第7話 アルバイトの開始

 喫茶店の中に飛び込んできた和音ちゃんに、高嶺さんが困った顔を見せる。


「もー、わーちゃん! ついてきちゃダメだって言ったじゃない!」

「お姉ちゃんについていったわけじゃありません!」


 和音ちゃんはえっへん。胸を張り、


「カズオミお兄ちゃんの後を追ってきました!」


 感心して笑ったのは時子さんだった。

 和音ちゃんはときおり驚くほどのカシコサを発揮する。俺も内心で感心していたが、いやここはなにか言わなくちゃいけない場面だよな?

 ちらりと高嶺さんの方をみると、彼女も俺に注目していた。うん、ここは叱らねば。


「和音ちゃん」

「はい!」


 和音ちゃんは直立不動の姿勢を取った。


「駄目だよお姉ちゃんの言うことは聞かないと。ここはお仕事をする場所だからね?」

「ごめんなさい! わかりました帰ります!」


 ピシッと敬礼。

 そういえば前もなにかの折に敬礼してたっけな。どこで覚えたんだろう、お気に入りらしい。

 ともあれ聞き分けて貰えた、と俺が胸を撫でおろしていると。


「おいおい、もう帰しちゃうのか? せっかく来たんだ、ジュースでも飲んでけよ」

「ジュース!」


 和音ちゃんがピクンと反応した。俺の背後を覗き込むようにして、カウンターの中に居る時子さんの方を見る。


「いいんですか!」

「いいよ、飲め飲め。和臣の奢りだ」

「ちょっ、俺!?」

「おまえを追ってきた子だ、おまえが接待するのが筋ってもんだろ?」


 時子さんは意地悪な顔で笑った。

 俺に意地悪を言うときの時子さんは、本当に楽しそうなのだ。

 おい純也、時子さんはこういう人だぞ? 倒れて看病なんてして貰ったら、あとでどんな意地悪な要求をされることか。


 気がつくと和音ちゃんが、キラキラした目で俺のことを見ている。

 俺は諦めの笑顔で頷いた。


「そうだね、ジュース飲んでく? 和音ちゃん」

「のんでく!」

「ケーキも食べるだろ?」

「いいんですかお姉さん! たべます!」

「良いとも良いとも、和臣の奢りだ。是非とも食べていってくれ」

「ぎゃーっ!」


 思わず叫んでしまう俺だった。

 でもまあいいか、和音ちゃんも喜んでいるし。


「じゃ、高嶺さん……瑞希ちゃんでいいか、瑞希ちゃんはこっちにきてくれ。エプロンを渡すから」

「はい!」


 奥に入っていく二人を見送りながら、俺もカウンターの中に入った。

 和音ちゃんをカウンターに座らせる。

 ちょっと背が足りないかな? でもまあ、仕方ないか。


「オレンジジュースでいいかな? 和音ちゃん」

「すきー! わーちゃんオレンジジュースすきだよー!」

「オッケィ。ちょっと待っててね」


 俺は冷蔵庫を開けて、ジュースのパックを取りだす。

 果汁100%のオレンジと無果汁オレンジを混ぜるのが、この店でのオレンジジュースだ。混ぜることで味が優しくなるとは時子さんの弁、100%オレンジのままだと時子さんはむせてしまうのだそうな。


