【03-17】契りを交わしたわたしたち
【憂鬱な朝がやってきた】
ほとんど寝てないが、時計の針は早朝であることを示していた。そろそろ身支度をしてオフィスへ向かわなければならない。しかし頭の中は鉛でも詰まったみたいに重く、動く気力が湧いてこなかった。というか、そもそも物理的に身体が動かない。金縛り、というわけでなくナデシコが覆いかぶさっていただけだった。いつもの寝相の悪さだ。わたしの気分など関係なしに呑気なものだ。呆れて溜息が出た。
「ナデシコ、どいて」
「んんぅ……」
もぞもぞと手足を伸ばすと、わたしの身体をホールドしてきた。ちょっと、悪ふざけしてる場合ではないのだ。
「ナデシコ、いい加減に――」
「血ぃ、ちょうだい」
半分開けた虚ろな目でナデシコはわたしを見つめてきた。そういえば昨日のゴタゴタのせいで長時間の供血を怠っていた。腹が減って仕方ないのだろう。悪いと思いつつ、ここは傀儡技研のラボ、自室のようにすぐに血液パックが取り出せる状況ではなかった。採血したストックは保管されてるはずだが所在はわからず、管理している担当者もまだ出勤していないだろう。
「部屋戻るから、降りて」
「や、すぐじゃなきゃ、や」
「わがまま言わないでよ」
ナデシコの小柄な四肢がわたしの身体に絡みついてくる。抵抗しようにも、少女の見かけから想像できない力と重さで一切動けなくなってしまった。両手首をしっかり押さえられたまま、ナデシコの小さな唇がわたしの耳から頬、頬から顎、顎から首筋へと這っていく。濡れた舌先が一か所を集中的に舐めてマーキングしてくる。頭部を振り乱しても、ナデシコの執拗な攻めは離れず止まらない。ああ、柔らかい感触に意識がぼやけてくる。
【痛覚】
「痛いって!」
ナデシコの鋭い犬歯がわたしの血管を突き破ると、一気に目が覚めてしまった。変な気分も吹っ飛んでしまい、思わず叫ぶ。ナデシコも驚いたのか、猫のように目を丸くして上体を離した。手が動く、と理解した瞬間にわたしの右手は彼女の頬を引っ叩いていた。乾いた破裂音が、無人の室内に響き渡る。
「……ごめんなさい」
ナデシコは身体を丸めて小さくなり、少し震えながら謝った。雨に打たれた捨て猫のようで可哀そうにも思えたが、簡単に許してはまた調子に乗るだろう。
「無理矢理なのは嫌だって言ったでしょ」
「モウシワケアリマセンデシタ」
似合わない敬語と涙声に思わず動揺してしまった。上目遣い、濡れた瞳には訴えてくるものもある。彼女も腹を空かしていただから、ちょっとは同情の余地があるかもしれない。
それから無言で気まずい空気が流れたので、とりあえず状況を変えようと思った。わたしの首筋から少しだけ流れる血をひとさし指ですくうと、ナデシコの鼻先に差し出した。
「ん」
「いいの?」
「とりあえず、ちょっとだけ。直接はダメだからね」
ナデシコは嬉しそうに私の指先を舐めた。ザラザラと濡れた柔肉がくすぐったい。もうほとんど血液を舐めとったというのに、行為を止めようとしない。
「終わりだよ」
「もうちょっと」
わたしの手首を掴んで、指先を頬張ってきた。やりすぎ! わたしは中指と親指で丸を作って、デコピン(当てたのは顎だけど)を喰らわせる。
「いてえ!」
「おあいこでしょ」
ナデシコは顎を抑え込んでベッドに横たわった。オーバーリアクションにわたしは思わず吹きだした。彼女はチラリと横目でわたしを見る。
「おねえちゃんさ、暴力できるじゃん」
「はあ? これは自衛行動です」
「そういうことなんじゃないの?」
急に真面目な声色を出すのでドキリとした。まるで、わたしの心理状況を見透かすような鋭い発言だった。
「なによ、わかったふうに」
「わかるよ、だってヴァンプロイドだもん。ドナーからの供血には、うまく言えないけど、記憶とか感情みたなものがぶわーって流れ込んでくるの」
「ありえない。血液にそんな機能はないよ」
