第19話
満開の桜の集客力をあなどっていた。
観光名所で、休日で、初夏並みの陽気となれば、じゃあ花見でもしようと思うのは日本人の桜を愛する気質ゆえなのか。
公園は真っ直ぐ歩けないほどの
わたしがあんまりふらふらするものだから、譲くんからはお小言をもらってしまった。
「桜は逃げないから、前も見て歩いて」
「はーい……」
わたしたちは遊歩道を歩きながら、風に舞う花びらごと桜を
「それで、昨日の件なんですが……いったいなにが」
「カラオケ大会が終わったと思ったら、なんでか直央たちの握手会になって、差し入れされるビールを片っ端から飲んだ直央を俺が介抱した。市橋さんは、直央はある一線を越えると電池切れるからあとはよろしく頼むわと言い残してさっさと帰った。松村さんも、お前が招待したなら最後まで面倒見ろって、うるさいし」
淡々と、しかし途切れることなく説明される。わたしは首をすくめた。
「家に上がったら上がったで、ジーンズじゃ寝れないから服を貸してとストリップショーを始めかけたから、慌てて着替えごと寝室に押しこめた」
「な、なるほど……とんだご迷惑をおかけしました」
思ったよりひどい。いたたまれずに、地面に落ちた花びらから目を上げられなくなった。
「粗大ゴミの回収業者の気持ちがわかった気がする」
「譲くん、ちょっと毒舌が過ぎやしませんか」
ぎろりと
「……直央は空気を読むのが上手いな」
「さすがに睨まれたらわかるよ」
これでわからなかったら、さすがに鈍すぎる。
「そうじゃなくて。昨日、助かった。サンキュ」
「え」
ぼんやりと訊き返したあとで、譲くんの真面目な目と視線がぶつかった。ひょっとして、伊吹さんに泣かれかけたときのこと?
「あー……気づかれちゃったか。喉が枯れるまで歌ったかいがあったね」
まさか助け船を出したのに気づかれるとは思わなかった。冗談めかして言うと、譲くんはなぜかほんの少し怒った顔をした。
「マジで感謝してる。こっち女性が少ないのもあって、伊吹さんは年上からかわいがられててさ。付き合うときも外野からいろいろ言われたんだけど、別れてからもなにかとうるさくて、正直うっとうしいっつーか……ここのひとたちは干渉しすぎなんだよ」
「伊吹さんって、やっぱり譲くんの元カノなんだ」
「ん。去年、別れたけど。仁さんも伊吹さんがお気に入りでさ……なんであの子じゃだめなんだ、とかいろいろ言われてて。こっちがフラれたのにな」
「そっか」
わたしは相づちを打ちながら、それとなく譲くんの横顔を見る。ヨリが戻ったのか、その横顔だけでは判断がつかない。
って、譲くんがフラれたほうなら、いつ戻ってもおかしくないか。ああもう、こんなこと考えてどうするんだろ。
「仁さんは、直央を気に入ったみたいだったな。幸運の女神様にまた来るよう言っておいてくれって頼まれた」
「う、実は不運の女神ですとは言えない……」
譲くんが小さく笑う。ひとりで
「譲くん。伊吹さんと、よりを戻す予定は……」
「直央も、よりを戻してほしいクチ?」
譲くんの声が一転して冷ややかになった。
しくじった。外野に口を出されるのがうっとうしいって聞いたばかりなのに、おなじことをしてどうする。
「いや、ははは。ごめん。口出しやめます。間瀬さんのこともあるから、どうするのかなってちょっと思っただけで……」
「ふたりの関係、知ってたんだ? ……伊吹さんに会わせるつもりなかったんだけど、悪い」
「え、もしかしてだから早々に伊吹さんを連れてったの?」
わたしに、彼女もまた大河さんの恋人だと知られないように? ……わたしが傷つかないように。
「あいつ、情緒不安定なところがあるし、なにするかわかんなかったから。でもけっきょくおなじだったな。気分悪かったでしょ」
そっか。譲くんは、大河さんや伊吹さんの件があったからわたしをどうこうしようなんて、きっと少しも考えていない。「譲られます」のひと言にも、あの日言われた以外の意味はなくて。
わたしは無意識に「へへ」とはたから見れば怪しげな笑いを漏らしていた。
「この前、部屋の大掃除をしたんだ。思ったよりも思い出の品って少ないものだねー。でもすっきりした。だからわたしはもう大丈夫」
伊吹さんが譲くんに言っていたとおり、譲くんは優しい。わたしにだけじゃない。伊吹さんにも。
「ん。ひとつ言っておくと俺、伊吹さんとより戻す――」
「えっ?」
心臓がばくん、と跳ねる。反射的に譲くんを凝視したとき、譲くんの前にずいっとなにかが差しだされた。これは……マイクだ。
なぜマイク。いまマイク?