 ジュースを用意し、『今日のケーキ』も用意する。

 これは気まぐれな時子さんが時たま焼いてくるケーキで、毎日あるメニューではない。せっかくだからこれにしよう。

 今日は苺のショートケーキだ。俺も一緒に貰っちゃおうかな、時子さんのケーキは美味しい。


「はい和音ちゃん、召し上がれ」


 和音ちゃんの前にケーキとジュースを出す。

 ソワソワと椅子に座って待っていた和音ちゃんの顔が、パァァと明るくなった。


「おいしそう!」

「おいしそうだねー」


 俺の分もケーキを置き、紅茶を淹れる。


「カズオミお兄ちゃんもケーキ!?」

「そう。一緒だね和音ちゃん」

「いっしょ!」


 トスントスンと、椅子の上でポップする和音ちゃん。俺と一緒なのが嬉しいらしい。


「それじゃ、一緒にイタダキマスしようか」

「うん!」

「それじゃ……、せーの」

「「いただきます!」」


 カウンターでケーキを食べてるとか、店員としてありえないと思われるかもしれないが、この店ではこれが許される。

 もちろん接客最優先だが、合間や客がいない時間にはこうして力を抜いていても怒られない空気なのだ。

 なんなら常連のお客さんとは、食べながら話をすることもある。

 そもそもオーナーの時子さんは酒を飲みながら接客するのが常であるのだから、空気感など推して知るべしというところだ。


「おいしい!」

「うん、美味しいね」


 たっぷり苺にたっぷり生クリーム。酸っぱさと甘さが口の中に心地よい。

 懐かしいような味だった。


「いちご!」


 とフォークに刺した苺を一口にする和音ちゃん。

 なるほど和音ちゃんは好きなものから食べる主義らしい。ケーキの上に乗っている苺を全部食べてしまった。


 俺は計画的に食べるのだ。

 このショートケーキには苺が三つも乗っている。なのでまずは一個を食べた。

 これは露払いだ、苺の甘味と酸味で口の中にケーキの受け入れ態勢をつくる。


 苺を追うようにして、ケーキをひと欠け。

 スポンジと生クリームが、それぞれの甘さで苺と調和した。美味しい。


 紅茶を口にしながら、中盤にもう一つ苺。

 中堅の強さ。苺の酸味と紅茶の渋みで、甘くなった口の中をリセットして後半戦に挑む。


 後半戦は重要だ。

 全ての満足度がここで決まる。だからここでの苺を食べるタイミングこそ重要で――などと考えていると、なんか視線を感じた。

 和音ちゃんが、俺のケーキをじっと見ている。


「あれ? 和音ちゃん、ケーキは?」

「もうたべちゃった」


 早いな! そして彼女は、俺のケーキを見ている。

 行儀わるな仕草だけど、かわいい幼女にこんなことをされると抵抗しにくい。うーん!


「……和音ちゃん、苺、食べる?」

「たべます!」


 即答だ! 強い!

 こうして俺のラスト苺は、和音ちゃんの物になった。


「おいしいです! ありがとうカズオミお兄ちゃん!」


 にへら、と笑う和音ちゃん。

 後半戦のリズムは崩れてしまったがまあいいか。

 和音ちゃんの、あんな嬉しそうな笑顔を見れたのだから。


「よーしよし、似合ってるぞ」

「本当……でしょう、か?」


 楽しそうな時子さんの声と、消え入りそうな高嶺さんの声が奥から近づいてきた。

 どうやら着替えが終わったらしい。

 着替えといってもここの店には制服がない。その代わりに、大きなエプロンをするのだ。

 大きな大きな、白いエプロン。レースの刺繍があしらわれた、ちょっと男の俺には恥ずかしいくらいに乙女チックなデザインのもの。


「見てもらえ見てもらえ、どうだい和臣少年! 瑞希ちゃんのエプロン姿は!」


 そう言った時子さんに引っ張られながら、高嶺さんが奥から姿を現した。

 胸からひざ下までの白いエプロンが似合っている。どこから揃えてきたのか、白いカチューシャまで付けさせられた高嶺さんは、どことなくメイドの風味を感じさせてくれる。

 あれ? これは、なんというか……。


「きれいだ……」


 つい、ぼそりと呟いてしまった。

 俺はハッとする。なに言ってんだ俺、こんな言い方、恥ずかしすぎるだろ!

 ほら高嶺さんの顔も真っ赤だ。

 って、うわあ! 時子さんがニマァ、これ以上ないくらい楽しそうに、邪悪な笑みを浮かべてる!


「おほほほほーぉ? んー? いいねぇ今の言い方。つい本音が漏れてしまいました、みたいなさー? なあ瑞希ちゃん、聞いたか? 和臣が『きれいだ』ってさ」

「そ、そんな……! あの、私……!」

「きれいー! お姉ちゃんきれいきれいー!」

「なー和音ちゃん、お姉ちゃんきれいだなー!」

「あのあのあの……っ!」


 高嶺さんの目がグルグル。これまで見たことのない泳ぎ方をしている。


「私ーっ!」


 耳まで顔を真っ赤にさせた高嶺さんは、走って奥に引っ込んでしまった。

 時子さんはケタケタと笑いながらしばし腹を抱えると、突然に俺の背中をバシバシ叩く。


「ばっか! なにしてんだ和臣、追いかけろよ。ナイトの役目だろ!」

「ナイトって……! 俺は別に、そういうのじゃあ!」

「うるさいぞ、いってこい!」


 ドン、と押された。

 俺はよろけながらカウンターの奥へと足を運んでしまう。

 カウンターの奥は倉庫を兼ねた従業員スペースだ。ロッカーが幾つか並んでおり、ダンボール入りの食材や飲み物が床に置かれている。大型の冷蔵庫には肉なども入っているはずだ。

