半月
蓮が出て行ってから一週間経った夜、圭介は夕食の後片付けを終えると、食事中から流していたテレビをそのまま見ていた。
画面の中ではお笑い芸人達が、他愛もない愚痴話を披露し合って盛り上がっている。それを眺めながら蓮の事を思い出した。
あれからたまに携帯やテレビのニュースをチェックしていたが、蓮が捕まったという報道は出ていなかった。どこか潜伏先を見つけて身を潜めているのだろう。圭介のもとに長居しなかったのは、やはり知り合いの家は場所が割れる可能性があったからだと思われた。
ソファーに凭れ掛かって長い息を吐き出す。蓮のことは幼馴染のよしみ、何とかしてやりたいという気持ちもあったが、関わらない方がいいという感情も大きく働いた。その二つの思惑に挟まれて何も身動きできず、ただ安否をチェックすることしかしなかった。
そんなことをぐるぐると考えていた時、テーブルに置いてあった携帯電話が鳴った。画面を見ると、相手は「非通知」となっている。一体誰だろう。非通知の着信なんてあまり良い相手ではなさそうだ。でも、もしかしたら・・・。
「はい」
念の為電話に出てみることにする。耳元から聞こえてきたのは馴染みのある声だった。
「あ、圭ちゃん?良かった、出てくれて」
やはり蓮からの電話だった。圭介は安心と不穏な気持ちとが混じりあった複雑な気分になった。
「・・・蓮?お前、どこからかけてるんだよ。非通知って・・・」
「ん?今ね、公衆電話。携帯の電源は入れとくと場所バレちゃうからさ」
蓮は相変わらずいつもの調子だった。焦りであったり怯えという感情は少なくとも表面上は伝わってこなかった。
「それでさ、ちょっと今から言う場所に来て欲しいんだ」
蓮の要求はいつも突然だった。
「どういうことだよ」
「いいからいいから。電話代無くなっちゃうから手短に済ますよ。紙とペンを用意して」
強引な蓮をよそに圭介は思考がついていかなかったが、とりあえず言われた通りメモを用意した。
「えっとね、場所は——」
夜の帰宅ラッシュの時間からは少し外れていたが、駅の中はそれなりに行き交う人がいた。そこは圭介の最寄駅から二駅電車に乗った場所だった。
「○○区○○町×―×―× ○○ってアパートの201号室に来てね」
押し切られるようにそう言われて、反論する間も無く電話は切られた。それで圭介は渋々言われた場所へと向かっていたのだった。
そのアパートというのが今の蓮の潜伏場所なのだろうか。仮にそうだとして、何故自分が行く必要があるのだろうか。携帯電話の地図アプリで夜道を照らしながら、圭介はまとまらない思考を持て余していた。
蓮から伝えられた住所に辿り着いた。そこは二階建ての小型のアパートで、暗いのではっきりとはしないが比較的新しい建物に見えた。
住人に出くわさないことを祈りながら階段を上がり、201号室へ向かった。ドアの前に立つと、圭介は一度深呼吸をした。
そしてインターホンを押す。何秒もしないうちにロックが解除される音がした。
ドアから顔を覗かせたのは蓮だった。「や、一週間ぶり」と挨拶をすると中に入るよう促した。その場から動けずにいる圭介が「どういうことだよ」と曇った表情で尋ねると、蓮は「いいから、早く」と言い再び中に入るよう言った。圭介としてもここで揉めて人目については困るので、とりあえず蓮に従い家の中に入った。
家のドアを閉めると、「鍵かけて」と蓮が言ってきたので。そのまま施錠をした。そしてずんずんと中に進んで行こうとする蓮の腕を掴んで引き止めた。
「おい、とりあえず説明してくれよ。ここの家の人は中に居るのか?何で俺がここに呼ばれたんだ?」
「それは説明するより見てもらった方が早いと思うよ」
くるりと圭介の方を向いた蓮は、そう言うとまた向き直り室内へ歩いて行ってしまった。
居間らしき場所に人はいなく、その居間と続くようにして寝室があった。
寝室だと分かったのはダブルサイズのベッドがあったからだったが、同時に信じられない光景が目に入って来た。
ベッドの上には、一人の女性が寝かされていた。年の頃は二十代前半くらいに見えたが、そんなことはどうでも良かった。圭介は狼狽した。両の目に涙を浮かべ、恐怖の表情を浮かべたその女性の口にはガムテープが貼ってあった。そして両手が胸の前で、そして膝が曲がる形で両脚が、それらもまたガムテープで拘束してあった。
