天歩艱難

綴。

第1話 崩壊の始まり

 深夜だからだろうか。

 人気のない建物。


 時折申し訳なさそうに前を通り過ぎていく制服姿の男性達。


 静けさの中にコツコツコツと響く早歩きの足音。

遠くで聞こえる電話のやり取りや、無線のガサガサという雑音。


 ここは警察署だ。


 灯りはついているが薄暗い廊下にある、固くて色褪せた古いソファーに1人でぽつんと座っていた。

 座り心地はとても悪い。

 破れた跡だろう、所々にガムテープが貼って修繕されている。



 私がここに座ってから、どのくらいの時間がたっているのだろうか。

 あとどのくらいここに座っていれば良いのだろうか。

 何もわからないまま、ただじっと身動きもぜずに座っていた。



 ふと、視線を下ろす。

 仕事の通勤に毎日使っている鞄。

 (汚れてきたな……)

 私は思い出したように、鞄の中から仕事場から持ち帰ったペットボトルのお水を取り出して一口ゴクリと飲んだ。



 マニキュアなども塗らずに短く切り揃えた爪。

 アルコール消毒で荒れてカサカサになった自分の手を見て、慌ててハンドクリームを塗った。

 ため息が出る。


 仕事中から填めている腕時計がふと視野に入った。

 ただ時を正確に刻む秒針が進んでいく。

 (カチッ。カチッ。カチッ……)

 時間だけが、進んでいる。

 私の心も頭も何も動いていないのに。

 息をして、ただ、生きている。

 無意味な空間。



 私はそこで、ただ待っていた。

 仕事を終えてクタクタになった体。

 仕事で着ていた服のまんまだ。


 大慌てで足を突っ込んだ、履きつぶした黒い靴。

 そして制服の黒いパンツ、黒い半袖のTシャツに上着を羽織っている。

 帰宅したまんまの格好だった。


 何でこんな事になったのだろう。

私は何もできずに、床の汚れをぼーっと眺めていた……

 話は3時間ほど前にさかのぼる……




 その日は閉店作業をする担当の日だった。

 作業を終えて、アルバイトのスタッフといつも通りに挨拶を交わす。

 シャッターを下ろして、鍵をかける。

「お疲れ様でしたー! 気を付けて帰ってねぇー!!!」


 いつもと何も変わらない仕事終わり。

 私は車を運転して家へと向かって走らせる。

 大好きなアーティストの曲をかけて、メロディーを口ずさみながら。

 車で40分くらいだろうか。

 幹線道路から右折をし、少し静かな道に入っていく。

 そして、見慣れたマンションの地下の駐車場に車を止めた。


 家の前に着くと、いつも通り明かりはついている。

 日付けを跨いで1時間ほど経っていたので、私は音がしないように、そーっと玄関のカギを静かに開けた。


 ただ、いつもとは違う夜だった事に気づく。


 いつもと変わらない夜だと思っていたのは私だけだった。


 私が仕事でバタバタと走り回り、休憩で食事を取っている時も。

 その休憩時間でも呼ばれてアタフタしている時も……

 好きな音楽を聴きながら運転して帰宅している間も……



 我が家では異変が起こっていたのだった。


 何も知らないのは私だけだった。


 そして、私が家の玄関の扉を開けた瞬間。



 【崩壊の始まり】の幕が開けた。

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