栗鼠の親子:一月 後編


「ただいま。」

「こんにちはー。」

「お邪魔します!」


 思い思いの言葉を言いながら玄関を抜ける。

 商店街をなんだかんだとゆっくり回っていたら、遅くなってしまった。


「いらっしゃい。お義姉さん、ケイタくん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」

「明けましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします。ほんと、新年からお世話になります。」

「お義姉さんもたまにはゆっくりしないと!くつろいで行ってください。」


 リビングで出迎えてくれた妻と姉のやりとりを、そういえば、と見つめる私とケイタ。


「どうしたの?ぽかんとして。」

「ああ、いや、なあ?」


 私はそう言って苦笑いでケイタを見やる。


「うん、ねえ?」


 ケイタも苦笑いで私を見る。


「「そういえば新年だったなって。」」


 私もケイタも、すっかり新年だというのを忘れて、久々に会えたことを喜んでいた。

 ただそれだけが楽しくて、挨拶なんてすっぽり頭から抜けていたのを、妻達のやりとりを見て思い出したのだ。 

 二人で声を揃えてそういうと、妻と姉も大爆笑で、姉さんだって人のこと言えないだろ、などと思いながら、改めて私達は挨拶を交わす。


 それから、都会はすごいだの、あっちは雪が酷くてだの、仕事や学業だの、積もる話を消化しながら、ケイタ待望の寿司を食べる。

 話は弾んで、慣れない家で緊張していた二人も、次第に打ち解け、姉といえば早々に楽な格好に着替え、ケイタにいたってはソファでごろごろしていた。


 ケイタと姉は明日、観光に行くとかで、案内役を任された妻は張り切って姉と打ち合わせをしている。

 三泊四日、丸二日を観光に当てて、二人は帰るらしい。

 平日になるため、私はあいにく仕事で一人寂しく、家でリモートワークだ。

 

 

「ねえ、叔父さん、仕事場、見てみたい。」


 おいで、と手招きすると勢いをつけてソファから飛び上がるケイタ。

 そそくさと着いてくるのは、昔と変わらずで、図体が大きくなっても可愛いものだ。


「はい、どうぞ。」


 仕事場兼書斎になっている部屋に通すと、ケイタは目を輝かせて辺りを見渡していた。

 六畳一間のこの部屋は、所狭しと本棚や仕事の資料、作業用のパソコンや器具が置かれている。

 それを、まるで秘密基地を見ているように、「すげえ!」だの「これなに?」だの言っているケイタを見ると、誇らしいような、こそばゆいような、不思議な気持ちが湧いてくる。


「なんか、いいなぁ。オレも将来、こういう部屋欲しいかも。」

「いいだろう。うちに居る間は好きに使っていいぞ。と、いっても俺が仕事のときはダメだけど。」

「いいの?本も読んでいい?触っちゃダメなのとかない?」

「紙の書類は全部サンプルだから大丈夫だよ。パソコンは使わないだろ?」

「うん。すごいなあ、図書館みたい。」


 大袈裟な、と思うも悪い気はしない。

 ケイタはこれも読みたい、あれも読みたい、と、リストアップしている。

 時折、「これはどんな本?」と聞いてくるので掻い摘んで説明してやる。


「しかし、立派になったなあ。」

「立派じゃないよ。」

「大人になったよ。」

「見た目だけね。」

「見た目はまだ幼さが残るが。」

「あ、ひでえ。」


 二人で笑う。半年前、ケイタが電話をくれてから、止まっていた時間が動き出したかのように連絡を取るようになった。

 そしてひと月前、ケイタの強い要望によって実現したのが今回の旅行だ。

 今、私が住んでいるこの街と実家のある街は、交通手段の相性が悪く、私の親戚は誰も来たことがない。

 それどころか、私は親不孝者で家族との仲も悪く、連絡もあまりとっていなかった。

 そんな我が家に、ケイタが姉を連れてきてくれるというのはなんとも不思議な縁だ。

 姉曰く、休みの中々取れない姉の仕事場にケイタ自身が頭を下げにいって、「親子で旅行できる機会なんて今後ないかもしれない」と訴えて実現したらしい。

 それを、なかなかできることじゃない、と、褒めると、彼は恥ずかしそうな、申し訳なさそうな顔をした。


「本当に、見た目だけなんだ。大人になったの。」

「何か、あったの?」

「オレ、また失敗しちゃった。」


 あの電話以来、ケイタは学校に行くようになった。

 彼女とも話し合いをして、やっぱり学生だし勉強もしないと、ということになって、彼女に勉強を教えているうちに理解が深まって、成績は元通りどころか前より良くなった。

 時折、ケンカをすることはあっても、自分が感情的になっていると気付けたときには、一旦距離を置いて、お互いに落ち着いてから話しているらしい。

 それでも、やきもきすることや、彼女が友人と遊びにいくのに嫉妬することもあるが、そういうときは自分も家事をやったり、友人と遊んだりでなんとかしているという。

 家にも連れてきて、母に紹介し、相手の親にまで挨拶に行くという周到さ。

 なんともまぁ、できた子である。

 人間、気をつけなければいけないことを理解したところで、こうもうまくできる人などいない。


 しかし、それでもやはり、若さには抗えないもので、問題があった。


「なんか、全部うまくできると思ったら、調子に乗っちゃって。」


 すべてがうまく回り始めたときこそ、気をつけなければならない。

 勝って兜の緒を締めよ、というやつだ。

 しっかりすっかり、調子に乗ってしまったケイタは、精力的に母親――我が姉の手伝いを始めた。

 買い物に行き、料理も作り、掃除もする。

 それを好きでやっているから、姉もそれに甘えた。

 次第に調子に乗ったケイタは、自分がやってあげてる、と、自分がしょうがないからやってあげてるんだ、と。

 ママはオレがいなきゃなんにもできないんだから、と、言ってしまった。

 そう言ってしまったケイタを、姉はなんにも言わずに、泣きそうな、裏切られたような、怯えたような、まるで同年代の女の子のように見えて、ケイタは、しまった、と自分の過ちに気付いたらしい。

 

「疲れて帰ってくるママが、オレが少し手伝うだけで、次の日も少し元気な顔しているのが嬉しくて始めたはずだったのに。」


 自分の過ちに気付いたケイタは、今までの思い違いを認め、姉に謝り倒し、なんとか元の仲睦まじい親子に戻ることができた。

 姉もたくましいもので、「ママもケイタに甘えていたし、もっとちゃんと締めるとこは締める、緩めるところは緩める。」と宣言して、前よりも生き生きとしているとのこと。

 そうか、その頃か、姉が私に連絡をしてくるようになったのは。と一人合点が言っている中、ケイタは話を続ける。


 母親に、大人になったねえ、と褒められ、彼女にはそういうことしちゃダメよ、と諭され、心に刻んだ。

 次に思ったのが、私のことだったらしい。


「叔父さん。オレ、叔父さんに感謝しているんだ。

 だって、叔父さんだけだった。

 昔から、オレのことを変わり者扱いしないで、ちゃあんと話を聞いてくれるのは。

 いきなり電話かけたときだって、それから話すようになって、その度に、次の日の予定なんかないみたいに毎回、オレの気が済むまで話を聞いてくれて。

 いっぱい、オレに教えてくれた。いっぱい、考えてくれた。

 でも、オレはそれを裏切って、失敗ばっかりしてて。」


 何を。何を言っているんだ、この子は。


「だから、謝りたくて。直接、顔を見て謝りたくなって。ごめんなさい。」


 気付くと、私は彼を抱きしめていた。


 そんなこと言わなくていい、と。

 謝る必要なんてどこにもない、と。

 だって、お前は立派に一人でやっているじゃないか、と。

 ちゃんと自分で気付いて、考えて、大切なものを大切にできるように、がんばっているじゃないか、と。

 お前がそんなにがんばっているのを知って、俺だってがんばろうと思えるのだ、と。

 そんなに肩肘張らなくていいんだ、ゆっくりできるようになれば、お前の成りたいお前になればいいんだ。

 お前が幸せになれる、がんばれる手伝いが少しできれば、俺だって幸せなんだ。

 だって、家族じゃないか。

 

 そんなことを言いながら、彼の頭を撫でていた。


 気付けば、二人揃って、泣いていた。

 生意気に整髪料なんかつけたりして、本当に大きく、立派になった。

 檸檬のような華やかな香りがする。



「へへ、また失敗しちった。」


 ひとしきり泣き終わると、冗談めかしてケイタは言う。


「馬鹿。まあ、俺も、言葉が足りなかったな。失敗失敗。」


 そして二人で笑い合う。

 そして、ぽつぽつと、私は自分の話をし始めた。


「俺はさ、早くに家を出たろう。」

「うん。」

「だから、ケイタに何もしてやれないと思ってたんだ。」

「そんなこと…。」

「ケイタだけじゃない。姉さんにも、歳が離れてるせいもあって、小さいころはいっぱい可愛がってもらったんだ。

 お前の爺ちゃんや、婆ちゃんにも。仲は悪いし、たぶん譲り合えないことが多くて、分かり合えないけど、いっぱい教えてもらったし、育ててもらった。

 でもな、俺は、なんにも返せてないんだ。

 みんなに、いっぱいお世話になったのに、返せてないんだ。」


 黙って聞くケイタに、私は続ける。


「だけど、甘えなのかもしれないけれど、みんな、俺がただ健康に生きて幸せにしていれば、それで許してくれるんじゃないか、とも思っているんだ。

 だって、俺がそう思っているから。

 姉さんやケイタが、どこでなにをしていても、元気で楽しく暮らしていれば、それでいい。

 父さんや母さんも、もう歳だろうけど、納得のいく人生を送ってくれればいい。

 父さんや母さんは、俺の育て方を失敗したと思っているかもしれない。

 俺との仲が悪くても、俺が幸せに暮らしていれば、俺は幸せだぞ、あんたたちの子育ては失敗してないぞ、って言える気がして。」


「うん。オレもそう思う。」


「それに、こうやってケイタが相談してくれて、俺が力になってあげられれば、みんなが大切にしているケイタを、俺が大切に思うケイタを大切にできれば、それって恩を返せてるのかなって。」


「ああ、そっか…。」


「だから、相談してくれてありがとうな。教えてくれて、いっぱい話してくれて。気付けたのはケイタのおかげだよ。」


「うん。オレも、ありがとう。いっぱい話してくれて。」


 そう言って、どちらからともなく、手を差し伸べる。

 固く握手を交わすと、ケイタは、にまっ、と歯を見せるような笑顔で言った。


「叔父さん、これからもいっぱい相談乗ってね!!あと、早く御年玉頂戴!!」

「調子に乗るな!」


 笑いながら財布を取りに行こう、と立ち上がる。

 その後ろを、まだ、にんまりとした笑顔でそそくさと着いてくる。

 栗鼠のように、手をこじんまりと前に出して。


 その頬袋には、きっと、輝かしい希望が詰まっているのだろう。

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