圭介を新たな敵だと認識したのか、女性はくぐもった悲鳴を上げじたばたと暴れた。それを圭介は呆然と見ていた。
「どういう、ことだよ・・・・・・」
かろうじでそれだけ言葉を発した。思考が目の前の状況についていかなかった。
「あのね、あれからここに置いてもらってたんだけど、体だけの関係でってことにしたはずなのに、やっぱり付き合ってほしいってうるさくて。だから最初は穏便に出て行こうとしたのに、それも邪魔しようとするから少し痛い目見てもらおうかと思ったんだよね」
おそらく蓮は圭介の家を出てから、街で適当な女性に声を掛けて家に上がり込んだのだろう。彼の見た目を武器にすれば居候させてくれる女性は簡単に見つかりそうだった。
「痛い目って・・・、お前何するつもりだ・・・?」
震えそうになる声を何とか抑えながら圭介は蓮を見据えた。すると蓮は圭介を振り返り、笑った。
「
まわす。最初に頭に浮かんだのはその文字だった。しかしそれがすぐに輪姦という言葉に変換された。
圭介は震えた。今度は恐怖というよりは、怒りの感情が大きかった。蓮の度重なる傍若無人ぶりが圭介の中で膨れ上がって、とうとう限界に達した。
「・・・お前、ふざけんなよ・・・‼いい加減にしろよ・・・!そんな事、する訳ないだろ‼」
そう叫ぶと踵を返し、寝室を出ようとした。そして一度立ち止まり振り返ると、
「もう金輪際俺には関わらないでくれ」
と吐き捨て玄関へと向かった。
蓮は最後までいつもの薄ら笑いだった。その口元とは相反して笑っていない目は、定まらない場所を映していて圭介も女性も捉えていなかった。
帰宅した圭介はすぐに眠ることが出来なかった。あの女性はどうなっただろうか。圭介が拒否したことによって蓮は諦めて解放したのだろうか。それとも面倒ごとになるからと殺してしまっただろうか。そうなったとは思いたくなかったが、キャバクラ嬢の前例を考えると有り得ないことではなかった。
眠れないまま寝室の天井を見つめていると次々と色々な考えが浮かんできた。
圭介の家を出た蓮は道行く女性に声を掛けて家に転がり込んだが、だったら何故最初からそうしなかったのだろう。いくら蓮の家から離れていたとはいえ、警察が熱心に蓮の身辺調査をすれば圭介の存在が浮上してもおかしくはない。現に蓮はそれを懸念して早々に圭介の家を出たではないか。
先刻の女性の件にしたって、痛めつけたいのであれば他にも方法は有ったはずだ。わざわざ圭介を呼び出して到着するのを待って・・・などという回りくどい事をする必要は無い。
もしかすると・・・と圭介は思った。もしかすると蓮は自分の行った犯罪に関して、圭介を巻き込もうとしているのではないか。
圭介の家に身を隠して自分がそこに匿われたという事実を作り、邪魔になった女性を排除する現場に呼び出し圭介がそこに居た痕跡を残させる。
刑法に詳しくはないので分からないが、全ての犯罪を一人ではなく圭介も関与していたと疑わせることで、自分の罪を軽くしようとしているのではないだろうか。
一度そんな思考がよぎると、次々と悪いシナリオが浮かんできて疑心暗鬼にかられた。とにかくもう蓮と関わってはいけない。もう十分過ぎるほど関わってしまったが、警察に目を付けられないことを祈るしかなかった。
不安な気持ちを抱えながら何度も寝返りを打った。眠ってしまえば少しは気分も変わるかと思ったが、とうとうその日は眠ることが出来なかった。
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それから二週間経ったが、蓮からも音沙汰が無ければ警察が圭介のもとにやって来ることも無かった。不安が完全に消えた訳ではなかったが、それまで通りの日常を過ごしていくうちに段々と圭介の心は落ち着きを取り戻してきていた。
その日は大学の友人三人で居酒屋に集まって飲み会をしていた。久し振りの飲み会だったし、今まで張りつめていた気持ちが緩みつつあった圭介は少し上機嫌で飲んだり話したりしていた。
