第36話 ご家庭訪問

 朝のホームルームが終わり、一時限目の授業を待つ時間。

 俺はクラス中から好奇の目を向けられていた。


「大変なことになったな」


 直接話に来る奴が純也だけなのは、俺が本質的にボッチである証左だ。仲のいい友達というのが、純也以外にいないのだった。


「ああ、うん、そうだな」


 ここに来ても、俺は言葉を濁していた。

 クラスの皆が俺たちの会話に聞き耳を立てているのがわかる。

 その状態で「バレてしまった」などと言葉にしてしまったら、瑞希さんにも迷惑を掛けてしまう気がしたのだ。


 もちろん俺自身も、今後クラスの男子連中からシカトされかねない状態だ。

 それはなんというか、今のボッチ状態とは一線を画してまたツラい。


「どうする? あとで部室でもいくか?」

「ありがとう。でもいいよ、今は特に話せることがない」

「そうか」


 純也はひと目のないところで相談に乗ろうか、と言ってきてくれたのだが、俺はそれを断った。ここに至っては、もう肯定するしかないのだ。問題は、その切り出し方とタイミングが、最悪の形になってしまったというだけの話だった。


「天堂和臣ーっ!」


 ガラリ、と教室の戸が開けられた。

 入ってきたのは高嶺瑞希ファンクラブ会長こと朽木会長だった。ズカズカと俺の机に向かって歩いてきながら、声を大きくする。


「おまえ、二丁目のマンションに住んでるって本当かっ!? アーバンライフ・ニズモ!」

「えっ、いや答えたくないけど……」

「くうぅーっ、つまり本当か! 本当なんだな!?」


 勝手に納得されてしまった。実際住んでるので否定はできない。なんと言って誤魔化そうかと考えていると、


「じゃああれかおまえ、たたたた、高嶺さんと同じマンション住みなのだなっ!?」


 爆弾を投下されてしまったのだった。

 教室中の空気が、ざわっ、と揺らめく。


「え、初耳」「本当なの?」「確かに高嶺さんもあそこだったはず」「それじゃあ……」


 こっそりと俺の方を見ていたはずだった空気が一気に変わった。

 あからさまに視線を受けてしまう。

 俺は慌ててしらばっくれる。


「そうなんだ? 俺もそれは初耳で――」


 そこにまたガラリ、教室の戸が開けられて男子生徒が入ってくる。

 見覚えあるな、確かさっき俺を囲っていたファンクラブ会員の一人だ。


 彼は朽木会長の横まで歩いてくると、そっとメモのようなものを渡した。


「アアア、アーバンライフ・ニズモ501号室だと!?」


 俺の住所だ。どこから調べたんだ。


「たた、確か高嶺さんの住所が502号室! まさかまさかのお隣さん同士ーっ!?」

「え、そうだったのか和臣?」


 おいおい、純也までちょっと興味ありげじゃないか。俺の方を向く。

 と、純也の方に気を取られた瞬間、朽木会長が俺に躍りかかってきた。


「きえー! ゆるるさーん!」


 純也が足を引っ掻けて、俺が半身を捻って彼を避ける。

 びたーん、と朽木会長が床に倒れた。動かない。


「あああー、会長ーっ!」


 会員の彼が声を上げた。


「またしても会長をこんな目に! 許さんぞ天堂和臣!」


 倒れた朽木会長を抱えて教室を出ていく会員の彼だ。出る寸前にもこちらを一瞥し、「許さんぞー」と声を上げて去っていった。


 その途端、クラス中の女子が俺の周りに寄ってきた。


「天堂くん、高嶺さんと隣同士って本当なの!?」「駅近くの大きなマンションだよね!」「やっぱり噂は本当だったんだー!」「ねねね、どんな馴れ初め!?」


 机の周りを囲まれる俺と純也。


「純也くんも知ってたんでしょ? なんで教えてくれないかなー」

「い、いや俺は別に、知っていたというか……」

「嘘嘘嘘、親友なんだから知らないわけない! だって純×和でしょ!?」

「ねー絶対に純×和だと思ってたのに! まさか和臣くんが浮気してるなんて、ショックー」「ねー」「ねー」「ねー」


 純×和ってなんだ? 俺たち彼女らの中でどういう立ち位置だったの?