「でも実際にそうなんだから。だからこそブラッドドライブが成立すると思わない?」
「うーん」
確かに、吸血機関やヴァンプロイドが血液で動いたり命令に従う仕組みについては明言されていないところが多い。ナデシコがこんなに懐っこいのも、わたしを自分の一部だと思い込んでるせいかもしれない。
「じゃあ、わたしが何考えてるかわかるの?」
「楽をして生きていたいんでしょ」
う、正解である。
「めちゃくちゃ面食いだよね。男女関係なく」
う、公言したことない心のうちを他人が喋るというのは、なんだか恥ずかしくなってきた。いや、ナデシコの観察眼を使えばそれっぽいことは当てられるのかもしれない。
「『奪う人より与える人であれ』ってのは、おねえちゃんのお父さんから?」
それはナデシコに対して話したことのない事柄だった。どうやら、あながちテキトーでもないようだ。
「あとね、誰かの声が聞こえた。おねえちゃんっぽいけどそうじゃないんだよね。『ヤオビクニ』がどうとか? 『アナザーチルドレン』……、そんな単語も」
そちらは全く記憶がない。昔読んだ本の中に記載されていたのだろうか。憶えていないということは大したことじゃないのだろう。
「とにかくですね、ボクは何があってもおねえちゃんの味方なんだからね」
ナデシコなりに励ましてくれようとしているのか。ちょっと照れる。
「じゃあさ、わたしがこのまま仕事ほっぽりだして遠くまで逃げたいって言ったら?」
「いいね! 全国の競艇場回って稼ごうよ」
「追手がいっぱい来るかもしれない」
「全員ボコすよ」
「わたしは強くない」
「いいよ。ボクが守るから」
真っすぐな視線がわたしを貫いた。嘘偽りのない、わたしの味方だ。正義よりもずっと身近である。安心できる存在が、わたしの胸中に重く渦巻くものを、ほぐして軽くした。自然と表情筋が緩む。
「うそうそ、仕事には行くよ。なんか元気出た」
「大丈夫そう?」
「まあ、足手まといにはならないように頑張ってみる。無理だったら頼む」
「かしこまり~」
ナデシコは嬉しそうに起き上がり、顔を近づけてきた。勢いを制するようにわたしは発言する。
「でも、一つだけ約束して」
「うん?」
「暴力手段は最終手段って。人を傷つけるのは、最悪な状況のときだけ。甘い考えかもしれないけど」
とりあえず、それだけは譲れない信条だった。ナデシコはコクンと頷く。
「いいよ。じゃあボクからも」
「なに?」
「悩んで死ぬなら、死なないほう優先って」
まさに、わたしの弱点を容赦なく突いてきた。戦場で生き残る術を、彼女は肌感覚で知っているのだろう。
「……わかった」
「約束ね!」
これがわたしたちの血盟だった。互いを生かすための、共犯関係である。
「そうだ、コレあげる」
わたしはポケットから、外していたままにしていた四葉のクローバーのイヤリングの片方を取り出して、ナデシコの右耳に取り付けた。
「なにか意味あるの?」
「願掛けよ。わたしの所有物の証」
「おねえちゃんもつけてる。お揃い!」
「わたしもナデシコの所有物」
「……あ、愛じゃん!」
「恥ずかしいから、そういうのじゃないから」
「うへへ、好き」
そういうとナデシコはまた抱き着いてきた。今度は無理矢理な束縛ではなく、優しい抱擁だった。わたしも彼女の背中に手を回す。すると彼女はドサクサに紛れてわたしの首から流れる血を吸おうとしてきたので、それは全力で阻止した。
「ヴァンプロイドの唾液には止血成分がですねえ」
「うっさい」
「頑張ったご褒美はナマ血がいいです」
「……考えとく」
わたしの血液をナデシコに捧げるから、わたしはナデシコを利用して生き延びる。
契りを交わしたわたしたちは、ちょっとだけ最強な気分でいられた。
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