12、酒涙雨-後編-

 梅雨の妹、時雨が囚われているのは黒燈が店を構える街のずっと東にある廃れた村だった。

 かつては栄えていたらしいが、時代の流れについていくことが出来ず、村民のほとんどに見放されたのだそうだ。

 梅雨と時雨の母親もその一人だったが、その子どもが『蓮宿』だと知ると、一族が躍起になって彼女たちを見つけ出そうとした。


「どこで聞いたのか知らないけど、『蓮を宿した人間がいると幸せになれる』って話を鵜呑みにしたらしくて」


 実際、蓮宿が生まれた家は女神の恩恵を受けて、恵沢を授かった伝承があちこちに残っていた。

 だがそれは女神を宿した人間が無垢な心を保ち続けられたら、という前提があってこそだ。


「蓮宿の心が壊れたらどうなる?」

「それは分からない、けれど、私も似たような状態だったから……。ねえ、汐? どんなだった?」


 梅雨の問いに、彼女の側に淡い水の膜が張ったかと思うと、梅雨と同じ年頃の姿を象った女神が眉間に皺を寄せて彼女を睨んだ。


『その話はしたくない、と何度言わせたら分かるの?』

「だって、どんな感じだったのか知りたくて」

『……貴女たちの言葉を借りて言うのなら、そうね。「胸糞悪い」感じがずっと続いている状態だったわ』


 とても女神様が発したとは思えない言葉に、東雲は思わず梅雨と顔を見合わせた。

 次いで、梅雨の平手打ちが東雲の頬に炸裂する。


「いってえ!? 何すんだよ!!」

「どう考えても、あなたと兄さんの所為でしょ!! もっと上品な言葉で喋ってよ!」

「はあ!?」

「私と二人のときは、こんな下品な言葉使ってなかったの!!」


 ぎゃーぎゃーと騒ぐ梅雨に気圧されていた東雲だったが、不意に肌を刺す視線を感じ取った。

 真剣な表情で辺りを見渡し始めた東雲に、梅雨も違和感を覚えたのか、街道沿いの雑木林に視線を走らせる。


「……走るぞ」


 梅雨が頷いたのを合図に、二人は駆け出した。

 先ほどまで二人が立っていた場所に無数の苦無が打ち込まれる。


(銃を撃ってこない――てことは、まだガキの部隊か!)


