桜と閑古鳥:四月 後編
女の子はじっ、とこちらを見ていた。
びゅう、と大きな風が吹き、桜が揺れる。
薄紅色の花吹雪は渦を巻いて、地面や樹木を走り回る。
それを見て、まるで風に誘われるかのように女の子が舞う。
バレエのようなステップでくるくると回りながら舞う。
子供向けのピンク色のビニールボールは器用にも手のひらに吸い付いたように離れず、身体の一部のようだ。
舞い上がる紺のワンピースの裾は鳥が羽ばたくように伸縮を繰り返す。
広い公園の広場は音楽ひとつ流れていないのに、さながらそこは舞台のようで、春の陽気に合わせて踊っているようだった。
風が吹き止む。
渦を巻いていた花びらたちは舞台袖に履けていくように端へ端へと追いやられる。
女の子はゆっくりと立ち止まると、はっ、と思い出したかのようにこちらを見つめた。
そして妻や私に目が合ったと思うと、くるりと振り向いて走り去って行ってしまった。
「あっ、すごく素敵だった!!」
妻が思わず大声をかけるも、女の子は振り向きもせず奥へと消えていく。
「悪いことしちゃったかな」
私は、しゅん、とする妻の肩を抱く。
「妖精みたいな子だったね。素敵な子だった」
「うん」
この公園に入ってからというものの、不思議な出来事のオンパレードだ。
まるで本当に異界にでも迷い込んでしまったのだろうか。
「きっとあの子も恥ずかしかったんだろう」
「そう……よね。わたし、あの子にちゃんと素敵だったよって言いたい」
「ああ、そうだね。じゃあ奥に行ってみようか」
そう言って手を差し出すと、妻はぎゅう、としがみついてきた。
女の子が消えていった方にはまだ道が続いていた。
桜は広場で終わりのようで、梅やハナミズキの木がある造園のような道だ。
奥に小さな家屋のようなものが見えて、私達は女の子はきっとあそこに向かったのだろうと思った。
家屋はお茶屋のような様相をしていて、時代劇で見たような赤い布が敷かれた長椅子と、『だんご』と書かれた幟旗が目立つ。
幟旗があるからにはやっているのだろう、と近づいてみると奥から妙齢の女性が現れた。
「あらあら、いらっしゃいませ」
「こんにちは」
にこにこと笑う女性に、妻もにこにこと答える。
「すごいですね、ここ」
妻が話しかけると女性は嬉しそうに手を合わせて語る。
「そうでしょう!
でも、驚かれたでしょう?
人がいなくて。
なかなかのスポットだと思うんですけどねえ。どうにもこの時期は屋台やお祭りで大きくて有名なところに人を取られちゃって。
地元の人も、咲き始めはみんないらっしゃるのに、本格的に咲く頃にはみーんな飽きて飲み会をしにいっちゃうんだもの」
「ああ、なるほど。私達は貸切のようで特別な心地で見れて嬉しいですが」
「そう言ってもらえると桜達も嬉しいでしょうね。
ほんと、町内会の爺婆ときたらこんなに素敵な公園をそのままに飲めや歌えやの大騒ぎにしか興味ないんだから!」
気さくに言う彼女に、私も妻も声をあげて笑う。
「そうそう、何か飲んでいきませんか?
一応、うちは由緒正しい歴史あるお茶屋ですよ」
おっと、商売気もきちんとあるようでなかなか食えない人のようだ。
「少し休憩していこう?」
そう言う妻に私は頷く。
「ありがとう。正直、人が来なくて困っちゃうのよ」
舌を出し悪戯っぽく笑う女性は、奥に向かって、お茶をお出しして、と声をかける。
すると現れたのはさっきの女の子だった。
「あれ…」
私と妻が気付くと、女の子はさっとお茶を置いて女性に隠れてしまう。
「あら、どうしたの?」
「さっき、素敵な舞いを見せてもらって……綺麗だったよ。ありがとう」
私はしゃがみ込み、その子に目線を合わせて言った。
女の子は顔を真っ赤にして女性の後ろにぎゅうとしがみついてしまう。
そして、耳からイヤホンのようなものを外して女性のエプロンのポケットに押し込むと、またどこかへと走り去っていってしまった。
「公園から出ちゃだめよ!!!!」
走り出した女の子に、これでもかと叫ぶ女性に私達は呆気に取られてしまう。
妻は、何やら一人納得した顔だった。
「ああ、ごめんなさいね。今日はお団子と桜餅があるのだけれどどちらになさいますか?」
二人で桜餅を頼む。
少々お待ちください、と女性は下がって行った。
辺りは静けさに包まれる。
そこをまた、何かの鳴き声が聞こえた。
――おう、あっおう、くあっおう
あの声だ。
それを聴きながら、そういえばと思い妻に声をかける
「さっき、何に気付いたんだい?」
「さっきの女の子、きっと耳が悪いのよ」
「え?」
「ポケットに押し込んだの、たぶん補聴器。だからあの人は大声出したんだと思う」
なるほどと得心がいった。
しかし、よく気がつくものだと感心する。
「そうなんですよ。あの子、事故で耳が少しね」
いつの間にか黒いお盆に桜餅を携えた女性が立っていた。
「ああ、失礼しました。勝手にこんな話をして」
「いえ、こちらこそ。大声でびっくりなされたでしょう」
桜餅を私と妻の間に置くと、おかわりのお茶を注いでくれた。
「娘さんですか?」
「そうなの。
あの通りだから、学校にもあまり行きたがらなくて。私がこうしてお茶屋をやりに来ているときは付いてきて公園で遊んでいるのよ。
ほら、あの声」
――くあっおう、くあっおう
耳を澄ませると、また鳴き声がする。
「事故にあうまでは聴こえていて、それまでは何かを演じるのが大好きで。
歌ったり踊ったり……ああやって声真似をしてみたり」
「すごい。本当に鳥が鳴いているのかと思いました」
全く人の声だとは気付かないほどにその鳴き声は見事だった。
「カッコウはやめてっていつも言っているのだけれどね」 「ああ、確かに」
「カッコウって何かダメなの?」
私が頷いていると、妻が首を傾げる。
「閑古鳥が鳴くって表現あるだろ?あれってカッコウのことなんだよ」
「ああ、なるほど」
「お茶屋をやっているのに娘が閑古鳥じゃあ、この通りです」
おどけて、やれやれ、なんて身振りをする女性に笑ってしまう。
桜餅に手をつけると、桜の葉の風味と甘さが口いっぱいに広がって、春が突き抜けていった。
どこかで食べたことのあるような懐かしいような懐かしい香りに包まれる。
「美味しい」
「でしょう!
