第6話 佐藤と汐見の出会い(後編)☆

 俺たち2人は近くにいた他の男性社員に伝言を残して、濡れた衣服を着たままの汐見と会社に向かった。


 重ね着をしてマフラーをしていたのと酔っていたせいか、忘年会場を出ても俺はさほど寒さを感じなかった。汐見も防寒しているような服装だったせいか「今日はそれほどでもないな」と寒さを感じてないようなことを言っていた。

 気温10度前後の屋外の並木通りを横目に、世間話をしながら会社に向かっている最中、ふと、この偶然の出会いが俺に何かをもたらしてくれるような気がしていた。


 社に戻ってロッカーから手早く着替えを取り出した汐見は


「佐藤さん、移動するのもなんなので、僕、ここで着替えます」


 更衣室まで行くのも面倒だし、と言ったのだ。


「あ、大丈夫ですよ。僕、むこう向いてますね」

「先に帰ったらいいのに……」

「あ、それは気にしないでください」

「今年最後の仕事日なんだし……」

「そんなこと、気にしないでくださいって。汐見さんの方がよっぽど……」


 そう言って、俺は着替え始めた汐見の方を見ないよう視線を逸らすつもりで、窓ガラスの方を向いた。


 すると、そこには暗い屋外を映す全面窓ガラスが室内を鏡のように映し出し──


〝なっ! し、汐見さん……?!〟


 汐見潮26歳の生着替え中の後ろ姿が写っていたのだ。


 確かに会社に向かう道中、下半身まで濡れていると言っていたし、下着一式も着替えとして置いてあると言っていた。

 つまり、トランクスを履き替えるために、その……惜しげなく脱いだその尻が……

 丸見えだったのだ!


 男の尻なんて、なんてことはない、と思うだろう? 通常なら。

 だが、その時そこに写った汐見の後ろ姿は、異常なくらいなまめかしかった。


〝ちょ、お、俺、だいぶ酔ってる?〟


 普通なら、後ろ姿とはいえ、同性の裸体を見る機会なんてそうそうないし、そんなモノに欲情するはずがない。だから


〝俺、は……そっちの人間じゃない……けど……〟


 鏡のように窓ガラスに写った汐見の裸体、その体でも──臀部でんぶ──いわゆる尻に見入っていた。

 それは……あまりに、ありえないほど生々しく……

 時折腕まくりすると見えている浅黒い腕や首元とは全く異なって


〝し、白い……〟


 むっちりとした、それでいて形よく、ふくよかな白い臀部だった。

 しかも、ウエスト直下から盛り上がっているそれは大きくて、丸い。

 いわゆる西洋人のような、よく切れ上がり肉付きの良い【美尻】


 俺は決して尻フェチではない。女性だってパーツなら大きな胸に惹かれる。

 だから尻にさして興味はなかったはずだ、なのに……


 汐見が気づいていないのをこれ幸いと、鏡面になったガラス越しに汐見の尻をじっくり観察してしまっていた。


〝……くぼみが少ないんだな……珍しい……〟


 鍛えた大臀筋は、男性だと若干凹む。

 その凹みが少なく膨らんでいるせいなのか、全体として丸っとしていてそこだけ見るとちょっと鍛えられた女性の臀部に見えないこともない。

 こう、白くて丸くてむっちりしていて……


〝柔らかそう……触りたい……〟


 本当にそう思わせるような魔性の尻に見えたのだ。酔ってるとはいえ。


〝いや、こう……掴まえて揉みしだきたい……〟


 男なら、ちょっとは思うだろう?

 Bカップくらいはありそうな太った同級生のおっぱいを女子のそれに見立ててついつい揉んでしまいたくなる、そういう気持ちが。


 その時は酔ってたのも手伝って、そう思ったんだ。きっと……

 ついさっきまでまともに話したこともない同性の尻にこんなに興味が湧くなんて初めてのことだった。

 そして、その美尻の原因はすぐに知れた。


「オレ、野球少年だったから尻が人よりちょっと大きいのが悩みなんだよ」


 恥ずかしそうに本人が述懐したからだ。


 普通サイズのボトムを買うと、腹は出てないからウエストはぴったりなのに尻が入らない。だから、スタイルをよく見せるためのスキニーなズボンは買わないと決めているらしい。

 汐見とまともに話をしたのはこの忘年会の時が初めてだったが、社内ですれ違ったりすることは幾度かあった。

 その度に、有能と聞いている汐見が、いつもタックが2つも3つも入ってるチノパンみたいなだっさいボトムを履いているのが逆に目立って少し気になっていた。開発部は特殊な出勤形態であることも手伝ってビジカジをあまり外さない限り、女にモテそうな今時の格好をしている人間が多い。だが、汐見に限ってはそういうスタイリッシュな格好をしているのを見たことがなかったからだ。


