第29話 ひび割れ

 勇二がいない家で結はぐっすりと眠った。


 その一方で、乙葉は眠れない夜を過ごした。

 どれ程の勇気を持って、結が告白をしてくれたのだろう……と考えてしまう。

 結が何年も辛い思いをしてきた事。

 気のせいだと思い込もうとしてきた事。

 不安な夜を何度も過ごしていた事。

 この事を知ったら瑠璃はきっと自分を責めるであろう事。

(自分には何が出来るのだろうか。)

 乙葉はいつまでも見つからない答えを探している。



 考えるだけでも涙が溢れる。

 こんな風に大事な結はひとりで涙を流していたのかと考えると、胸が張り裂けそうでたまらない。

(大丈夫だろうか………)


 そして、乙葉は眠れないまま休日の朝を迎えた。




 ふらふらとする体を起こして、結の寝ている部屋をのぞく。

 結はまだぐっすりと眠っていた。

 安心しているのだろう。



 時計を見ると、11時を過ぎている。

 ハムエッグとトーストとヨーグルトをテーブルに並べた。

「おはよう!」

「おーはーよぉー」

 とぐっすりと眠った結は答える。

「とりあえず、ご飯食べよ!」

 乙葉は結に声をかけると、もそもそと布団から出てきた結は、顔も洗わずにパンにかじりついた。

「食べて、またのんびりしようか」

「うん!」

 いつもの結の笑顔だった。


 乙葉と結は二人でのんびりとテレビを見たり、一緒に昼寝をしたりして夕方を迎えた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 そして、何も知らない私は娘を迎えに行った。買い物ついでに、勇二の運転で。

 いつもと同じ日曜日の夜。


 母親と娘が大事な話をしていたなんて全く気付かない私は、呑気に笑っていた。

 いつも見ているテレビを見ながら食事を済ませ、明日からの仕事の準備をする。



 そしていつもの夜は終わり朝を迎えた。

 何もかもいつもと同じ。

 勇二は朝早くに出かけている。

 娘も通勤電車に揺られて仕事へ向かった。

 そして私も、今日はのんびりとして出勤時間に合わせてゆっくりと起きる。


 いつもの朝。

 オッドを一人占めしてネコじゃらしで遊ぶ。

 食事をして、洗濯物を干す。


「オッドー、お留守番お願いね!」

 と声をかけて扉を閉め、カギをかける。

 車に乗りこんで、好きな音楽をかけた。

 鼻歌交じりで。


 運転して職場に着くと、

「おはようございます!」

 と挨拶をする。その日のスケジュールを確認して仕事にとりかかった。

 そうやって、なにも変わらない私の1日は進んでいた。



 勇二は一番早く家に帰ってきていた。

 そして、私が遅い日は、娘が帰ってきて二人で食事をする。

 いつもなら。

「ご飯何にする?」

「うーんと……」

 と娘がメニューを選ぶ。

 いつもなら。



 だが、この日は娘は帰宅すると勇二と一言も言葉を交わさずにいた。

「結ちゃん、ご飯何にする?」

「………」

 娘は返事をしない。

「結ちゃん、何かあった?」

「………」

 もう話なんてしたくない。


 そして、娘は電話をかけた。

「おばあちゃん、帰ってきたよ」

『ご飯は食べた?』と尋ねられた。

「まだ。何か買ってきてー!」

 と勇二とは目も合わさずに電話を切った。


「何か怒ってる?」

 と、さすがに勇二も不安になったようだ。

「自分が一番わかってるでしょう」

 と娘は一言だけ発した。

(もう、私は中学生ではないんだから!)

(何も知らないとでもおもっているの?)

 娘は心の中でイライラとしていた。


 母親がお弁当を買って急いでやって来た。

 何かあっては大変だ!

 玄関のチャイムを鳴らすと、オッドを抱いた娘は扉を開けて母親を迎え入れた。


 母親の所に不思議そうな顔をした勇二がやって来た。

「瑠璃が帰ってきてら話をしましょう」

 母親はいつもより低い声で、勇二にそれだけ伝えた。



 勇二はどうすることもできずに、自分の部屋に座っていた。

 身に覚えがあるのだうか。

 何の事だか気づいたのだろうか。

「ちょっと外に出てきます。何時間かしたら戻ってきます」

と言い残して外出した。

 いろいろと考えを巡らせながら、タバコを吸い、パンをかじり空腹を満たした。

(バレたのかもしれない………)

 不安な数時間を外でやり過ごし、夜中に帰宅した。



 家の中の空気は重く、そしてピリピリと張りつめた冷たさが漂っている。テレビから楽しそうな声だけが聞こえ、母親と娘はぴったりと寄り添っている。

 堪らなく息苦しい空間になっていた。


 勇二はこれからどうなるのか、不安なまま私の帰りを待っていた。


 そして娘と母もまた同じように不安を抱えて、私の帰りを待っていた。

(お母さん、なんて言うかな………)

 娘もまた考えを巡らせながら私の帰りを待っていた。


 そんな状況を知るはずもない私は、いつものように仕事を終えた。

 遅い日の仕事の終わりには携帯のメールなどチェックしない。

 携帯には未読のままメールが残っていた。

(仕事から帰ってくる頃には家に戻ります。)

 勇二からのメッセージだった。

 既読が付かないまま、私は運転をしていた。



 駐車場に入ってくる車の音が聞こえた。

 娘は椅子に座り直した。

 いざとなると涙がこぼれてくる。

 暫くすると、なるべく音を立てないように玄関のカギを開ける音が聞こえ、扉が開く。



「お帰り!」

 と母親が声をかけると、驚いた顔をした私がいた。

「ただいま。どうしたん?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る