って言っても、作ってるのは本家の方の職人さんで私じゃないけどね」
しばし、談笑しながら舌鼓を打つ。
桜餅が美味しかったので団子も頼み、ぺろりと二人で平らげた。
なんだかんだ言って私達夫婦も花より団子で楽しんでしまうな、と苦笑しているところに、女の子が帰ってきた。
女の子と目が合う。
その瞳は一点の曇りもなくこちらを見つめていた。
私は、できるだけ伝わるように、大袈裟な動作をする。
団子の串が残ったお皿を持ち上げ、これでもかと笑顔を作る。
美味しかったよ、と、そう伝えたかった。
すると女の子は、にぱっ、と花が咲いたような笑顔になる。
そしてまたくるくるとステップを踏み始める。
どうやら伝わったようで、彼女も自分の親の店の味を褒められるのは嬉しかったようだ。
くるくると踊る女の子。
それを愛おしそうに見つめる女性。
女性にも思うところがあるのだろう。
その目は少し影を潜んでいて、愛娘を心配する母親の目だった。
耳が聞こえない。
それはその子の人生に何度となく困難を導くのだろう。
それを理解しても感覚を共有できないのは親としてどれだけ辛いことだろう。
そんなことを思っていると、女の子は気付いたように立ち止まる。
そして、お茶屋の奥に走っていこうとした。
「あっ……待って!!!」
妻が大声をあげる。
びっくりしたように止まる女の子。
それを見て、女性はゆっくり近づくと、エプロンのポケットから補聴器を取り出し、女の子の耳に嵌める。
妻はゆっくりと女の子の前にしゃがみ込む。
「びっくりさせて、ごめんね。
すごく素敵な声と素敵なダンスだった。
お礼に、これ」
妻はおもむろにバッグから何かを取り出すと彼女に渡した。
それは緑色の桜の葉の形をした、ブローチだった。
確か去年の今頃、買い物に出かけた折に見つけて衝動買いをしたものだったはず。
来年はこれをつけて花見に行く、と息巻いていたが……さては忘れないように春物のバッグにしまっていて、そのまま気付かず今日持ってきていたのだろう。
きらきらと輝く金と緑。
それを驚いたように見つめる女の子。
「――ありあとう」
か細い、さえずりのような綺麗な声だった。
「こんな素敵なお茶屋に案内してくれてありがとう。
お手伝いして、えらいね。
お母さんが大好きなのね」
妻はそう言うと彼女の髪を優しく撫でた。
彼女は目をまん丸に見開いて、自分の母親を見ると、恥ずかしそうに、頷き、言った。
「うん!! お母さん大好き!!」
飛び立つように走り出し、それに呼応するかのように風が吹く。
花びらが舞い踊り、渦を巻く。
それを見て、女性は呟いた。
「あの子、お手伝いをしてくれてたのね……私、てっきり何かが嫌で私から離れないとばかり」
目尻を抑える女性。
「素敵な子ですね」
そう言うと、女性は、本当に、と頷いた。
女の子も交えて談笑をする。
すっかり話し込んでしまったころに、ちらほらと老人たちがやってくる。
そうこうしているうちにお茶屋は客でいっぱいになる。
女の子はみんなのアイドルのようで、歌ったり踊ったり、老人たちは大喜びだ。
そろそろお暇します、とお会計を済ませ、歩き出すと女の子が声をかけてくれた。
「またいらしてください!」
そう言って大きくお辞儀をする女の子。
いつの間にかつけたエプロンには、妻から貰った桜の葉のブローチがつけられていた。
帰り道、妻と二人、歩く。
「素敵な日だったね」
「うん」
「ブローチ、よかったの?」
「うん。忘れてたし」
やっぱりな、と苦笑する。
「きっと、あの子に渡すためにあったのよ」
「ああ、そうだね」
私は妻のこういう素敵な考え方が好きだ。
それを言葉にせずに、握った手を強める。
妻も、それに応じてぎゅっ、と握り返してくれる。
不思議な日だった。
幸せな日だった。
お茶屋の親子はああして仲良く過ごしていくのだろう。
時折、壁に苛まされることもあるかもしれない。
それでも、きっとあの人たちは大丈夫なのだろう。
心地良い充足感と安心感に満たされて、私達は歩く。
「また来年もあそこに行こう」
「うん!」
返事をした妻の顔は、桜が咲いたように満面の笑みだった。
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