第2章 対面
第3話 対面Ⅰ
雪がちらつく寒空の下で、クラウは躊躇する事無く、片面横幅三メートルはあろうかと言う程大きな木製の扉の前に立つ。
「ミユ、準備はいい?」
「……うん」
はっきり言って、準備なんて此処に居る限り一生出来ないだろう。
意を決して頷いてみせる。
それを見て、クラウの傍に控えていた御者が三度、ドアノッカーを叩いた。程なく、扉の軋む音が耳に届く。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
クラウが微笑み掛けたのは、白髪混じりの初老の男性だった。燕尾服を着ている。
誰だろう。執事、という人だろうか。小首を傾げると、その人は振り返り、口を開いた。
「旦那様、奥様。ご令息がお戻りになりました」
扉の隙間から、エメラルド城で見たような豪華なシャンデリアが照らす廊下が見える。奥ではファンタジーで見るようなメイド服姿の女性が何人か忙しなく動いていた。
白い息を吐きながら、暫しの時の流れを感じる。心臓が激しく鼓動しているのも分かる。
足音が聞こえ始めたのはどれくらい経ってからだろうか。緊張のせいで時間の感覚が分からない。
現れたのは四十代くらいの男性と女性、一人ずつだった。男性は黒い短髪に銀の瞳、女性は腰まで伸ばした銀の髪にアイスブルーの瞳──煌びやかな服装からして、クラウの両親──公爵と公爵夫人だろう。
待ちきれないと言わんばかりに、女性はクラウに抱き着いた。
「クローディオ、お帰りなさい!」
「無事で何よりだ」
男性もクラウの肩をポンポンと叩く。
「父さん、母さん、ただいま」
「二人とも寒いだろう。早く中に入りなさい」
「うん」
公爵は今度は私の肩を叩き、にっこりと微笑む。
「長旅ご苦労だったね」
「いえ……」
たれ目の銀の瞳が温かみを持って細められる。
クラウの優しく大きな瞳は公爵譲りらしい。
「さあ、中へ」
促されるまま、四人で廊下へと進む。背後で扉が閉まり、完全に外の冷気が遮断された。
家の中はとても温かい。
「クローディオ様」
先程の燕尾服の男性はクラウから上着を受け取ると、次に現れた二十歳くらいの燕尾服を着た男性にそれを渡す。その人は上着を持ったまま、何処かへ行ってしまった。
「レディ」
「えっ?」
レディとは私の事だろうか。小首を傾げると、声を掛けてきたメイド服姿の十代後半の女性は私の上着に手を掛ける。丁寧に脱がせると、その人も何処へ行ってしまった。
「う〜ん……」
「どうしたの?」
女性が去った方を見詰める私に、クラウが首を傾げる。
「お礼、言えなかった」
「使用人にお礼は要りませんよ」
優しく声を掛けてくれたのは公爵夫人だった。そのまま頬に人差し指を当てる。
「やっぱり……いえ、それは後で良いでしょう」
やっぱりとは何だろう。頭の中が不安と疑問符でいっぱいになってしまった。それでも立ち止まる訳にも行かず、クラウの横を必死に歩いた。
通された部屋の豪華さと広さに驚く。学校の体育館並の広さがあるのではないだろうか。一面ガラス張りの窓に、煌めく三つのシャンデリア、古さを思わせるアンティークな調度品の数々──思わず吐息が漏れる。
腰を折って待機をしていた執事二人とメイド三人の横を通り過ぎ、改めて公爵と公爵夫人に挨拶をしてみせた。ドレスを摘み上げ、膝を軽く折る。
「ミエラ・アークライトと申します。よろしくお願い致します」
「ミエラ嬢ね。貴女の事はクローディオから手紙で話を聞いています」
今度は公爵夫人がドレスを優雅に摘み、膝を折る。私よりも遥かに上品な仕草だ。
「私はキャサリン・ヴァルター。ルーゼンベルク公爵夫人です」
「私も挨拶をしなくてはね」
次に公爵がしなやかな仕草で腰を折る。
「私はルーカス・ヴァルター。ルーゼンベルク公爵の爵号を戴いている」
公爵と公爵夫人は互いの顔を見て微笑み合う。
「さあ、座って。ゆっくり話そう」
「はい……」
公爵――ルーカスに差し出された腕に従い、ロココ調と言うんだっただろうか、そんな雰囲気のベージュ色のソファーに腰を下ろした。クラウも私の右隣に座り、ルーカスと公爵夫人――キャサリンも対角に置かれたソファーにゆっくりと座る。
「え、えっと……」
何から話せば良いのだろう。もじもじしていると、キャサリンが右手を口に当てて「ふふっ」と笑う。
「ミエラ嬢、そんなに畏まらないで?」
「そうだよ。君も今日からこの公爵家の一員だ」
こんなにもすんなりと私を受け入れてくれるとは思っていなかったから、少し驚いてしまった。これもクラウのお陰だろうか。
「はっきり言おう」
ルーカスはコホンと咳払いをし、真剣な眼差しをクラウと私に向ける。
「八ヶ月後に、クローディオ、お前に私の爵号の一つのダランベール侯爵の位を貸与しようと思っている。その式典の時にミエラとの婚約を正式に発表する」
「父さん……」
クラウは瞳を潤ませる。
「お父様と私、二人で話し合って、クローディオが決めた人なら……って。お父様、あんなに反対してたのに、素直になっちゃって」
「キャシー、それはミエラ嬢には内緒だろう」
ルーカスの鋭い視線を気にする事もなく、キャサリンは「ふふっ」と笑う。
「この人とクローディオ、一週間、冷戦状態だったのですよ。お父様はせめてサファイアの伯爵令嬢と結婚を、と。でも、クローディオが好きな人とじゃないと結婚しないって譲らなくて。口を聞かないどころか、目も合わせないんだもの」
「キャシー……!」
「母さん!」
クラウは慌てて身を乗り出す。ルーカスも堪らずにキャサリンの手を握った。
自身と自身の跡取りの将来を決める重大な決断だったから、そうなるのも当たり前だろう。
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