 東雲は音も立てずに銃を取り出した。

 視線は前に向けられたまま、近付いてくる気配の方に銃口を向ける。

 すると、すぐ脇の木から少年が飛び降りてきた。

 東雲と同じ、真っ黒な装束を纏ったその少年に、彼は何の迷いもなく銃弾を撃ち込む。

 同じ一族の子を、年端もいかない少年を躊躇なく撃ち殺した彼に、梅雨の顔から血の気が引いた。

 思わず、その場で足を止めそうになった彼女を東雲は叱咤した。


「何してんだ!! 立ち止まるんじゃねえ!! 串刺しになりたいのか!!!」

「きゃっ!?」


 遠慮も何ももあったものではない。

 問答無用で突き飛ばされて、梅雨は強かに腰を地面に打ち付けた。


「いきなり、何するのよ――!!」


 さっきまで自分が立っていた場所に大量に突き刺さった苦無と投げ槍を見て、梅雨の顔が今度こそ真っ白になった。


「止まるな!! 止まったら、恰好の的になる!!」


 止まっている的程、狙いやすいものは無い。

 それは梅雨とて分かってはいるのだが、一度身体を襲った恐怖と震えは簡単に収まるはずもなく。

 ガタガタと小刻みに肩を震わせる少女に、東雲は盛大に舌を打った。


「……文句なら、後でたっぷり聞いてやる。しっかり、掴まってろよ!」


 二の矢がいつ飛んでくるとも分からない場に長居するほど、愚かではない。

 ガッと乱暴に梅雨の身体を肩に担ぎあげて、東雲は再度走り始めた。

 動きを止めようと足の腱を狙ってくるあたり、我が一族の教育の恐ろしさたるや、身をもって思い知らされる。


「だが、まあ、手の内が分かっているのは楽だな」


 標的を追い詰め、囲み、命を奪う。

 単純な作戦ではあるが、それは作戦に関わる人数が増えれば増えるほど、穴も大きくなる。

 銃を使っている戦闘員が居ないところを見ると、まだ若い十代前半の少年で構成された部隊のはずだ。それを指揮しているのも、恐らく同じ年頃の少年と見た。


 屋敷に行くには村を真っ直ぐ抜けると、梅雨は言った。


 ともすれば、そこに罠が張られているのは明確である。

 己が指令であるのなら、どう動くか、東雲は考えた。

 まず、追い立てる。

 現状がそうだ。

 動きを止めることが出来たら上々。

 止めることが出来ないとなれば、罠の方に誘導を始めるだろう。

 進行方向に投げられた槍に、東雲はくすりと笑った。

 敵に追い詰められているというのに、笑顔になった彼に、顔は見えていないはずの梅雨が非難の声を上げる。


「ちょっと! 笑っている場合じゃないでしょう!! ちゃんと走りなさいよ!!」

「だから、文句は後で聞くと言っているだろ! 少し黙れ!!」


 わざと追手に聞こえるように大きな声で梅雨を制すると、東雲は小さな声で「屋敷への道は一つなのか」と彼女に問うた。


「基本的には、ね。屋敷のすぐ傍に川が流れているの。そこまで行くことが出来たら、後は前に脱出したときと同じ方法で地下へ下りられるわ」

「そうか」


 東雲はふう、と一息吐き出すと槍が突き立てられ、道が塞がれた方へ真っ直ぐに突っ込んだ。


「どうして、こっちへ!?」

「ここで方向転換したら奴らの思うツボだ。見たところ、武器の数も減っている。人数はそう多くないはずだ」

「なるほど……」


 梅雨は納得したように頷くと、すぐ傍の木に視線を遣った。


「斜め右、撃てる?」

「あ? ああ」

「なら、お願いするわ」


 私はこっちを。


 そう言ったかと思うと、梅雨は東雲の肩を思いっきり蹴った。

 まさかそんな態勢で抵抗されるとは思わず、目を白黒させた東雲に、梅雨は微笑んだ。


「大人しく運ばれるだけの可愛い女じゃなくてごめんなさいね」


 人の悪い笑みを浮かべた少女が昼の空に舞う。


「汐。『蜂の巣』でいこう」

『任せて』


 綺麗な声が響いたかと思うと、重い衝撃音が辺りを支配した。


「……えげつないな」

「あら? 少しやりすぎたかしら?」

「少しってレベルには見えねえけど?」

「貴方もね」


 木の上に潜んでいた少年たちは、まるで水の中で溺れたかのように、全員が口から泡を吹いて倒れていた。

 東雲の後ろに迫っていた少年たちの方はと言えば、五人中五人、全ての眉間を撃ち抜かれている。


「どっちだ?」

「ここから見えているあの白い屋敷がそうよ。もう少しすれば、川も見えるはず」


 二人は静かに視線を合わせると辺りを警戒しながら、歩みを再開した。


「銃を持った奴は一人も居なかったよな?」

「え? ええ、多分。皆ナイフや槍を持っていたようだったけれど。どうして?」

「いや……。俺の思い過ごしだ。気にしないでくれ」


 東雲は曲がりなりにも本家筋の血を継いでいる。

 そんな彼を始末に来たのが、訓練されているとはいえ歳若い少年たちだけというのが、どうしても引っかかった。

 どこか知っているような感覚は、屋敷の周りをぐるりと流れる川辺に辿り着いたことで、確信へと変わる。


「止まれ!!」


 梅雨の腕を引っ張って、華奢な身体を閉じ込める。


「いきなり、何よ!!」

「静かにしろ」


 川辺には先程の少年たちとは比べものにもならない、屈強な男たちが辺りを警戒していた。


「……どういうこと?」

「最初からお前を逃がすつもりはないってことだろうよ」

「何ですって?!」

「だから、静かにしろって言ってんだろうが!」


 小声の応酬に男たちが気付いた様子はない。

 けれど、それも時間の問題であることは明白だった。


「川に飛び込んだところで、この人数を相手にするのは無理だ。今日は諦めろ」

「そんな! ここまで来て、時雨を諦めろって言うの!?」

「今日は、と言った。俺たちは一所に何日も滞在しない。俺を見つけることが出来なかったとなれば、諦めて他を探すはずだ」

「でも!」


 来た道を戻ろうとした東雲であったが、彼らの前に一人の少年が立ちはだかった。

 それは、先程東雲と梅雨に襲い掛かった少年部隊の指令を務めていた少年だった。腕に巻かれた指令の証である赤いバンダナをきつく握りしめて、東雲と梅雨の二人を鋭く睨んでいる。


