第2話 先輩の違和感
「ねぇ君ぃ、替え玉テストって知ってるかい〜?」
「学年違うんですから無理言わないでください。しかもそんなのはないです」
俺は先輩のノートを覗き見た。数式を書こうとした痕跡が垣間見えるぐにゃぐにゃとした象形文字が書いてあった。途中で諦めたのかアヒルちゃんも書いてあった。
先輩はめちゃくちゃ頭が良いが、頭が良いことと勉強ができることは全くイコールではない。全くイコールではないというのは、イコール度合いが100%ではない、という意味ではなくイコール度合いが極めて0%に近い、という意味だ。
「こんな数式をいくら解き明かしたところで世の真実が分かるわけじゃないんだぞ、全く」
「でも世の中の役には立ちますよ。先輩の将来設計にだって十分、寄与します」
先輩が突っ伏していた顔をこちらに向ける。唇を尖らせていた。可愛い。
「いいかい、君。こんなものはだね、人材の大量生産のためであって私と君のためにあるわけではないのだよ」
「でもいつかは社会に出る以上、そのシステムに乗らなければ不利益になりますよ」
俺も椅子に座って教科書を開きつつ、先輩に反論していく。今回ばかりは先輩の方が旗色が悪そうだ。
「うう、数式なんて解いたところで人の心が分かるわけでもあるまいに」
「でも統計学は心理学で非常に重視されますよね」
「あんなものは馬鹿げているよ。あれで分かるのは無数の人間から集めたデータがどうであるか程度の話だ。私たちはいつだってその平均的な曲線からずれたところにいる。曲線からのずれが私たちの個性なのだよ」
まだまだ先輩の愚痴は続く。先輩は哲学が大好きな反動なのか、勉強の中でも特に理数系が嫌いだった。
「そもそも私という存在はたった1つなのに統計も何もないじゃないか」
「でも人間ですよ、俺たちは」
「だからなんだっていうんだい。人間というだけでひと括りにされたくないね!」
先輩の主張に思わず苦笑してしまう。中々の暴論だと思う。
「まあまあ。学校という場所があったおかげで俺たちは会えたんですし、そのちょっとした恩返しだと思いましょうよ」
反論ではなく宥める方向にシフトしてみた。だが。
「いや、それは違う!!」
先輩は大声をあげて立ち上がった。思ったより反応が大きくて少し驚いた。
「私と君は必ず出会う運命にあった。こんな学校なんて馬鹿げた場所がなくたって、絶対にね!!」
俺が驚きのあまり言葉を失っていると、先輩もはっとした顔をして椅子に座り直した。
「何故、私は君の今の言葉をこんなにも強く否定したくなったのだろう。自分でも分からない」
「学校が嫌いだから、ですかね」
「いや、それは違うと思う。確かに学校は嫌いだが君のこととなるとより一層、もやもやするんだ……」
それから先輩は小声でぶつぶつ言い始めてしまった。自分の考えをまとめたり探ったりしている状態だ。このときは放っておいてあげた方がいい。
俺は俺で自分の勉強を進めておく。しばらくすると先輩も考えることを一旦やめて、現実の問題に抵抗するのを諦めたのかノートに向かい始めた。
しかし数秒おきにため息や小声の愚痴が出てきている。たまにちらっと見るとアヒルちゃんを書いていたりもした。
「所詮、私たちはただ生きてただ死にいくだけの存在なのにどうしてこんな苦しみを……」
「答えは宗教家か死んだ後に神様にでも聞いてください。そんなこと言っても今は変わりませんよ」
「うう、この時期の君は実に辛辣だ。そんなに早く私に卒業してほしいのかい……?」
卒業と何の関係があるのか意味が分からなかったので「どういうことですか?」と俺は尋ねた。
「だってそうだろう。君は留年という制度を知っているかい? 私がテストで失敗して留年すれば君と長くいられるじゃないか。君はそうなってほしいとは思ってくれないのかい……?」
納得いった。そして俺は0.5秒も待たずに即座に答えた。
「だめです」
「どうしてさ」
「俺のせいで先輩の人生の足を引っ張りたくありません。そんなことになったら俺は自分が自分で許せなくなります。先輩は俺がそんな気持ちになってもいいんですか?」
俺の強めの語気に先輩はしゅんとした表情になってしまった。しかしここだけは譲れないところだ。
「私は、君と長くいたいなあ」
その言葉に一瞬前の覚悟がぐらつく。俺だって先輩と長くいたいがそれとこれとは話が別というか、それを実行してはいけないと俺の中の常識が言っていた。「常識なんて役立たずが見せびらかすコレクションだ」と先輩はよく言っていたが、今はその常識が役立つ瞬間だった。
「だめなものはだめです。それに、別に卒業したからって一生会えないわけじゃないでしょう?」
「それはそうなんだが……」
先輩はまたも独り言モードに入ってしまった。「何かが違うんだ。何かがダメなんだ」と言ってはうんうん唸っている。
こうなると中々説得とかは難しい。先輩自身も何がいけないのか分かっていないのでは俺としてはどうしようもない。
「君のことになると、私は理性的ではなくなる気がする」
先輩は最後にそんなことを言っていた。
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