

 普段はランドセルを背負っているが、今日は青いユニフォーム姿だ。


 習い始めたばかりのサッカー教室の帰り、らしい。こうして実家に寄ったのは、母さん(この子からすればお祖母ちゃんか)から、手土産があるから、だそうで――、


 まあ、俺も呼ばれてやってきたのだ、用件は同じだろう。


「おまえ……っ、泥だらけじゃねえか。先に風呂に入ってこいよ」


 うえ、めんどくさい、と不満顔だった……。

 泥だらけのまま食卓に座ることはできないぞ?


「早く入りなさい。お腹空いてるでしょ? 綺麗じゃない子には食べさせないからね」


 と、母親の登場である。

 俺からすれば姉さんだ――、甥っ子は渋々と言った様子で、風呂場へ向かっていった。父さん(祖父ちゃん)がついていって、甥っ子を風呂に入れる……。

 騒がしかった部屋が、久しぶりにまったりとした空間に戻った。


「うるさくてごめんねぇ」


「いや、子供はあんなもんだろ。静かに正座して待っていても、やりづらい」


 うるさくて正常だ。


 赤ん坊が泣いていることで安心するように、小学生は悪ガキでいてくれた方が健康的だ。

 優等生になるのは中学三年生からでいいのだ……程々にバカをやるのが充実してる。


「母さん、手土産があるんだろ? それ貰って俺は帰るぞ」


「え? ご飯は食べていかないの? せっかく用意したのに……。それに、朝日あさひもガッカリすると思うわよ? 楽しみにしていたんだから……お兄ちゃんがくるーって」


「叔父さんだけどな」


 お兄ちゃんという年齢でもない……、

 いや、どうだろう? 三十路間近は、お兄ちゃんか? おじさんか?


「あの子からすればお兄ちゃんなんだから、お兄ちゃんでいいのよ」

「そうか……ま、逆よりはいいか」


 お兄ちゃんと名乗っておきながら、「いや、おじさんじゃん」とか言われたらショックである。それに比べたら、おじさんのつもりでいたら「お兄ちゃんだよ」と言われた方がいい。


 いや、どっちでもいいけど。呼び方一つで怒ったり不機嫌になったりするほど、器が小さいわけじゃない。悪口でないなら注意する必要もないしな。


「はいこれ、果物の詰め合わせ。

 知り合いから貰ったんだけど、私たちだけじゃ食べ切れないから、あんたにもあげる。甘くて美味しいから家で食べな。どうせレトルト食品ばっかり食べてるんでしょ?」


「確かに多いけど、そればかりってわけじゃないよ……自炊はしないけどな」


 金はかかるけど、外食も多用すれば、カップ麺ばっかりの生活にはならない。

 エネルギー補給のゼリーも併用して飲んでいるから、栄養が偏ることもないだろう。


 果物は、あれば助かるので、遠慮なく貰っていく。



「腹減ったーっっ!!」


 と、烏の行水のように風呂から飛び出してきた甥っ子が、全裸で突撃してきた。

 びしょびしょのまま――俺の服のことなどお構いなしだ。


「あ、おい……」


「こら! 風邪引くでしょ! ちゃんと拭いてから出てきなさい!!

 ほらもー、床もびしょびしょにしてさー……っ」


「拭かなくてもすぐ渇くじゃん」


 ……子育てって、大変なんだなあ、と――姉を見て思う。



 みんなで夕飯を食べ、一段落した後、甥っ子が俺の背中に隠れた。


 どうやら母親と喧嘩したらしい……、というのは言い過ぎか。どうせ悪いことでもして、注意されて、言い返して母親の逆鱗に触れた、ってところか。通常運転である。


 子供と親は、こんなもんだ。

 これがコミュニケーションになる。


「お母さんは優しくない……お兄ちゃんを見習ってよ、すっごく優しいもん」


「ふうん、優しくないとか言っちゃうんだ?