マイクの差しだされたほうを見ると、男性とそのうしろにカメラを担いだ男性がいる。ローカル局の取材、らしい。カメラのほうの男性は局と番組名の書かれた黄緑のスタッフジャンパーを着ている。
「はいはい、そこのフードをジャケットにインしたお兄さん」
ほんとだ。譲くんってば、今日もフードが入ったままになってる。ってそこはよくて。譲くんが小さく舌打ちしたのが、わたしには聞こえた。
「今日はデートですか? さて、突然ですが茨城県民のソウルフードといえば! そう、納豆。ねっとりねばねば、朝食べたら夜まで後を引く旨さに誰もが笑顔! お兄さんは見事、納豆対決の出場者に決まりましたー! ささっ、こちらへ!」
「は? いや俺、いま大事な話してるんですけど」
「ほら、そんな大事なときこそ納豆食べて英気を養うんですよ! 行きましょう!」
譲くんがリポーターに腕をがっちりと組まれ、引きずられていく。うしろからもうひとり、女性スタッフがわたしに近づいてきて頭を下げた。
「すみません、対決イベントの出演予定だったサクラの子が、急きょ参加できなくなっちゃって。同行の方をお借りしたいんです!」
「あはは……」
すでに譲くんはカメラを回され、会場に連行されている。さすが巻きこまれ体質。声をかけやすいと思われているのかもしれない。
乾いた声で笑ったら、この展開に諦めた様子の譲くんから睨まれた。
*
「それで、納豆をお土産にもらって帰ってきたってわけ……」
友香が、わたしが渡した紙袋を覗きこんで鼻をつまんだ。いや、臭くないし。ちゃんと包んであるし。
「そ、しかも一年分」
「それおかしくない?
「だよね。いくら納豆が発酵食品でもそんなに保たない……というわけで、友香も協力して」
昨日、譲くんが(無理やり)出演させられたローカル番組の納豆対決で、譲くんは
無表情で納豆をかき混ぜては高速でお腹に収めていくひとを、わたしは初めて見た。無表情といっても、意外にその目が輝いていたのも、ばっちりわたしにはわかったけれど。
とにかく、その優勝の賞品が納豆一年分だったのだ。テレビ的な見栄えでそうしたのだろうと思ったら、スポンサーが真面目に一年分を用意していたようで、わたしたちは半眼になりながらその一部を持って帰ってきたのである。
残りは、定期的に譲くんの家に届くらしい。想像しただけで妙なゲップが出そうだ。ひとり暮らしでは消費しきれないというので、わたしももらって帰ってきたのだった。
「よかった、友香がいて。うちにはまだ大量にあるんだよね。もし友香の友達で納豆がほしいひとがいたら言ってね。まだまだ持ってくるから」
「断固お断りするわ。企画部のひとに配りなさいよ」
「それはもうやったよ。三國さん、お子さんが納豆好きだからって、たくさんもらってくれた」
友香が「はあっ」と大きなため息を添えて、給湯室の片隅にある冷蔵庫に納豆を入れる。
すでにそこには企画部の面々が入れた納豆も整列していた。今日の冷蔵庫からは、納豆臭がするかもしれない。
「納豆の報告なんかいいんだって。それより、直央はあれから苑田とどうなった? 一夜を過ごしたご感想は?」
聞かれると思った。さすが友香。
「なんにもないって。気づいたら朝だったし、朝食をいただいて、お花見をしたっていうだけ」
にやついていた友香の顔が、みるみる
「それだけ!?」
「……あと、伊吹さんとヨリを戻すって」
「ほうほう。へえー、えッ!?」
納豆を冷蔵庫に詰めこんでいた手を止めて、友香がわたしをふり返る。
「友香ってば、いろいろ期待しすぎ。最初から『ない』って言ってたでしょ? これが現実です」
わたしは笑って紙袋に残っていた納豆をすべて出し、一気に冷蔵庫に押しこんで給湯室を出る。友香も追いかけてきた。
「……直央、合コンでもいくか! そのわけわかんない体質も含めて、受け止めてくれるひとはぜったいいるって!」
体質的にも、恋愛が上手くいくなんてまずないと、さんざん思い知らされている。それに譲くんとはそういう感じでもなかったんだから、いまさら傷ついたりしないのに。
けれど、そう言ってくれるだけで救われるなあ、もう。
「わたしも友香の幸せを祈ってるからね!? とりま、合コンより飲みいこ!」
「よしよし。飲もう! じゃんじゃん飲もう」
お互いに肩を叩き合う。友香と執務エリアで別れる直前、友香が「そういえば」と東端の営業部エリアを見やって口の端を上げた。
「間瀬さん、最近大口のお客さんを取り逃がしたらしいよ。それで営業部が荒れてるって」
知らなかった。営業部と営業企画部は隣り合っているものの、営業の動向まで気にする余裕がなかったのだ。
「ざまぁみろだよね。女を何人も手玉に取るから、そういうことになるんだよ」
邪悪な顔で耳打ちされたら、たまらず笑ってしまった。
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