「だいたい浮気って、俺は元から瑞希さんのことが――」


 反射的に言ってしまって、俺は口をつぐんだ。

 しまった、と思ってみても遅い。周囲が一気に黄色い声で花咲く。


「きゃーっ! 『瑞希さん』だって!」「ねえ聞いた聞いた!? 名前呼び!」「許せなーい!」「ねえねえ天堂くん、いつからそういうことになってたの!?」


 純也が「あーあ」という顔で俺を見ている。

 すまん気を遣わせた結果がこんなドジでふいになってしまって。


 女の子たちになんて言おうかと考えていると、授業をするために一時限目の先生がやってきた。「ほらウルサイぞー、席つけー」と、いつものお決まり文句で事態が収束した。


 この日は休み時間ごとに教室から逃げ出して過ごした。

 気を抜くと女子たちがすぐ俺の周りに寄ってくる。

 これ以上、失言をしてしまって瑞希さんに迷惑を掛けたくないという一心だった。


「天堂和臣ーっ!」


 と、後ろから追い掛けてくる朽木会長も当然無視。

 質問の類はとにかくスルーを決め込んで校舎の中を走り回る。

 そうしたせわしない一日が終わり、俺は放課後も速攻で学校を後にしたのだった。


 ◇◆◇◆


「どうしましたカズオミお兄ちゃん、お疲れですか?」


 保育園に和音ちゃんを迎えにいくと、開口一番にそう言われてしまった。

 ヤバ。そんなに顔に出ていたか? 俺は軽く頬っぺたを自分で叩き、表情筋を整える。


「なんでもないよ。疲れてなんてないから」

「なんとわざとらしい笑顔です!」


 和音ちゃんが驚いたような呆れたような顔で声を上げた。

 どうも表情を整え切れなかったらしい俺だ。思わず、トホホと俯いてしまう。


「お悩みごとがあるなら、わーちゃんが聞きますよ! ぜひ相談してください!」

「大丈夫大丈夫、なんでもないから」

「ぜひ相談してください!」

「えっと、だから」


 帰り道のすがら、俺が顔を背けようとしても和音ちゃんはチョコマカ動いて視界に入ってこようとする。なるほど、是が非でも相談をされたいらしい。

 チラと和音ちゃんち目を合わせる。すると彼女は満面の笑顔でにんまり。


「ぜひ!」


 俺は苦笑した。

 これは仕方ない。和音ちゃんに、今日学校であったことを話した。


「おねーちゃんとお付き合いするとそんなことに!」

「なるんだよなぁ」

「不思議です、なぜですか!?」

「瑞希さんが学校で人気すぎるからだろうね。俺はその逆で、すごい目立たない方だったから、釣り合わないと感じる人が多いんだ」


 和音ちゃんに聞かせる、というよりは自分に言い聞かせてるような気持ちだった。

 だから仕方ないと、自分で状況に納得するためかもしれない。


「しつれーですねその皆さんは!」

「え?」

「おねーちゃんにカズオミおにーちゃんはとてもお似合いなのに!」


 和音ちゃんがプンプンと怒っている。


「カズオミおにーちゃんが、おねーちゃんにどれだけのことをしてくれたか。皆さんシラナイから好き勝手に言ってるんです! 知ってたら絶対にそんなこと言えません!」

「和音ちゃん……」

「だからカズオミおにーちゃん、そんな人たちの言うこと気にしないでください。おにーちゃんは、わーちゃんにとっても大切な人なんですから」


 和音ちゃんの言葉は、不覚にも染みた。

 そうだ俺は瑞希さんと和音ちゃんに釣り合う男にならないといけない。

 それには、こんなことくらいで狼狽えててはいけない気がする。

 もっともっと、強くならないと。自分に自信を持たないと。


 それから俺たちは、取り留めもなく話をしながら帰路を楽しんだ。

 風邪をひいている瑞希さんの心配をし、夕食の買い物をし、食事を含めた今晩の予定を話しながら、やがてマンションの前に着く。――すると。


 ガヤガヤと、マンションの前に学生服の人だかり。

 十人くらいの男女が談笑しながらなにかを待っているようだった。

 見ればクラスの女の子たちが半数。もう半数は。


「やや! 帰ってきたか天堂和臣ーっ!」


 朽木会長を中心とした、瑞希さんファンクラブの面々だった。

 彼らが待っていたのは、もちろん俺だろう。


「ここまで来るかー」


 面食らっている俺のところに朽木会長とファンクラブ面々が歩いてきた。


