第3章 馴れ初め
第6話 馴れ初めⅠ
何とか目を開けなくては。クラウに会えていないし、夜ご飯も食べていないから。
ぼんやりと瞼を開けてみる。霞む視界には、何故か天井に布が張り巡らされている。
此処は何処だろう。頭の中に疑問符ばかりが並ぶ。
「ミエラ嬢、おはようございます」
私の顔を覗くのはグリーングレーの瞳だった。
という事はーー
「ルーナ……?」
「はい!」
元気いっぱいな声に目を擦る。瞼をしばしばさせ、もう一度自分が居る場所を確認してみる。
ふかふかな背中、温かな布団──此処はベッドの上だ。天井の布は白い天蓋だった。
「私、いつの間にベッドに……?」
「クローディオ卿が運んで下さったんですよ。ミエラ嬢、ソファーで眠っていらっしゃいましたから」
「え?」
全然気付かなかった。
折角この部屋に来てくれたのに、申し訳ない事をしてしまった。
今日は朝一でクラウに謝ろう。そう決意をし、ベッドからゆっくりと抜け出す。
「それにしても……クローディオ卿、ミステリアスで……やっぱり素敵ですよねぇ」
「え? ミステリアス?」
「はい!」
ルーナは目を細めて朗らかに笑う。
あの表情豊かで感情丸分かりなクラウがミステリアス──私が思う人物とはかけ離れている。
「う~ん……」
「どうかなさいました?」
ルーナは不思議そうに小首を傾げる。
「う~ん……」と考えてみたものの、わざわざルーナのイメージを壊す必要な無いだろうという結論に達した。
「……何でもない」
すっぱりと答え、渡されたピンクのドレスに袖を通した。髪も一つに纏め、ドレスと同じ色のベルベットのリボンを結ぶ。
「では、行きましょう」
「うん」
ルーナに先導され、開かれた扉の先を歩く──筈だった。
開けられた扉の先には見知った人物が腕を組んで佇んでいた。
「ミエラ、おはよう」
柔らかな声がとても心地良い。声だけではない。その笑顔も。
「おはよう、クローディオ」
私たちは昨日ぶりの抱擁を交わした。
暫し互いの温もりを感じ、両手は繋いだままでそっと身体を離す。
「ちゃんと寝れたみたいだね。良かった」
「……昨日はごめんね。折角来てくれたのに」
「気にしないで。無理する方が良くないから」
何気ない会話なのに、凄く安心する。
そのまま私たちは居間へと向かって歩き出した。ルーナと、クラウの隣に居た若い執事は私たちの後ろに付く。
「手を繋いで、ずっとこうしていたい。ミエラを離したくないのに」
「私も離れたくない」
この後、週に一度は会えるとしても、また八ヶ月間も傍に居れなくなるなんて。寂しくて仕方が無い。
魔導師だった頃に比べるとかなり恵まれている環境なのに。魔導師を辞めた途端、我慢が何処かへ弾け飛んでいってしまったらしい。
「此処から二人で抜け出せたら良いのにな」
「それは駄目。そんな事したら一生会えなくなっちゃう」
「分かってるけど、さ」
クラウが言いたい事も凄く分かる。分かるけれど、絶対に受け入れては駄目だ。
このまま時が止まれば良いのに。そんな考えさえも過ぎる。
ダイニングまではあっという間の時間だった。後ろを歩いていた二人が私たちの前へ出て、扉を押し開ける。
「おはよう、父さん、母さん」
「おはようございます、お父様、お母様」
クラウに続き、ぺこりと頭を下げた。
ルーカスとキャサリンは既に席に着いていた。並んで座る二人は私たちを見遣り、にっこりと微笑む。
「おはよう、二人とも」
「さあ、食べましょう?」
二人で頷き、席へ急ぐ。
ルーナが引いてくれた席はお母様の向かい側、クラウの左隣だった。何も言わず、静かに座った。
朝食は粛々と進んだ。テーブルマナーは一応魔導師だった頃に叩き込まれたから、問題は無かったと思う。パンやクラッカー、野菜サラダにハムステーキ、どれもが新鮮で温かかった。それなのに、緊張と不安で味わうことも出来ずに飲み込んでしまった。
一旦胃を落ち着けると、キャサリンは私を見て口を開く。
「ミエラ、そろそろ行きましょう。何時までも此処に居ては名残り惜しくなってしまうから」
「……はい」
そうとしか答えられない。
立ち上がるキャサリンに続いて、私も立ち上がった。
「私たちも行こう。ミエラを見送りに」
「うん」
クラウの顔をまともに見る事が出来ず、玄関まで無言のまま歩いた。
外には既に馬車が待機していた。馬車の中からヒルダが顔を覗かせ、元気に手を振る。
「ミエラ、昨日振り!」
それに何とか笑顔で答え、手を振り返した。直ぐに手を引っ込め、俯く。
行きたくない。クラウと二人で逃げ出したい。弱気な自分が顔を覗かせる。
頭を横に振り、その考えを払拭させる。
「行く前にクローディオに挨拶してきなさい」
その声にはっと顔を上げた。振り返り、クラウの顔を確認してみる。──今にも泣き出しそうな笑顔だ。
キャサリンは私の背中を優しく押す。その勢いに任せ、クラウの胸に抱き着いた。
「行ってくるね」
「うん。ミユ、頑張って。俺も頑張るから」
「うん」
小声で囁き合う。
駄目だ。このまま離れられなくなってしまう。
頑張れ、私。と心を奮い立たせ、身体を離した。クラウの顔も見ず、馬車の中へと駆け込んだ。続いてルーナも乗り込む。
キャサリン、ヒルダ、私、ルーナを乗せて、馬車はゆっくりと、しかし速度を上げながら走り出した。堪らずに窓へしがみつき、涙目のクラウを見詰める。
「行ってくる~!」
震える声を絞り出し、手を振った。
クラウとルーカスの姿が見えなくなってから、やっと座席に腰を下ろした。
「今生の別れじゃないんだから、大丈夫だよ、ミエラ!」
「そう、なんですけど……やっぱり寂しくて……」
ぎゅっと両手を握り締めてみる。
「私、あんな表情のクローディオ卿、初めて見ました」
「うーん、クローディオ、家族の前では表情豊かなんだけどね」
「言われてみればそうね」
会話が頭になかなか入っていかない。
「どうしてミエラには心を開いたんだろ?」
私の名が聞こえ、やっと顔を上げた。
「私、ミエラ嬢とクローディオ卿の馴れ初めを聞いてみたいです」
「良いわね。まだ到着まで時間もあるし」
「賛成! 私も気になる! 二人とも魔導師様だったのは分かるんだけど、それしか知らないし」
馴れ初め──何処から話せば良いのだろう。私たちは長い間、色々あり過ぎたから。
盛り上がる三人を他所に、「う~ん……」と唸り声を上げてみる。
取り敢えず、話せるだけ話してみよう。
「えっと、話せば長くなるんですけど……。私たち、百年前に出会って、結婚の約束をして……。でも、私、その次の日に死んじゃって……。えっと……」
「ん!?」
「んん!?」
キャサリンとヒルダの声が重なる。ルーナも何やら怪訝そうな顔をしている。
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