第32話 娘の裁判 1回目
慣れないパンプスは歩きにくく、体力もなくなっていた私は、ヨロヨロと地下鉄へ降りる階段へ向かう。
生ぬるい嫌な風が私の髪の毛を乱して吹き抜けた。
少しブカブカになってしまった黒いパンツスーツに白いシャツ。
休日なのでメイクはしていない。
地図を見ながら、重い足取りで裁判所に到着した。
──◯◯地方裁判所。
建物の入り口に書かれたその文字は、とても重く見えて私の心を押し潰そうとしてくる。
本来なら縁のない場所のはずだった。
少し古びているが、それはとてつもなく大きく見えて少し恐ろしくもあった。
空を見上げ、太陽の光の眩しさに思わず目を細める。
広い門を通り、少しだけ階段を上がる。
中に入るとすぐに警備員に声をかけられる。
「お荷物の検査のご協力をお願いいたします!」
まるで空港のような検査だ。
荷物は籠に乗せられ、箱のようなカメラを通りチェックされる。
もちろん私も、どこでもドアのようなものをくぐり検査を受けた。
入ってすぐの所で弁護士さんと合流した。
518号法廷の探し方すらわからない。
私は二人の弁護士さんについていくしかなかった。
ぐるぐると周り、エレベーターで到着する。
部屋の前には犯罪者とその弁護人とお義母さんがいる。今にも爆発しそうな怒りがこみあげてくるのをぎゅっと手を握りしめて我慢をする。
「会わないように、あちらで暫く待機しましょう」
裁判はよほどでない限り自由に誰もが傍聴できる。
裁判所の中には今日行われる裁判が記されていて、その中から傍聴したい部屋を探して入って来る人もいる。
(準強制猥褻罪)の文字を見て傍聴しに来たであろう、薄汚れた汚いオヤジが数人入って行った。
本来ならば犯罪者の名前も公表されるのだが、今回は被害者が娘である為に非公開とされた。
悔しい。
(細田勇二は犯罪者だ!)と世界中に撒き散らしたい感情を必死で押さえる。
開廷ギリギリの時間に傍聴席に入って行った。
私達は関係者として席を確保して貰っていたため、数人は部屋から出された。
(見世物じゃねーぞ!!!)
心の中で汚い言葉が溢れてくる。
真正面に黒い法服を見に纏った裁判官が座っている。その下の段には記録係だろうか、パソコンを開いてじっと座っている女性もいた。
左側には娘の弁護士と検察官が座っている。
見たことのない検察官は少しくたびれたグレーのスーツを着ていた。
娘の弁護士さんは、白っぽいパンツに濃紺のジャケットを羽織り、ジャケットの襟にはバッチがつけられている。
入り口で挨拶をしたが、とてもクールにお辞儀をされただけだった。
娘曰く(賢い女の弁護士はあれでいい)のだそうだ。
多くは語らず、必要な言葉だけを伝える。
その方が伝わりやすいのだろう。
右側には憎き犯罪者の姿があった。
後には弁護人が二人座っている。
犯罪者は私が部屋に入った瞬間に見つけたようだ。
(くうっうっ……)
と声を圧し殺して泣いた。
(くそ野郎!)
目線を外したまま、私は心の中で言葉を吐き捨てた。
(泣いて済む問題じゃないからな!)
私は睨み付けてやった。
そして、一言も謝罪をしないお義母さんの姿も傍聴席に見つけた。
赤い顔をして、まっすぐ前を見ている。
そいつもまた、私は睨み付けてやった。
犯罪者の母親は薔薇の模様が入った服を着ている。
島で一緒に住んでいた時によく着ていた服だ。
(ここは法廷だぞ?あんたの息子は犯罪者で、今はその裁判だぞ?)
普段着で傍聴席に座っている犯罪者の母親はただの見物客と同じたった。
そんな事を考えてしまう程、刑事事件の裁判は難しい言葉と形式的なやり取りばかりで、私には何も伝わらなかった。
土素人の私には、テレビドラマで見たことのある裁判のような知識しかなかったからか。
言葉はとても難しく、粛々と進んでいく。
そして、警察署で取り調べを受けた時の調書を読み上げられた。
耳を塞ぎたくなるような内容。
初めて知る事実。信じがたい回答。
思わず握りしめた拳に爪の後がくっきりと残る。
涙は自然とこぼれ落ちる。
娘は何年間もの間、犯罪者を父親として信頼して裏切られた。
そして私もまた、それは同じだった。
そして、最後に被告人は質問を受ける。
「娘さんに対してどう考えていますか?」
「本当に申し訳ない事をしてしまったと思います」
涙ながらに言っているが、私にはもう届かない。
質問の中には妻である私に対しての質問もいくつかあった。
「とても僕の事を考えてくれる妻でした」
(よくゆーわ、アホンダラ!!!)
怒鳴りたい気持ちを抑える為にハンカチを握り潰す。
「そんな奥様に対してどう考えていますか?」
「妻の言う通り何でもして償いたいと思います」
(私の弁護士さんも聞いてるからな!絶対守れよ、クソヤロウ!!!!!)
涙を流しながら口にしているだけだと私にはすぐにわかった。
娘の弁護士さんは、無表情のままじーーっと犯罪者の顔を見ている。
娘と訪れた弁護士事務所。
(この調書を読んで私はとても気持ちが悪いと思ったんですけど、どうですか?)
と打ち合わせの時に娘が聞かれていたのを思い出す。
(気持ちわりぃなーーーーー)
と、娘の弁護士さんの声が聞こえてきそうだった。
私の弁護士さんに来て貰って良かったと心から思った。
まともな判断もできず、理解も出ない。
そして、あっという間に次の裁判の日程が告げられた。
(あーーーーーー)
心の中で落ち込んだ。
せめて仕事は順調に進めたいと願って参加希望を出した研修の日だった。しかし、裁判のほうを優先しなくてはならない。
閉廷後は急いで法廷を後にする。
犯罪者達と会わないように。
そして私の弁護士さん達は色々と相談をしていた。
よく聞くと、次回は犯罪者の親が意見陳述とやらをするらしい。
「でも、本当に反省してますかねー、あれ」
と女性の弁護士さんが口にした。
「んーー、あんまり罪の重さを感じてないような……」
と男性の弁護士さんが顎に手を当てて、首をかしげ言葉を濁す。
「そうですよね、私もそう思いました」
私も正直に口にした。
駅まで歩きながら、次の裁判の流れなどを教えて貰った。
無知な私にはそれでもよく理解はできなかったが、弁護士さん達に任せるしか術がなかった。
そしてまた、地下鉄に乗り、駅の階段を上がって家に向かう。
履き慣れないパンプスのせいで踵は真っ赤になっているのだろう。
踵が歩いてバンプスと当たるたびに痛みが走った。
こんな痛みなんぞ、なんて事はない。
何より娘が受けた心と体の傷の深さは計り知れないと、事の重大さをジリジリと突きつけられているようだった。
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