第16話 貧乏生活
慰謝料も貰わずに離婚した私は、旦那から解放されると同時に貧乏生活が始まった。
お金もないので、実家で生活するしかない。
保育園もすぐには空きがなく、しばらく待たなくてはならなかった。
娘を1人にできない為、昼間は子供の世話をする。
朝は少しゆっくりと起きて、娘と朝食をとる。
天気がよい日はすぐ近くの公園へ行き遊び、お昼ご飯は麺類をふたりで食べる。
口にうどんを入れたまま、娘はよく居眠りをした。
「ママお仕事行ってくるね!」
「いってらっしゃい!」
母親が帰宅すると、交代で私が働きに出る。
そんなに長い時間は働けないので、収入は少ない……。
そして、何とか保育園に通い始めて保育料などの支払いが始まった。
実家に住所を移すと、とても大変だった。
世帯の収入により、保険料も、保育料も決められる。母子家庭なのに実家に籍を置いた私は、普通の家庭の保育料より高く、健康保険の支払いも高かった。
そして、何よりも私を苦しめたのは病院代だった。
娘は体が弱くて、すぐに体調を崩した。真夜中や朝方の発熱や嘔吐。インフルエンザ、ノロウイルス。
流行りの病気は全て貰ってくる。そして、同じように私もうつってしまう。
病院までのタクシー代と治療費。
所得制限で私の家庭は子ども医療が使えなかった。
今は所得制限の関係なくほぼ使えるが、娘が小さい頃は所得制限があって、母子家庭の我が家の家計はギリギリだった。
パートで働いていると、保育園から電話がかかってくる。
「どんぐり保育園です。お子さんがお熱を出したのでお迎えに来てください」
……仕方ない……。
そして、毎月のように休んだり、早退をさせて貰っているとパート仲間から嫌がられる。
私はパートを転々としながら、何とか娘を育てようと必死だった。もちろん母親の強力なしには成り立たなかった。
それでも娘は何とか大きくなった。
そして、今度は私が病気で入院してしまった……。
私は検査をしても、どこが悪いのかわからないままだった。血液検査に胃カメラ、CT。どこにも異常は見当たらない。
なのに、とにかく食事が取れない。
コップ一杯のポカリスエットすら1日かけてものめなかった。
娘を母親に任せて、私はクリスマスとお正月を入院したまま過ごした。
弱っていく私を娘には見せられず、会えないまま数ヶ月が過ぎてしまった……。
娘はきっと寂しかったであろう。
何が原因なのかわからないまま、少しずつ少しずつ食べ物を口にする事が出来るようになってきた私は、やっと退院して実家へもどった。
暫くの間は食事の量も少なく体力も落ちていていた為に実家で療養させてもらった。
そして、やっとパートで働けるまでに回復した。原因は今もわからないままだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます