2.研司と虹彦

「小5ってもう10年以上も前じゃないか」

「そうなんだけどさ、夏休み明けにお前に言われたこと思い出して」

「何か言ったっけ」

 環は首を傾げた。そもそも話しかけた記憶もない。

「何か変なことしたかって言われたんだよ。だからお前なら何かわかるかと思ってさ。その時は何もなかったからスルーしたけど」

「……流石に覚えてないよ。そんな前のこと。それでその虹彦がどうしたっていうんだ」

 環は虹彦がどんな奴だったか全く思い出せなかった。

 研司も眼の前の顔があるからようやく朧げに思い出せたくらいだ。環は記憶力が悪い方ではないのだが、そもそも研司や虹彦は小学生当時、華やかたる野球部に所属していた輩というのだから、同級といってもボッチの環ではろくに話した記憶もない。

「虹彦が幽霊になりかけている、んだと思う。なんていうか、鼻から魂みたいなのが出てるんだよ。他のやつには……見えないんだけど」

「ふうん? お前、幽霊見えるタチなのか」

「いや、今まで幽霊なんて見たことなかったし信じてもいなかったんだけどよ。虹彦のだけ見える」


 その『虹彦の霊だけ見える』という言葉に環は眉を顰める。

 それはとても嫌な結論を導く言葉だ。研司には他の幽霊は見えないということだ。

 誰かが幽霊になったとか、誰かが幽霊が見えるとか、そんなことなら別にどうだっていい。よくあるし、よく聞く話だ。環の飯の種にもならない。

 けれども『特定の幽霊だけ見える』というなら話は別だ。脳や神経の病気でもなければ、それは何かの特別な力がこの研司に作用していることを示す。霊を見ることができない者に霊を見せ、その者の常識を軽く塗り替えることができるほどの何らかの力が関与している。

 そして幽霊の種、という荒唐無稽な話に至っていることも、話が特別な方向に転がっていることを示す。人を幽霊にするために種を植えるなど、聞いたこともない。そんな荒唐無稽なものを現実ベースに立脚させられるということは、常識を超える力、世界を改変する力を持つ存在だということだ。そんな相手は力が強すぎて、普通なんとかしようとすることも烏滸がましいレベルだろう。

 けれどもこの神津こうづ市には、そういったことが出来うる触れてはならない場所や存在がそれなりの数存在する。


「俺、聞かなかったことにして良い?」

「いや、お前の仕事にも役に立つかもしれない、だろ?」

「俺の仕事、ね。簡単に言ってくれるよね。仕事と言うなら金は出すのか?」

「え……」

「そうだなぁ、お友達価格でいいよ。解決したら30万」

「ハハ……冗談だろ?」

「さてね」

 環はハハと研司に合わせて笑いながら、未だ夢か現か定かでない物事に気軽に金を出す奴なんていないんだよな、命の危険があったとしても、と心のなかで愚痴った。

 それでもはっきりと契約するよりは曖昧にしておいたほうが、いざという時撤退しやすかろうと算段をつける。契約して仕舞えば、環自身も下手をすれば逃げられない。

 環は一応、事実の確認はしてみようかという程度の気分には既になっていた。取りっぱぐれるとしても、自分の生活範囲にそんなわけのわからないものがいるのは落ち着かないし、環の中の好奇心というものが僅かに頭をもたげていたからだ。その研司の手には確かに何かが絡まっていたものだから。

 それで向かった辻切総合病院。

 その光景に環は珍しく呆然とした。


「何だコレ」

「な、鼻から何か出ているだろ」

「食うの?」

「は? 何言ってんの?」

 清潔なベッドに横たわる虹彦は胸前で手を組み、渾渾と眠り続けているようにみえる、んだろう。けれども環には茨姫が蔦に絡まっているように、その虹彦は何かに雁字搦めにされているように見えた。まるで狐狸妖怪の類がその罠で獲物をとらえる時のように。種を植えて魂を捕まえる。はっきりとはわからないが、その見た目からはそのような荒唐無稽なこともできそうだ。

 そして振り向いて研司を見る。環には不可解なことにその禍々しい茨は研司に繋がっているとしか思われなかった。虹彦の魂の緒と研司の魂の緒が相互に絡まりあっている。


「研司、断っておくが俺は幽霊そのものが見えるわけじゃない。だからお前が見ているものを、俺が正確に捕らえているわけじゃない」

「え、そうなの?」

「ああ。俺が見えるのは物事の仕組みだ。そういう風に調整している。だから俺はこの世界が見えるし、お前も、それからこの奇妙な虹彦も見えるんだ」

「仕組み?」

「そう。それで虹彦はお前に繋がっている。そのせいで倒れている」

「え、なんで。やっぱ『幽霊の種』のせい?」

 そこまで言っても、やはり理解はしてもらえないことに環は軽くため息をついた。

「知るか。いや、これは一朝一夕のものではないな。おそらく長年のものだろう。長年体の中で種が根を張っていたんだろう。たしかに、そんな具合の絡まり方だ」

 環の目の前の虹彦に絡まる茨には年季を感じさせた。


 環は研司を眺め、そして再び横たわる虹彦を眺めてながら、やっぱり百夜神社の男からもらった種のせいなのかな、と呟いだ。

 百夜神社の大きな被り物をした男。すでに十数年前のことだ。物の怪の類にとってはたいした時間でもないのかもしれないが、今も百夜神社近辺にいるかどうかはわからない。遭遇して戦闘になれば、勝てる見込みは薄いだろうと算段する。

 それはさておき情報収集だ。この二人の関係を確認しなければならない。

 先程の話では研司と虹彦は今も飲みにいったりとそれなりの付き合いがあるようだ。けれども今、このような変化が生じたのには何らかの原因があるだろう。

「こうなった切掛はあるのか?」

「今年、久しぶりに百夜神社の祭りに行ったんだよ」

「そういえば一昨日か」

「そう。それで……そういえば手を繋いだら虹彦がぶっ倒れた。それで大騒ぎになって何人かで神社から担ぎおろして救急車に乗せたんだ。そっからずっとこんな感じで、俺にしか見えないその、魂は日毎に、なんていうかところてんを押し出すみたいに鼻から出てる」

「悪いな、俺には魂は見えない」

 環はおそらくこの研司には見えていない蔦によって、自分には見えないその魂が押し出されているのだろうかとアタリをつける。

 小学生のころでも体育やら何やらで手をつなぐことはあっただろう。その時に何もなかったのなら、『百夜神社で手をつなぐ』ということに意味があるのかもしれない。あるいは種が根を張って芽生えるまでに一定の時間が必要なのかもしれない。いずれにせよ、環には現在その種は見事に発芽しているようにしか思えなかった。


 環は懐からいくつかの石を出して虹彦のベッドの周りに置いていく。

「その石は何だ?」

「虹彦を封印する。お前はこの石の外に出ろ」

「え、封印?」

「封印といっても人が出入りするのを防いだりはしない。これ以上、状態が変わらないようにして、それから目印にするだけだ。それで……どうするかなぁ。一昨日ならまだ大丈夫かなぁ」

 おたおたと石の外に出る研司を眺めながら、環はこのままだと虹彦は意識を取り戻さないだろうと考える。なにせその昏睡の根本は虹彦を雁字搦めにする蔦だ。そして環の目にはこの蔦の根本が研司にあるように見えた。

 このまま原因を取り除かなければ虹彦は目を覚まさず、そのうち衰弱して死ぬだろう。それでは結局、何も助からない。

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