 その大型冷蔵庫の前で、高嶺さんは後ろを向いて立っていた。


「高嶺……さん?」


 俺が声を掛けると、高嶺さんはビクンと肩を震わせた。


「どうしたのいきなり走っていっちゃって。ほら、戻ろう? 時子さんが待ってる」


 沈黙。

 しばし無言の時間が流れる。高嶺さんは後ろを向いたまま、動かない。

 俺は少し思い立つことがあり、自分のロッカーの中を漁った。


「えっと……、あった。これこれ」


 小箱に入った深く青い石。

 これは俺がここでバイトを始める際に、時子さんから貰った石だ。名前は忘れたが、仕事を円滑にするパワーストーンだとか言っていた。

 俺は高嶺さんの隣に立って、横から笑い掛けた。


「これあげるよ。仕事の成功に良いお守りなんだって」

「え?」

「俺はもう仕事に慣れたからね。今度は高嶺さんの役に立って貰おう」


 俺は高嶺さんの手を握り、丸く加工された青い石をその平に置いた。

 高嶺さんはしばし石を見つめながら、やはり無言だった。

 俺は根気よく待つ。高嶺さんがこちらを向いてくれるのを。


 どれくらい経っただろう。高嶺さんが口を開いた。


「天堂くんに『きれい』って言われたら……なんか急に、すごく恥ずかしくなっちゃって。……そしたら、急にそこにいること自体が恥ずかしくなってきちゃいまして」

「ごめん、あれは俺も恥ずかしかった」


 苦笑する俺。恥ずかしさがリフレインしてきたので頭を掻いて少し誤魔化す。


「時子さんが悪い。あの人、全部わかってて煽るんだ、タチ悪いだろ?」

「…………」

「俺が小さい頃からさ、俺を困らせてはいつも笑ってて。……あ、考えたら腹立ってきたぞ、なんで俺はこんな仕打ちをいつも我慢してるんだ? 一回ガツンと言ってやろうかな、そうだなそうだ、高嶺さんまで巻き込んでからかうとか、ないわー。高嶺さんもそう思うだろ? なぁ、バイト初日の新人をからかうなんて、そうだよ鬼だあの人。ジュースも俺持ちにするし、そう鬼!」


 俺が熱弁していると、不意に高嶺さんがクスクス笑いだした。


「大好きじゃないですか、天堂くん。時子さんのことが」

「そ、そんなこと!」


 ないよ! とは何故か言えなかった。俺は明後日の方を見る。

 そうして高嶺さんから視線を外していると、いつの間にか高嶺さんが俺の顔を見ていた。


「頑張ります、私」

「え?」

「まだ、自信はないけど。人見知りをしてしまうと思うけど、でも頑張ります」

「あ、うん。もちろん俺もフォローするよ、その為にこのバイトを紹介したんだから」

「はい! お願いします!」



 ◇◆◇◆



 その後、高嶺さんに一通りバイトの説明を終えて俺たちが店内に戻ると、時子さんが和音ちゃんのことを構っていた。


「うちのオレンジジュースはうまいだろ? 和音ちゃん」

「ハイ! おいしいです!」

「だろう? 味わえよー和臣のオゴリだ。おかわり要るか?」

「いいんですか!?」

「いいぞー? あたしゃ子供のことは可愛がることにしてんだ」


 酒を舐めながらそんなことを述べている時子さんに、俺は文句を言う。


「子供の頃の俺にもそんなこと言ってやって欲しかったですよ時子さん」

「なにいってやがる。和臣のことだって十分『カワイガッテ』やっただろ」

「かわいがる、の意味違ってますよね? それ多分」


 高嶺さんが俺の横でクスクス笑う。

 よかった、楽しそうだ。俺は、なんだろう不思議な嬉しさを胸に覚えた。

 変わろうとしている高嶺さんの気持ちを応援したい気持ちで一杯だ。


「持ち直したかい瑞希ちゃん?」

「はい! ご迷惑お掛けしました!」

「そうだ、迷惑だ。わかってるなら構わない」


 ニヤリ笑う時子さん。

 ジュースを取りに冷蔵庫へ向かった時子さんが、俺の髪をクシャリと掴んだ。


「なんですか?」

「なにって、可愛がってるやってんじゃないか」

「いいですよ! そういうのは!」

「あはは、和臣もなかなかやるようになったなーってさ」


 そこにチリン、入口のガラス戸についた鈴が鳴る。


「ほら瑞希ちゃん、お客さんだ。いってこい」

「はい! ……い、いらっしゃい……ませぇーっ!?」


 まだぎこちない高嶺さん。

 だけどこうして、彼女のアルバイトは正式に決まったのだった。



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