ファストフード的なノリだよね

 年の瀬が近づき、クリスマスだ年越しだとメディアやネット広告が過剰に煽り散らかしてくるのは、毎年の風物詩としてお馴染みの光景だ。


 イベント目白押しの世間は俄かに活気立ち、浮足立つ。そんな光景を横目で見ながらバイトに勤しんでいた去年の俺は、一体どんな顔をしていただろう。

 遠くない未来、幼馴染の想い人が雷神様に憑りつかれ、西へ東へ駆けずり回りながらネゴシエーションをする羽目になると知ったら、一体どんな顔をしていただろう。


 そして今現在、遊馬さんのアパートで休日の真昼間から三人でガスコンロを取り囲み鍋に興じる俺は、一体どんな顔をしているだろう。


 「……ツチちゃん、待った。開始五分と経たずして〆に手を伸ばすのは如何なものか」

 「八雲さんは可笑しなことを言いますねぇ、鍋はラーメンに始まりラーメンに終わる――他の具材は出汁という名の養分に過ぎないんです」

 「その理論で言うと、俺たち三人で雁首揃えてラーメンの下ごしらえをしてる事になるね?」


 手間も人手も度外視した驚きのコストパフォーマンス、昨今の中小企業では真っ先に見直し対象筆頭候補であろう。

 誰かこのラーメン狂いの雷神を何とかしてくれ。まさかあの時の一食がここまで尾を引くとは考えてもいなかった。


 「せっかく鍋を囲んでるんだから、みんなで足並みを揃えようよ……」

 「私は酒が飲めればそれで良い」

 「私はラーメンが食べれればそれで良いですね」

 「……俺は帰りたくなってきた」


 我が強すぎる集団において、もっとも損をするのは常識人。正直者が馬鹿を見るのは、いつの時代も変わらない。

 俺が鍋から目を離した一瞬の隙を突いて、ツチちゃんがザルに入った生麺をダイブさせる。

 白菜、椎茸、エノキに糸コンニャク――そしてラーメン。別に〆の具材としては何ら問題ないので、いちいち目くじらを立てる俺の方が大人げないのだろうか。


 「八雲さんも我が侭ですねぇ。仕方ないので塩ラーメンで勘弁してあげましょう」


 子供をあやす母親然とした微笑みを湛え、ツチちゃんは液体スープを手際よく投入していく。


 「俺が異端っぽく輪を乱してる流れになってない? 大富豪の革命かな?」


 ラーメン。ラーメン。ラーメン。ラーメン。

 どれほどマナーに反する行為だとしても、唱え続ければ曖昧に薄れていく。誤用の言葉が本来の意味を駆逐してしまった物悲しさにも似ていた。


 「好き嫌いばかりしてると大きくなれませんよ?」

 「ラーメンの好き嫌いを論じてる訳じゃなくてだな……」

 「清濁併せ吞む器の大きさも、必要だと考えますがね」

 「どっちが清でどっちが濁なの? ねえ? 自身の行いを疑いなく清らかだと言い切るのも問題だし、分かっててごり押してくるのも重罪だと思うんだ」


 どちらの線も有り得そうなので断定はできない。俺と同じく捻くれた性格の持ち主であるツチちゃんであれば、後者の可能性が高いのかも。

 本当に厄介だな……厄介、だけど。


 「……初めて会った時とは比べものにならない程、打ち解けたよな」

 「…………そうですね」


 上機嫌で鍋を撹拌していたツチちゃんが、表情をそのままに動きを停止する。さっきまでのテンションは何処へやら、抑揚のない機会音声染みた極小ボリュームの呟き。

 俺には分かる。サンドバッグ状態だった相手が、反撃に転じたと察知しているのだろう。

 お望み通り、たっぷりと食らわせてやる。


 「――『私はあなたと馴れ合うつもりはありませんので』……だったかな。いやぁ、容赦のない一撃に泣きそうだったぜ」

 「…………」

 「盛大に腹を鳴らしておきながら、照れ隠しであの時拒否してたラーメンを、別人ばりにウッキウキで煮込んでる鬼メンタル――もとい神メンタル、マジでリスペクトっす。サイン下さい」

 「あああぁぁぁ! ああああぁぁぁぁ!」


 顔を真っ赤にして頭を抱えるツチちゃん。今夜は枕に顔を埋めてのたうち回るに違いない。

 いや、雷神の就寝スタイルがどんなものかは知らないけれど。


 「……普段弄られっぱなしなだけに、ここぞとばかりに発散してるねぇ」

 「あ、やっぱり分かります?」


 遊馬さんが俺を見ながら苦笑して、二本目のビールに手を伸ばす。


 「でもからかい過ぎて、せっかくのネゴシエーションをパァにしないようにね?」

 「遊馬さんの言う通りですよ八雲さん! 私のご機嫌一つでひっくり返ることを忘れちゃいけませんからね!?」

 

 腕を組み、即座にマウントを取り始めるツチちゃん。

 手のひらの高回転ぶりは、なるほど俺に通ずる部分もある。


 「……でも俺は、ツチちゃんのこと信頼してるからさ」

 「や……八雲さん……」


 一瞬にして勢いを削がれて、しおらしく縮こまる様は可愛らしくもあったが――それ以前に。


 「…………チョロ雷に改名した方が良いんじゃないか」

 「ちょちょちょ! 今ボソッと、とんでもない発言しませんでした!? ちょっと、ねぇ!?」


 しまった、ついうっかり心の声を口に出してしまった。

 雷神様の聴覚は人よりも優れているのか。今後は気を付けないとな。

 バシバシと力任せに叩いてくるツチちゃん。

 絶叫が響く冬の昼下がり。鍋は煮詰まり、騒がしい時間が過ぎていく――。


 鍋を食べ終え、後片付けも済ませた夕暮れ時、俺たちは思い思いにグダグダと過ごしていた。

 デロデロに泥酔した遊馬さんはベッドで爆睡しているし、騒ぎ疲れたツチちゃんも、壁にもたれて小さく寝息を立てている。

 俺はというと、遊馬さん所有の蔵書から二、三冊拝借して柄にもなく歴史の勉強に勤しんでいた。


 ――イザナギとイザナミの神話の顛末は、日本人であれば誰しも一度は耳にした経験があるはずだ。

 命を落としてしまったイザナミを追いかけて、黄泉の国まで赴いたイザナギ。

 彼女を想う気持ちは、偽らざるものだったと言えるだろう。

 しかしイザナミとの約束を破ってしまったことによって、二人の関係は終わりを迎える。

 悲しく、救いのない物語。話運びのせいもあるのだろう、淡々としているというか……歴史を記している以上は仕方のないことだし、エンタメ小説よろしく心理描写を盛られても面食らってしまうが。


 歴史的な背景から考察をしている学術書のページを捲っていた瞬間。不意に、小さく鋭い閃きが、雷のように俺の脳天を刺し貫く。

 思い出したのは大雷さんとのやり取り。


 ――神話というものは、ある意味では残酷なものよ。語り継がれるのは事実のみ――なのだから。


 まさか。

 『彼女』のあの言葉は――


 可愛らしい寝顔を浮かべるツチちゃんには、似つかわしくない雷鳴がゴロロ……! と轟いたのだった。

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