 家にあるお菓子、全部お父さんにあげちゃってもいいんだね?」


「ほらこれ! 優しくない!!」


 微笑ましいやり取りだが、子供側からすれば大事おおごとだろう。

 大人の冗談が、子供に深く突き刺さることは多い。

 それは知っているか、いないかの違いだ。狭い世界で生きている子供は、見えている景色、聞いて知っている知識でしか、物事を判断できない。


 裏を読む、ってことができるようになるのは、少なくともランドセルを下ろしてからだろう。


 今のこの子には無理だ。



「おれ、お兄ちゃんの子になる……」


「やめてくれ。今の俺におまえを養う経済力はねえよ」


 一人で精一杯である。子育てなんてできるか。おまえが一人で成長してくれるならいいけど、無理だろう……、いくら天才でも、放置して勝手に成長する子供はいないのだ。


 体ではなく、精神は。


 絶対に大人の介入が必要なのだ。


「……朝日、おまえは勘違いしてるぞ。俺は別に優しくない」


「……優しいよ。だって怒らないし、おれがやることに、ダメだって言わないじゃん」


「そりゃ言わないよ。おまえがやったことでどう失敗しようと、俺には関係ないことだし。

 優しいってのは、良く言えば、だ。良い方に寄せているだけで、『優しい』ってのは無関心に近いんだ。俺はおまえに関心があるけど、でも、教育する気はない。

 だから否定もしないし、今後の危険を教えたりもしない……分かるか?」


 その点、母親は『子供が間違った道を進もうとしていれば』、ダメだと言う……致命的な失敗をしてほしくないから、事前に止めるのだ。


「たとえばだ、目の前に【ぼろぼろの吊り橋】がある。

 一歩踏み込んだだけで崩れるような――だ。その吊り橋は見た目だけは綺麗で、新品のようだ……、でもおまえにはこれが【崩れる吊り橋】だとは分からない」


 それが子供。


「だけど、俺やおまえのお母さんは、『崩れることを知って』いるんだ。だって一度、落ちているから。もしくは落ちている人を、近くで見ているから。

 結果を知っているのだから、それをどう回避するかも知っている。おまえのお母さんはいちいち注意してきてうざいだろ? うるさいなあ、って思うだろ? でも、崩れる吊り橋を渡ろうとしているおまえを見たから止めているだけなんだ。それが母親の教育なんだ」


 吊り橋を『渡らない』ことで危険性を教えている。


 しかし、俺の場合は、吊り橋を壊させることで危険を教えている……、口で言っても実感なんてないだろうし、だから落下して痛みを経験させる。

 一度でも失敗すれば、似たような吊り橋を見た時に警戒するだろう?


 でも、このやり方は、危険もある。

 吊り橋が壊れて落下すれば、もちろん怪我をする。死んでいたかもしれない……、それが分かっていても、俺は事前に止めようとは思わなかった。

 だって、吊り橋を渡ろうとしている人間をわざわざ声をかけて止めるか?

 見て見ぬふりだ……、誰だって厄介ごとには巻き込まれたくない。


 面倒でも、厄介ごとだったとしても、迷わずに声をかけられるのが、母親だろう。


 鬱陶しがられても――我が子が怪我をすることを知って見て見ぬふりはしないはずだ。


「俺はおまえを見殺しにしたようなもんだ……これが優しいって思うか?」


「う……」


「おまえのお母さんの方が、優しいだろ?」


 ちらり、と母親を見た甥っ子が、俺から離れて母親の胸に飛び込む。


「……ごめんなさい、おかあさん」


「ん。……お兄ちゃんの言うこと、理解できたの? 勢いで納得した気になってるだけなんじゃないの……? いいけどさ、あんまり鵜呑みにしちゃダメよ。お兄ちゃんは学生の頃、詐欺師って呼ばれてたんだから。あれと喋ってると、気づけば納得しちゃうのよね……」


「あれ? 俺、良いこと言ったつもりなのに! 大団円じゃねえのかよ!?」


「冗談よ、ありがとね――。ただね、この子に色々と教え込むのはいいけど、将来、あんたみたいにならないか心配だわ……」


「口喧嘩に強くなるかもしれないぞ? すぐに手を出すよりいいだろ」


「すぐ手を出されそうな気がするけどね……」


 それは……あるな。


 かく言う俺も、学生時代は恨みを色々と買ったものだ……、

 別に、人を騙したかったわけではないのだけど……。


 俺の意見を取り入れた相手が、ことごとく多ジャンルで失敗するだけで――。


 たぶん、覚えたそれの使い方を知らないだけなのだ。



「サッカーだけじゃなくて、格闘技でもやらせたら? 自衛手段は必要だろ?」


「まず喧嘩をしない環境作りをしてほしいけどね」



 男子にそれは、無理な話だ。




 ―― 完 ――

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