 その理由はこれだったのか、と思い至り、そしてその美尻にムラついてる自分に驚いたのも確かだった。


〝もしや……俺って男もイケるのか?〟


 それはこの時には判別できなかったが、とりあえず酔ってるから変なこと考えるんだろうと結論づけ、汐見が着替え終わるのを待って


「よかったら一緒に飲み直しませんか?」


 邪な気持ちを心の中から追い払い、気軽な気持ちで汐見をサシ飲みの二次会に誘った。


「え? 本気で言ってる?」

「え? 本気ですけど……だって、仕切り直したくないです? 酒もぶっかけられたし……」

「これから二次会って……まぁいいけど……」

「なにか予定がありましたか?」

「いや、そうじゃなくて……」


 汐見は言い淀んでいたが、銀縁のメガネの丁番ちょうつがい部分をクイッと右手の親指と中指で持ち上げた。


「あー……飲み直したいのは山々だけど……シャワーでも浴びてさっぱりしたいな、と……」

「あ! そ、そうですよね!」


 俺の代わりに酒をかぶった汐見のことを考えてなかったことに、自分が相当酔っていることをようやく自覚した。自己嫌悪におちいった俺がため息を吐くと。


「まぁ、僕の家、徒歩10分だから。……佐藤くんさえ面倒でなければうちで飲むかい?」

「え?! マジですか?! あっ、しまった……!」


 思わず馴れ馴れしさが漏れた口を押さえた。


「ははっ。タメ口でも大丈夫だよ。僕は26だけど、佐藤くんは……24? だっけ?」

「え! なんで知ってるんですか?!」


 次々と予想外の返答が返ってくるのでこっちが目を白黒させていると


「君は有名人だからね」

「え、っと……」

「まぁ、じゃあ僕の家まで歩きながら話そうか」

「あ、はい……」


 そう言って、汐見は濡れた服一式を適当なビニールの買い物袋に入れ、いつも持ち歩いているノートパソコンが入ったA4サイズのカバンを掴んで帰社を促した。


 俺と汐見は、スーツの上から厚手のコートを羽織って社外に出た。

 酔いが醒めたせいか、年末の寒さにブルっと震え、ふと、さっきまで濡れ鼠だった汐見に思い至って本当に浅はかな誘いだったと激しく後悔していた。


 それなのに汐見はメガネをかけててもわかるくらいニコニコしていた。


「しっかし、意外だな~」

「え? 何がですか?」

「うわさってのは当てにならないな、ってこと」

「?」

「僕は今日まで直接佐藤くんを知らなかったから、又聞きでしかなかったんだけどね」

「……」

「君についてのうわさはかねがね耳にしていたよ」


 うわさがどういう類いのものなのかは聞かなくてもわかる。

 だけど、有能な汐見の口から直接、そういうネガティブな自分自身の陰口を聞くのは嫌だった────


「『優秀すぎるあまり先輩の目の上のタンコブになってる営業マン』て、聞いてるよ」

「!!」


 あまりにも優しい婉曲えんきょく表現に、俺は一瞬泣きそうになった。


「僕の開発部と佐藤くんがいる営業部は隣接していないけど、遅い時間ならどの部署に人がいるかくらいわかるよ」

「それって……」

「僕がこちらに転職してから、佐藤くんを夜遅い時間に見かけたのは7回程度? だったかな。他の人は帰っていて誰もいないのに、必死にディスプレイとにらめっこしてなかった?」

「……見てたんですか……?」


 この時期の俺は、自分の転職後、持ってる案件を誰かに引き継ぐためのドキュメントを作成していた。

 隠れて転職活動をしていたため、就業時間中にやって同じ部署にいる人間に内容を見られ、変な詮索をされるのが嫌だったからだ。まぁ正直、勤務時間中は今やってる仕事で手一杯でそれどころじゃなかったというのもある。だから、部内の全員が出払ったのを確認してから作業をするようにしていた。もちろん退勤のタイムカードを押してからだ。


「営業の仕事内容は詳しく知らないけど、他の人が就業時間中にしない業務をこなしてるってことだろ?」

「い、いえ、あの、その……」


 業務外、しかも転職前の事前準備をやっているから就業時間後だったのだ。だけど、それを評価してもらっていることが心苦しくなった。

 でも、『転職を考えてる』という話を初対面同然の汐見に言うのは筋違いじゃないかとためらわれて、どうしようか迷っていると


「何をしたって悪く言う人は悪く言う。全世界の人に好かれる人間なんているはずがない。それに、優秀な人間は抜きん出ているがこそ……周囲にいる人の嫉妬や羨望から足を引っ張られることが多い。大きな組織にいる優秀な人間の宿命だろうな……」

「し、しおみ、さん……」


 俺は、泣き出してしまった。


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