第3羽

 ようやく鳩の怪我も治りそうな頃合いの時だ。

 久々に親が顔を出して様子を見にきてしまった。運悪くベランダを覗き込まれてしまい鳩のこともばれてしまった。

「いつから鳩を飼ってたんだ! 許さんぞ! 何考えてるんだ!」

 そう言うや否や、乱暴に鳩を掴み上げ、どこかへ連れていってしまった。

「おい、人間! 離しやがれ!」

 鳩は最後まで威勢が良く、じたばたしていたが抜け出すことができずに連れられていってしまった。

 せっかくできた話し相手だったのに、友達ができたと思っていたのに。

 静かになって清々するかと思っていたが、そんなことはちっともなかった。むしろ、寂しさと悲しみと、鳩の安否に対する心配で胸がいっぱいになるのだった。

「行かないで、連れていかないで」

 親も鳩も立ち去っていったドアへ独り言をぶつける。

 そんなこと言ったところで戻ってくることなどないのに。

 追わないと、追わないと。手遅れになってしまうまでに追わないと。

 ドアノブへ伸ばした手が酷く震えた。足も立っているのが精一杯なくらい震えてきている。

 今すぐ外に出ないでいつ出るんだ。鳩が死んでしまってからじゃ遅いんだぞ。今だ、今すぐここから出なければ。

 ドアノブをしっかり掴んだ。

 手の震えが消える代わりに、心臓が早鐘を打つ。苦しい。

 額から嫌な汗が流れ落ちてくる。頑張るんだ。

 開けようと力を入れると、階段を駆け上がる足音がして体がすくんだ。

 反射的に身を隠す。階段を上がる足音が聞こえるとやるようになった自分の習性だ。

「鳩は今日の晩ごはんにするからな! 二度と動物なんか飼えないようにするぞ」

 怒鳴り声が狭い部屋に響き渡り、大きな音を立ててドアが閉められた。

 隠れているのを探しだし、拳骨をお見舞いすることすらされなくなってしまったらしい。

 恐怖で体が震えた。

 親が怖い、鳩が死ぬのが怖い、外も怖い、全部が怖い。

 過呼吸に陥り、もうろうとする意識の中、一生懸命考えた。

 鳩を食べたいか? 嫌だ。

 鳩が死んで嬉しいか? 嫌だ。

 ずっとここにいたいのか? 絶対に嫌だ。

 親の言いなりで本当にいいのか? 良いわけがない。

 抗え、立ち向かえ、鳩と自由を手に入れろ。

 さっきよりも酷く震える体を御しながらドアノブに手を掛け、向こう側へ飛び出した。


 久々に階段を見た。

 下の階は地下室なのかと思ってしまうほど暗くて不気味で体がすくむ。

 ゆっくりと階段を降りていき、すぐ右手にある台所を覗き込んだ。

 テーブルの上で目を閉じ、前に倒れ込んでいるような姿勢の鳩が視界に飛び込む。

 生きているのか死んでいるのか、今の段階ではちっともわからない。

 はやる気持ちを抑えつつ、ゆっくりと辺りの様子をうかがう。

 親はもう一度出掛けたらしい。罠らしきものも見当たらない。やるなら今だ。

 そっと鳩へ手を伸ばし、豆腐をさわるときのように優しく撫でた。まだ温かく、脈打つ命を感じ取れる。

 生きてる、良かった。

 あんなに憎たらしいと思っていたのに、あんなに食ってやろうと思ってたのに、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。

 優しく抱き上げ、玄関へ向かおうとしたけれど、なんとなくそっちへ行ってはいけない予感がしたので二階へと戻った。


 予感は当たり、二階のベランダへ出てすぐあとに親が戻ってきてしまった。

 鳩が台所にいないことがバレれば真っ先にこちらへ来るだろう。

 やるなら今だ。

 玄関と台所はいつも空を見上げている窓辺側にあり、ベランダはその反対側だ。

 そう、家を出るなら今だ。

 大丈夫だ、大丈夫。落ち着いて。

 親が駆け上がってくるまでに、鳩を抱いて飛び降りるんだ。二階なら大丈夫だ。死ぬより怖くはないだろう?

 自らを鼓舞し、意を決して飛んだ、飛び降りた。

 飛び降りた瞬間、頭から血の気が引くのを感じた。風に強く吹かれているような感覚があったがそうではない。私が空気を切り裂くように、地面に真っ直ぐ向かっていたのだ。

 鈍い音と、足がピリピリ痺れる着地の感覚があった。

 足から頭にかけて衝撃が走り抜け、目の前が一瞬暗くなったあと星が散った。

 骨は折れていない。痣はどこかにできたかもしれないが、ちゃんと一歩踏み出して歩ける。

「鳩、私ちゃんと外に出れたよ。怪我治しながらまめだんご取りに行こうね」

 聞こえてない前提で呟いたつもりだったが、気絶しているはずの鳩がほんのちょっと笑ったように思えた。

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