「高嶺さんのお隣に住んでいるということはもうバレている。かくなる上は、おまえにその資格があるのか、我々高嶺瑞希ファンクラブ一同が審議にきた!」

「審議だ!」「ゆるせない!」「ずるい!」「心技体」


 俺を指さす朽木会長。その後ろでファンクラブ会員たちが声を上げる。

 横にいた和音ちゃんが俺の顔を見た。


「シンギってなんですか? カズオミおにーちゃん」

「なにかに対してよく考えて、それがオッケーか相談することだよ」

「なるほどわかりました」


 頷いた和音ちゃんが、俺の前にズイと出た。

 え? なに? なにをするつもりなの和音ちゃん。

 和音ちゃんは腰に手を当てて大きく胸を張った。


「あなた方がおねーちゃんファンクラブの皆さま!」

「や。そういうキミは高嶺さんの妹さんでは!?」

「そうですわーちゃんです。おねーちゃんがいつもお世話になっております!」


 それまで胸を張っていたのにペコリ、急に頭を下げる。

 その仕草にファンクラブ面々がわいた。


「さすが高嶺さんの妹御」「かわいい」「毅然としておられるな」「毅然……きぜん……紀元前」


 ぼそぼそと朽木会長の後ろで語り合う。

 和音ちゃんに合わせるように朽木会長も頭を下げた。


「いえいえとんでもない。僕はお姉さんのファンクラブ会長をさせて頂いております朽木と申します」

「今日はなに用でしょう朽木さん!」

「そこな男、天堂和臣が不埒にもお姉さんの隣に住み始めたと聞き及びまして、果たしてその資格があるのかという審議を為そうかと押し掛けた次第」


 朽木会長がそう言うと、ちょっと離れた女の子連から声が上がる。


「ちがうよー」「私たち単に高嶺さんの部屋がみたくて」「和臣くんの部屋に純也君の写真が置いてあるってホント?」「楽しそうだったからー」


 どうやら男女で目的が違っていたらしい。別に一枚岩の集団ではなかった。

 眼鏡をクイっと押さえた朽木会長が彼女たちの方を見た。


「き、キミたちちょっと黙っていてくれないか!?」

「「はーい」」


 返事をして彼女たちは、キャッキャと取り留めない話に戻っていった。

 ごほん、と咳払いをする朽木会長。

 すると和音ちゃんがフンスと鼻息を荒くした。


「わーちゃんたちもシンギです、朽木さん」

「え?」

「風邪で寝込んでいるおねーちゃんのトコに押し掛ける人たちが、カズオミおにーちゃんのシンギをしていいのでしょうか?」

「――――!!」


 朽木会長が衝撃を受けた顔で一歩引く。

 後ろの会員たちがざわついた。


「たたた、確かに……!」「これは分が悪いです会長」「正当性があちらにあります」

「正当性……生徒SAY、ふふ」



 朽木会長も頷く。


「そ、それはそうだ。風邪で寝込んでいる乙女に心労を掛けるなど、紳士としてありえない!」


 おいおい、どういう展開だ?

 俺は黙って見守ることにした。


「天堂和臣、今日は僕たちが間違えていたようだ。そこの妹さんに思い知らされたよ、さすが高嶺さんの妹さん」

「わーちゃんとお呼びください!」

「ありがとうわーちゃんくん、お陰で大きな間違いをせずにすんだ」


 朽木会長がさっと手を振ると、会員たちはサササッと奥に退いていく。


「キミたちもだ女子高生諸君! 今日の訪問は取りやめる、一緒に森へ帰ろう!」

「えー」「つまんなーい」「純×和の確認はー?」

「いいから行くぞ、さあ帰るのだ!」


 なるほどこういう展開か。さすが和音ちゃん、事なきを得てしまう。ホント賢いな、この子は。――などと考えていたら。


「お待ちください皆さん!」


 和音ちゃんが皆を引き留めた。


「風邪をひいてるおねーちゃんに会わせるわけには行きませんが、カズオミおにーちゃんがどれだけウチのおねーちゃんにお似合いか、皆さんにはしっかり見ていって頂きたいと思いました!」


 えええええ!? なに言ってるんだ和音ちゃん!


「どうぞおにーちゃんの部屋にお上がりください!」


 こうして、朽木会長を始めとしたその他一行が、ウチのマンションへと上がり込むことになったのだった。

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