第955話 天に駆けることを祈って

◇天に駆けることを祈って◇


「思いのほか時間を食っちまったな…。まだ無事みたいだが…まさか取り逃がしてないだろうな?」


 煩く喚く彼女を気絶させた俺は、馬の血に濡れる馬車へと目を向ける。向こうのことを気にする余裕は無かったが、風を伸ばしてみれば御者の騎士の息遣いを感じ取ることができた。

 少なくとも彼はまだ無事だと安堵した俺は、小走りで馬車の陰に隠れた彼らのほうへと向かう。


 片腕を斬り飛ばした女性剣士の血が擦り傷に思えるほど、馬車の周囲は血に濡れていた。馬から流れ出た大量の血が真っ赤な水溜まりを作り出しており、馬車は無事であるのに事故現場は悲惨なものへと変貌している。


 馬車の陰へと踊りだした俺の眼前に映し出されたのは、一人で佇む騎士の姿であった。

 女性剣士の相方であった男は騎士の足元に仰向けで倒れており、喉元には一本のナイフが深々と刺さっていたのだ。


「……あ」


 まさか彼が男を捕えずに殺すと思っていなかった俺は、反射的に言葉を零してしまった。

 俺の声が届いたのだろう。騎士は焦った様子でこちらの方を振り返った。


「待て待て待て!私ではないぞ!私が殺ったのではない!」


「あ、いや。…俺の方が生け捕りにできたし、片方は…まぁ殺してしまっても…特に問題はないかと…」


「だから違うんだって!私が殺ったんではなく勝手に死んだんだよ!」


 焦りのせいか彼の慇懃な口調が崩れる。男から流れる血は筋を描いて馬たちの血溜まりに合流しており、その筋を彼が踏んでバシャリと音を立てた。

 殺人犯が歩み寄ってきたため、俺は思わず後退ってしまう。


「なに言ってんですか。誰がどう見ても立派な犯行現場。…もし他の騎士に尋ねられたら、俺は素直に彼がやりましたって言うぞ?」


 窮地を共にした間柄だが、手を血に染めたことを庇うのもどうなのだろうか。彼のことを考えれば自首を勧めるべきなのかもしれない。


「くぅ…。信じられないだろうが、勝手にこいつが自分の喉を刺したのだ。その直前までは私と剣を交えていたのに…」


 騎士である彼が男を殺したところで大した問題にはならないのだろうが、やはり尋問をするために生け捕りが基本である。

 彼が殺したにしろ、自死が本当であったにしろ、犯人を彼岸へと取り逃したことには変わりないため、彼は悔やむように足元の男を見下ろしていた。


 彼の弁明も嘘とは思えないため、恐らくは本当に殺した訳ではないのだろうが、やはりそれでは疑問が残ってしまう。

 捕縛されてから自死を選ぶのならまだしも、戦闘中に自殺する意味が分からないのだ。自死をした際の詳しい状況は分からないが、仮に負けを認めたとしても逃走を試みるだろう。

 あるいは任務の失敗は死あるのみという過激な集団だったのだろうか。


「…もしかしたら魅了の儀式か?流れる血か…あるいは命を捧げることで発動する呪術…」


「何?言っておくが私は正気だぞ?…自分の判断ではなんの保障にもならないだろうが…」


「対抗薬を飲んでいるんですよね?なら問題ないかと。この男が死んだ瞬間に何か感じたことはないんですか?」


 俺はあえて隙を晒すように彼を背後にして座り込み、死んだ男の状況を観察する。

 もし彼が魅了されていたのならば俺に斬りかかってくるかとも考えたが、彼はそのようなそぶりは見せず、顎に手を当てて俺の質問について考え込んでいた。

 念のために疑いはしたが、今のところ彼に魅了された気配はない。


「悪いが魔法的なことには鈍感でな。…ついでに女心にも鈍感らしい。同僚には馬だけに敏感だとよく揶揄われているよ」


「女心と違って強力な魔術なら多少鈍感でも感知できますよ。つまり発動していたとしても細やかなもの。…まだ死体は暖かい…。死んでからは…?」


「ああ、差ほど経っていない。死ぬ直前には確か…潮時ですねと呟いていたな。もしかしたらそちらの勝敗が決したのを察知したのかもしれないが、それでもなぜ逃げ出さずに死を選んだかは分からぬ」


 冬場の、しかも日陰ともなれば死体は即座に冷えてゆく。死んでからほとんど時間が経っていないともなれば、彼の言う通り俺と女性剣士の勝敗が決したことが引き金だろうか。

 俺はなにか他に情報は無いかと男の死体を調査する。そして彼の体の下を覗き込んだところで、俺は見覚えのあるものを見つけ出すことができた。


 なにかの合金らしき金属片。それは女性剣士の体中に備え付けられていたものとよく似ており、男の後頭部に深く突き刺さっていたのだ。

 女性剣士の後頭部は彼女を縛るときに目にしたが、この男とは違い彼女の後頭部にはそのようなものは見当たらなかった。

 取り付ける部位で何が違うのかは不明だが、俺は得も言われぬ不気味さを覚えた。


「…とにかくあの女は生きてとらえたのだろう?まずはそちらから情報を絞り出すか」


 不気味さに一歩退いた俺を見て、調査を諦めたと思ったのだろう。騎士は生け捕りにした女性剣士を尋問すれば済む話だと俺に告げる。


「そうですね。周囲にほかの人影はありませんが、まだ襲撃が続くとも限りません。さっさとここを離れるとしますか…」


 血の匂いと剣撃の音がそうさせたのか、周囲に人影は見当たらない。しかしいつ追加の人員が現れるか定かでないため、まだ安全を確保できたとは言えない状況だ。

 御者の騎士は額を拭いながら王都を覆う外壁を見上げた後に、警戒するように周囲を見渡す。そしてようやく事態が落ち着いたからか、憐れむような視線を亡くなった馬たちへと向けた。


 この場を脱しようと提案したものの、彼はこれだけはさせてくれと宣言するように血に沈む馬たちへと無言で歩み寄った。

 そして片膝をついた彼は、まるで戦友を送るかのように祈りを捧げた。俺は彼が魅了されたことを疑ってしまったが、その姿を見れば彼が正気であることの証明になるだろう。

 その真摯な祈りは猜疑心を払うほどの説得力があったのだ。


「後でしっかりと弔ってやるかなら。慰めになるかは分からぬが、今は私の祈りで満足してくれ…」


「…それがなにより弔いに必要なものだと、うちの神官が言ってましたよ」


 俺も彼に並んで馬達に祈りを捧げる。外壁の陰に集った冷気が馬達の熱を奪い、それは祈りと共に空へと溶けてゆく。

 王子達を安全なところに送り届けたのだろう。俺らの背後の日溜りからは、騎士達を引き連れたナナ達を乗せる馬の蹄の音が、どこか遠くから響いてきていた。


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