次の日は休日だったが、友人の一人が朝から用事があるとのことで、飲み会は九時を過ぎるとお開きになった。全員が別々の方向に帰る為、友人と別れ圭介は一人になって電車に乗った。
座席は空いていなかったので、ドアの隅に立って携帯電話を取り出し、イヤホンを着けて動画サイトを眺めだした。
適当に目についた、大食い関係の動画を見ていた。少し酔いが回った頭で、タレントが次々に食べ進めていく映像をぼうっと眺めていた。
しかしその映像が突如停止した。何かの通知でも来たかと思っていると、すぐに画面は電話の着信表示に変わった。相手先の番号は、非通知だった。
すぐに酔いが醒めた。非通知からの着信。相手は想像するまでもなく、蓮に違いなかった。
電話には出なかった。勿論今は電車の中なので出る訳にはいかないが、そうでなかったとしても出なかっただろう。
動揺した圭介は拒否ボタンを押すことも出来ず、ただ着信画面を眺めていた。
二十秒程そうしていただろうか。やがて電話は切れた。何の用事だったのだろうか。もう関わらないでほしいと言ったはずなのに、聞き入れるつもりは無いらしい。
圭介はこのまま蓮が連絡してこないことを祈ったが、あまり良い予感はしなかった。酒で上機嫌になった圭介の顔色はすっかり病人のようになっていた。
帰宅して携帯電話を見ると、案の定駅から歩いている間にもう一回着信が入っていた。それも無視して荷物を片付けていた。しかし何の用件なのかとても気になった。
これまでのことを考えるとまた圭介を何かに巻き込もうとしている気がしてならなかった。
家事が手につかなくなったので、ソファーに座り、目の前にあるテーブルに携帯電話を置いて、組んだ両手で頭を支えて項垂れるようにぼうっとしていた。
するとそれを待っていたかのように、再び携帯が震えた。画面の表示はやはり非通知。圭介は厳しい眼差しで四、五秒それを見つめていたが、もういくら無視しても無駄だと思い、意を決して電話を掴んだ。
「あ、圭ちゃん?」
分かりきっていたことではあったが、声の主は蓮だった。その挨拶もいつも通りだったが、どことなく声が普段より上ずっているような気がした。
「・・・なんだよ。もう掛けてくるなって言っただろ」
最大級の警戒心をにじませて返事をした。心臓が激しく動いていた。
「まあまあ、そう言わないでよ。実はさ、今圭ちゃんの家の近くに居るんだ」
「——何でだよ。もう
圭介が嚙みつくように言うと、電話の向こうで蓮は「あはは」と笑った。
「そうじゃないよ。あのさ、圭ちゃんの家の近くに廃工場があるでしょ?
コンビニから百メートルくらい離れた所にあるやつ。そこに来て欲しいんだ」
また呼び出しだった。ただでさえ危ない予感がするのに、廃工場への呼び出しなんて何が起こるか分かったものではなかった。圭介は電話を握る手に力を入れた。
「・・・そんなの、行くわけないだろ」
嫌悪感をあらわにして答えたが、蓮は全く意に介していない様子だった。受話口からはくすくすとした笑い声が聞こえた。
「まあ、そう言うとは思ったけど。でもさ、もし圭ちゃんが来なかったら圭ちゃんの家族が危ないよって言ったらどうする?」
一瞬自分の耳を疑った。蓮の言っていることを理解するのに少し時間を要した。
「お前、まさか・・・俺の家族に何かしたのか・・・!??」
蒼白になって問い質すと、また笑い声が聞こえた。
「いや、さすがにまだ何もしてないけど、圭ちゃんの行動次第ではどうなるか分からないかもね。お父さんに、お母さんに、栞ちゃん。大事な家族にもしもの事が起こらない為には、どうしたらいいか・・・分かるよね?」
いつの間にか電話は切れていた。圭介は茫然としていた。携帯電話を耳に当てたまま、ぼんやりと正面を見つめていた。
もう蓮には関わるつもりはなかった。けれど、もし蓮が本気で圭介の家族に危害を及ぼすつもりだとしたら、このまま放ってはおけなかった。人を殺したことがある彼だ、有り得ないとは言い切れない。
圭介はソファーに座ったまま両手で顔を覆った。そのまま数秒そうしていた。しかし意を決したように顔を上げると急に立ち上がり、いつも使っている斜め掛けのバッグを手に取ると足早に家を飛び出した。
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