ファミリー・シスター

 驚きに次ぐ驚きで、時計の類も一切確認していなかったため、スマホの現在時刻に目をやった時には愕然としてしまった。

 未だ午後五時を少し回った頃合い。むつみと下校時に偶然一緒になってから、一時間も経っていない計算となる。

 俺と火雷さんはというと、得も言われぬ空気感の中、神社の石段を下って近くのバス停を目指して歩みを進めていた。

 

 今後の方針について考えを纏めようとしていたのだが、人生の中で何度訪れるか分からないレベルの緊急事態なのだ、自分一人の手では余るであろうことは明白である。

 男であれば、全てを一人で受け止める度量も必要な素養なのかもしれないけれど、確実に今はタイミングが違う。状況把握を冷静に出来ないようでは男として以前に、人間としてどうかと思う。


 幸いにして、このトンデモ状況について頼りになりそうな人物に心当たりがあった。

 こちらからコンタクトを取るのも久方ぶりで、連絡先が変わっていたらどうしようかと思ったが、心配は杞憂に終わる。

 電話の相手は俺の話を至って真面目に聞いてくれて、今からでも構わないから顔を見せるようにと言ってくれた。


 面会する人物にばかり気を取られ、バスの時刻に関して気を配っていなかったのが災いし、少しばかりの待機時間が発生してしまう。

 俺たちの他に人影はなく、話の続きを始めても問題ないと判断し、むつみ――の中にいる火雷さんへ話しかけた。


 「タイミングを逃して未だ自己紹介出来てませんでしたね、俺は深川八雲っていいます。むつみの――友人です」


 火雷さんは柔らかく微笑んで、よろしくと告げる。


 「あの、火雷さん――って……今更なんですけど、ただの人間が神様の名前を呼んでも大丈夫なんですかね? バチが当たって命を落としたり――」

 「あはは、随分と知識が偏っているわね。大丈夫、安心して呼んで頂戴」

 「火雷さん……」

 「馴染みのない呼び方で戸惑うなら……あだ名のようなものでも問題ないわよ? 八雲くんさえ良ければ、だけど」


 火雷さんの言葉に、俺は僅かばかりの逡巡を覚える。

 しかしこれから長い付き合い――にはならないことを祈るが、むつみの体を取り戻すために関わりは嫌でも増えるだろうし、比較的話の通じそうな火雷さんとコミュニケーションを取る意味でも、悪くない提案のように思えた。


 「分かりました。じゃあ……ホノさんって呼んでも良いですか」

 「ええ、勿論。何だか新鮮で不思議な気分」


 口元をブレザーの袖で隠しながら、目を細めて笑うホノさん。

 改めて見ても立ち振る舞いは人間にしか見えないし、醸し出すお姉さん然とした雰囲気に、少し狼狽えてしまう自分がいる。中身の人格が変わるだけで、こうも様変わりしてしまうものなのか。


 「……ところで、これは何を待っているのかしら」

 「えっと……バスと言いまして……乗り物、ですかね」

 「バス……車のようなもの?」

 「あ、車は知ってるんですね」

 「人間の世界を全く知らない訳ではないのよ。ごく稀に姿を変えて人里に降りてみたりね……ただ知識と実物が結びつかないのも多々あるの」


 なるほど。雷神たちの価値観というものが、神話レベルの過去からアップデートされていないとなると、今後も踏まえて大きな足枷になると危惧していたので、今のホノさんの言葉は非常に有難かった。

 バスの概要についての説明や、乗り降りの仕方などを軽くレクチャーしている間に、待ちわびた車両が到着する。

 ホノさんも危なげなく乗車することが出来て、二人掛けの席へ腰を下ろす。

 

 目的地まではニ十分ほど車に揺られる必要がある。ようやく一息つけるだろうか、と背もたれに体を預けながら、窓際に座っているホノさんの様子をチラリと窺う。

 車窓から流れていく景色に目を奪われたかと思えば、物珍しそうにキョロキョロと周りを見渡したり、降車ボタンの音やドアの開閉する音に身を震わせていたりと、見ていて飽きない。

 自分でも知らず知らずの内に、笑いを堪えるような仕草をしてたのかもしれない。ホノさんは頬を膨らませながら、俺の頬を人差し指で突いてくる。


 あまりにも人間味あふれる所作に戸惑う――というよりも、傍から見たらまるでバカップルのようなやり取りに、むず痒さを感じなかったと言えば嘘になる。

 ……なんて、むつみに知られたらどんな反応をされるだろうか、と考えたら途端にテンションがガタ落ちしてしまう。

 呆れられるか、笑われるか。

 ひょっとすると顔を引きつらせながら軽蔑されるかもしれない、などとマイナス方面に舵を切った俺の感情は、行く当てもない航海を始めた。

 あからさまなテンションの変化に何か思うところがあったのか、ホノさんは思案顔で俺を見つめている。


 「……ホノさん?」

 「え? ああ、御免なさい。聞き忘れていたことを思い出して」

 「聞き忘れ? なんでしょうか」


 慌てて話を逸らされたような居心地の悪さを感じたものの、いちいち突っ込むのも不躾ぶしつけだろうと思い、スルーする。


 「これから会うのは、どなた?」

 「八重垣 遊馬あすまさん――むつみのお姉さんです」

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