第二幕「災厄の魔法装丁は街の影に潜む」

1.装丁師クライドの受難

 あの騒動からしばらくたった昼下がりのこと。

 魔法図書館を訪れたリゼットは、腕に下げたバスケットを振りながら扉を開く。


「こんにちはー! 来ましたよ、クライド師匠!」


 リゼットが勢いよく図書館に侵入すると、途端に冷たい視線にさらされた。装丁の飾られた棚の前に立った猫は、空気を読まずやってくる侵入者に尻尾を逆立てる。


「にゃ! また来たのかお前!」

「はい、来ましたよ! クライド師匠はどこですか、猫!」

「だ、誰がお前に教えるかにゃ! いいから出てけ、う、うにゃああああーん」


 音もなく猫に近づき、リゼットはそのふかふかの毛並みを撫でた。すると猫はだらーんと床に座り込み、ぶるぶると震えながらも撫でられ続ける。


「ほーらなでなで。気持ちいいですか?」

「き、きもちよくな……うぬああ、力が抜けるにゃ……」


 猫はそのまま床に倒れ込む。リゼットはいつもお返しとばかりに、猫の頭を撫で続ける。やられっぱなしだと思ったら大間違いだ。


 にやにや笑いながら猫を撫で続けていると、廊下の向こうから足音が響いてきた。特徴のある少しかかとを引きずるような靴音――それはまさしく、探していた装丁師クライドのものだった。


「何やってんだ、お前らは」

「お邪魔してます、クライド師匠! 今日はいいもの持ってきましたよ」


 職人のような作業着姿で登場したクライドは、目の前の状況に顔をしかめた。だらーんと床に伸びた猫は、助けを求めるように主へ手を伸ばす。


「主さまぁ。助けてにゃ~」

「おい、小公女。やめてやれ」

「む、小公女じゃないです。リゼットだって言ってるじゃないですか、クライド師匠」

「お言葉ですが、公女様。俺がいつ、お前の師匠になった? 状況は正確に把握されることをお勧めしますよ」


 皮肉を含んだ口調で言い放ち、クライドは長机の上に工具袋を置く。袋からはヘラやはさみ、定規やらピンセットやら用途不明の刃物などがのぞいている。


「クライド師匠、その工具類は一体何に使うものですか?」


 猫をもてあそぶのをやめ、リゼットはバスケットを手に長机へと近づいた。クライドは椅子に腰を下ろし、気のない様子で刃物を手に取る。


「何って、製本用の工具だろ……。一件、製本依頼が入ったからな、さっきまでその作業をしていた」

「製本……って、装丁を作る作業のことですか!? 見たいです!」

「いやだね。お前みたいなうるさいやつが周りにいたら作業にならん」

「ううー、クライド師匠のケチ!」

「ケチで結構。そんなに製本が気になるってんなら、これでも見て静かにしてろ」


 面倒そうな顔をしつつも、クライドは一枚の紙を投げてよこす。厚手の紙に書かれていた文字は――『変態でもわかる簡単製本工程』。


「ほ、ほほぅ?」


 わざわざリゼットのためにこんなものを用意したのか? 突っ込みどころは万歳だったが、とりあえずリゼットはありがたく読ませてもらうことにした。


 ※


『変態でもわかる簡単製本工程』


 はじまりはじまり。

 さて、これから製本に必要な工程を段階ごとに説明していこうと思う。

 必要な工程は――ざっくりとしたものだが――以下の通り。


 1.使用するマーブル紙と革選び

 2.折丁を正しく重ね合わせる(丁合)

 3.折丁を目引きする

 4.かがりを行う

 5,カバーを配置する

 6.花ぎれを作る

 7,背固めと背の補強を行う

 8.革の処理と角すき

 9.本文とカバーを接着する

 ――完成!


 何となく理解できただろうか?

 え、急に言われてもわからない? そりゃ失礼したな。だがま、もし興味があるなら読み進めてくれ。ないなら読み飛ばすが吉。



 1に関しては文字通り、装丁に使用するマーブル紙と革を選ぶ。

 マーブル紙っていうのは、大理石模様の紙だ。装丁本では『見返し』によく使われている。(見返しは表紙をめくった一枚目の紙のことだよ)

 使用する革は好みや時代によって変わる。主に使われたのは、子牛革や山羊革、豚革などだ。


 2の折丁というのは、紙を二つに折ったものを四枚重ねたもののことを言う。

 それらを正確に重ねていくことを『丁合』というんだが、これが終わった後に小口(本の外側の部分)をきれいにする『仕上げ断ち』をしたりもする。しないときもあるが。


 3は丁合したものを重しやプレス機でしっかり空気を押し出してから、糸鋸で目引き――背に穴を開けることー-をする。まとめてやらないと、穴がずれるからな。だがま、背表紙で隠れるところでもあるから、やる場合は感覚的に穴を開けていたりする。


 4は、穴に糸を通してすべての折丁をつなぐ作業! 簡単で分かりやすいだろ?