「標的を確認!!」


 東雲と同じ、鈍色の髪をした少年がありったけの声で叫んだ。


「おい! こっちだ! 早くしろ!!」

「クソ野郎が!!」


 眉間を狙っている暇はない。

 それまで全て急所を撃ち抜いていた東雲の弾丸が、ここにきて初めて急所を外した。

 右肩を抑えて蹲った少年を林に向かって蹴り飛ばす。

 

 一刻も早くこの場を離れなければ、東雲と梅雨は死んだも同然であった。


 後ろから無数の足音が迫ってくるのに、東雲は両の瞼をゆっくりと下ろした。

 ここで捕まれば、元も子もない。

 それは分かっている。

 だが、先程から無言の少女に「クソ!!」と叫んだ。


「いいか!! 三十分だけだ! それ以上は待てない!」

「……!」

「さっさと妹を連れてこい!」


 東雲の声に、梅雨は弾かれたように、脇道へ身を翻した。

 次いで、それを待っていたかの如く、東雲に弾丸の雨が集中する。


「さっきのアレを見て、手元に置きたくなったらしいな」


 咄嗟に林の中へ身を伏せるも、すぐ傍まで迫った殺気に苦笑しか零れない。

 ここで死ぬのだ、と思った。

 今まで散々、人の命を奪ってきた身だ。

 碌な死に方はしないだろうと、常々思ってきたが、まさかこんなところで一族に嬲り殺しにされるとは思いもしなかった。

 地獄に落ちる方が、案外楽でいいのかもしれない。

 無数の銃口に囲まれても、東雲は動じなかった。

 これで漸く楽になれる、と心のどこかで幼い自分が笑っている。


「やめて――!!」


 男たちが引き金を引いた瞬間に、東雲は誰かに抱きしめられた。

 嗅ぎなれた血の臭いと、薄く香る海の匂いに、引き攣った悲鳴が上がる。


「梅雨!!!」


 初めて彼女の名前を呼んだ。

 冷えていく細い身体を抱え直せば、唇の端を赤い筋が汚していく。


「……ごめん、なさい。巻き込……んで……しま、って」

「どうして、戻ってきた!」

「貴方が、泣きそうな顔してたか、ら……」

「馬鹿かお前!! 妹を助けるんじゃなかったのかよ!!」

「そう、ね。で、も、貴方が死ぬところを、見たく、なかったの」

「もういい。もう、喋るな」

「東雲、お願いがあるの、」


 温もりが、すり抜けていく。

 胸の隙間から血が噴き出すような思いだった。


「何だ」


 震える声で答えた東雲の頬に梅雨の指先が力無く触れる。


「妹を、時雨をあそこ、から、連れ出して」


 遠くに見える屋敷の方に目を遣りながら梅雨が息も絶え絶えにそう告げた。


「ああ。必ず」

 

 東雲の答えに、梅雨は嬉しそうに笑った。

 目から熱い涙が零れるのも構わずに、東雲は梅雨の身体を強く、強く、抱きしめる。


「…………ごめんね、時雨」


 先に、母さんのところへ行っているね。

 少女が最後に零した言葉は、東雲の胸にこびりついて離れなかった。

 そこからどうやってその場を切り抜けたのか記憶がない。

 気が付いたら、辺り一面が血の海になっていた。

 抜け殻となった少女の身体が重く東雲に圧し掛かる。


「……梅雨」


 壊れた機械のように、東雲は何度も何度も彼女の名前を呼んだ。

 だが、その声に応えるはずの凛とした声はもう聞こえない。


「…………仇は取る」


 お前と俺に、この道を強いた者は残さず葬ろう。

 青白く染まった唇に東雲はゆっくりと己がそれを重ねた。

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