 5に関しては、革の上にボール紙(時代によっては木材などの場合もある)を置いて配置を決める。表紙、背表紙、裏表紙にそれぞれ、芯としてボール紙を配置するわけだな。


 6の『花ぎれ』っていうのは、表紙を上から見た時に見える違う色の生地のことだ。本文の裏に縫い付けることで、損傷しやすい場所の保護と装飾を担っている。


 どんどん行こう。7は本の背を補強する工程だ。今のままだと、ページがただ糸でつながっている状態だろう? そこで、背にのりを入れてしっかりくっつける。そして、先ほどの花ぎれと寒冷紗(かんれいしゃ)、クータをつけていく。


 クータは紙を筒状にしたもので、それを背に貼ると表紙との間ができて柔軟に開け閉めができるようになる。寒冷紗は網目状になっているから、のりがよく浸透することで背と強く接着して、折丁同士の繋がりがしっかりとするんだよ。


 8までくると仕上げ段階だ。革はそのままだとぼこぼこしているから、厚みを均一にするためにすいていく。それをするのとしないのとじゃ、出来が全然違うだろ?


 9は本文とカバーをのりで接着して一体化する。そうしてやっと――!



 完成! となるわけだ。あとは箔押し職人のところでタイトルを入れてもらえば一冊の本が出来上がる。何となくでもわかったか? 変態バカ小公女様?


 ※



「クライド師匠、わざわざ作ってくださってありがとうございます。勉強になりました!」


 読み終わった紙を長机に置いて、リゼットは満面の笑みを浮かべた。皮肉でも何でもなく、これを作るのはそれなりに手間だったはずだ。感謝のしるしとして、クライドに持ってきたバスケットを差し出す。


「なんだこれ。賄賂はいらんぞ」

「賄賂じゃないです。ほうれん草のキッシュです。お世話になっているから、みんなが持っていきなさいって」

「みんなって誰だみんなって。大公家のやつら、誰も止めないのかよ」


 文句を言いながらも、クライドはバスケットを受け取る。ふと思ったが、クライドは何を食べて生活しているのだろう。装丁師だからって本は食べていないはずだが。


「ま、ありがたくいただくとしよう。で? 小公女は今日、何をしに来たんだ」

「何って、魔法装丁を捜索する件ですよ! あれ以来、師匠から音沙汰がないので、様子を見に来たんです」

「ああ……まあ、そうだよな」


 ため息交じりにクライドは長机に突っ伏す。よくわからないが、どうやらお疲れらしい。不思議に思いながら、リゼットは鞄から魔法装丁『風の烙印』を取り出す。


「ほら、この子も預かったままですし。そろそろ何とかしないのかなーと思って」

『きゅうん』


 緑の装丁から小さなリスっぽいものが顔を出す。クライドが無言で手を伸ばすと、生き物は悲鳴を上げて引っ込む。


「相変わらず意味が分からん。何でこうなる」

「嫌われることでもしたんですか?」

「してない。というか、なんでお前から逃げないのかも謎だし」


 疑問はもっともだった。そもそも本来の主であるクライドから、魔法装丁が逃げる理由はないはずだった。なのに逃げる。一体どうしたことなのか。


「何かこの子が嫌がるような、変なものがくっついてるとか?」

「何だよ変なものって。適当なこと言うな。まあしかし、そうだな。そろそろ動く頃合いではある」


 クライドは軽くかかとを鳴らすと、椅子から立ち上がった。相変わらずやる気の薄そうな顔だったが、リゼットに向けられた目は真剣だった。


「さあ、動くぞ。準備は良いか小公女」

「もちろんです! 行きましょう、クライド師匠!」


 リゼットの髪でダリアの花が揺れる。それを見たクライドはなぜか一瞬、不可解そうな顔をした。だがすぐに表情を引き締めると、入り口に向かって歩き出した。


「いってらっしゃいにゃ~」

「猫も行くんですよ! 働かざる者食うべからず!」

「にゃあっ!?」


 リゼットは猫の腕をつかんで外へと向かう。



 こうして騒がしい二人と一匹の、ちょっと刺激的な冒険が始まったのだった。

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