第34話 大丈夫! がんばれ!

『わあ! 0番街ってすごいね! いろんなお店があるんだね!

 ふかふかでやわらかそうな食べ物を売ってる! パン屋さんだ!

 チクタクチクタクってふしぎな音がするよ? あ、時計屋さんだ!

 ここはなんだろう。ハサミで髪の毛をチョキチョキって床屋さん!

 みんなズルズルーって音をたててすすってるね。わかった。ラーメン屋さん!

 ボク、秋葉山に住んでいるから街に来るのは初めてなんだ!

 どのお店もすごく気になっちゃうよ! 

 モミコちゃんもたくさんお店をまわったのかな?

 あ、いっけない! 

 モミコちゃんにおつかい頼まれてたの忘れてた!』


 モミジロウくんは腕を大きく広げて走り回る。

 しかし狭いステージのため、そこまで速く動けないし、視界も悪いので落ちないように気をつける必要がある。それでも、できるだけコミカルに演じることを心がけてさらに動く。

 広場から子どもたちの笑い声が聞こえてくる。


『みんなー! あった! あったよー! 

 モミコちゃんにおつかいをたのまれたお店! ここが果物屋さんだね! 

 わあ! いろいろな果物があるね! 

 どれもすごくおいしそうだなあ!

 黄色いバナナ! 紫色のぶどう! 緑色のメロン! 桃色の桃!

 買ってきてほしいと言われたのは……ボクと同じまっかなイチゴ!

 わーい! できたできた! 

 ボクにもおつかいできたよー!』


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「あつい……」


 モミジロウくんの中の人。

 もとい、命を担当することになった一志が声をもらす。

 当初は本山が続けて出ると言っていたが、疲れを考慮して休むことになった。

 覚悟はしていたけれど、それ以上に大変だ。

 着ぐるみを着て一歩動くだけでも辛い。

 しかも今日は晴れているし、気温も少しずつ上がっているから熱がどんどんこもる。


 それでも一度やると決めたからには最後までやり遂げる。

 モミジロウくんは喜びを表現するため、両腕を挙げてぴょんぴょん飛び跳ねる。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

『モミコちゃんに買えたって教えてあげよう!

 だけど、風が吹いてこないなあ! 

 風があったら言葉を載せられるのに!

 風さーん! お願いしまーす! 

 ちょっとでいいから風を吹かせてくださーい!』


 好奇心旺盛こうきしんおうせいな子どもたちもいっしょにお願いしてくれる。

 その応援のおかげで一志は少しだけ元気を取り戻す。


『うーん、どうしよう。なんとか声を届けられることができないかなあ。

 あれ、ここはなんだろう? 

 ちょっと入ってみよう。おじゃましまーす!

 わあ! いろいろな機械がたくさんあるね! 

 なにに使うんだろう?

 あ、なにか書いてあるよ。放送局、0ちゃんねる? 

 え? ここで話した声は、街にいる人たちに届けてもらえるの?

 すごいすごい! 

 それならボクの声をモミコちゃんに届けてもらおう!』


 その時、街のスピーカーから電子音が流れる。

 だが後に続くのは時報ではない。


『モミコちゃーん! イチゴ買えたよー! 待っててねー!』


 あらかじめ0ちゃんねるで録音しておいた声を街のスピーカーから流してもらった。ステージのスピーカーを使ってもよかったが、できるだけ物語の演出にこだわった結果である。


『ようし! モミコちゃんとみんなの待っている公園に行こう!』


 再び玲の声がステージのスピーカーから流れてくる。

 いよいよ物語も大詰めだ。

 最後まで気を抜かずにがんばろう。

 だがその直後、モミジロウくんはステージ上で転倒する。


「あれ……?」


 あまりに突然のことでなにが起こったのかわからなかった。

 先ほどまで見えていた観客の姿が今は見えない。

 なぜか金属の床が視界全体に広がっている。


「なんで……?」


 一志の意識はある。

 しかし頭がまったく回っていないため、状況を理解できていない。


「モミジロウくーん! 立ってー!」


 観客の言葉を聞いて自分が転んだことにようやく理解した。


「元気モミモミ……」


 モミジロウくんは、問題ないことを伝えるために大きく手を振る。


 しかし、観客席とは反対方向に振っていることに気づいていない。


 一志は床に手をつき、足に力を入れてゆっくり立ち上がろうとする。

 しかし手足にまるで力が伝わっていない。

 それでも必死に立とうとすればするほど焦りや緊張ばかり生まれる。先ほどからずっとステージに横たわって手足だけを動かしている。


「モミジロウくーん! 大丈夫?」


 物語の都合や演出でないことは観客にも伝わり始めている。

 子どもたちの声にも心配の感情が混じっているのがありありとわかる。


「大丈夫……大丈夫だから……」


 今日は子どもたちのためのイベントだ。

 こんなところで水を差すわけにはいかない。


 一志は自分に言い聞かせて立とうとする。

 しかし、想いとは裏腹に体が言うことを聞いてくれない。

 今はモミジロウくんの姿になっているとはいえ、これは一志の体である。

 それなのに、まるで自分の体ではないような錯覚を起こす。

 

『がんばれー! モミジロウくんがんばれー!』


 スピーカーから応援する声が聞こえてきた。

 もちろん、こんな脚本は書いていない。


「がんばれー!」


「モミジロウくんがんばってください!」


「モミジロウくんがんばれ!」


「がんばれモミジロウくん!」


「モミジロウくーん!」


「いけぇ! モミジロウ!」


 観客席からも応援の声が届く。


 子どもと大人の声が混ざり合って一つになる。


 時間が巻き戻ったのかと思った。


 これではまるで図書館のあおぞら朗読劇ではないか。


「あはは……」


 声援か、休息のおかげか、笑えるだけの余裕は生まれる。


「大丈夫……大丈夫……」


 なんとか立ち上がろうと再び手足に力を入れる。


「がんばれ……がんばれ……」


 あの時、玲はどう感じたのだろう。

 結果的には朗読をできるようになったけれど、辛い時にがんばれと言われてプレッシャーだったのではないかと急に不安になってきた。


 ただ、一流のスポーツ選手はファンの応援によってやる気が増すと聞いたことがある。それなら一流の声優だった玲も同じかもしれないと都合のいい解釈をしてみる。

 だが一志はスポーツ選手でもなければ一流でもない。

 ただの男子高校生だ。


「好きな人にがんばれって言われたら立てるのに……あはは……」 


 くだらない冗談を言って笑えるくらいには元気を取り戻した。

 けれど、現実はそんなに都合よくいかない。

 着ぐるみの中の熱さは変わらず、少しずつ一志の気力体力を奪っていく。


「大丈夫!」


 遠のく意識の中で声が聞こえてきた。


「がんばって!」


 幻聴でもいい。

 着ぐるみ越しでもわかる明るく優しい声。


「一志ならできるよ!」


 好きな人に言われたら、立たないわけにはいかない。

 さっき自分でそう言ったじゃないか。


「一志って呼ぶなよ……」


 体力はもう残っていない。

 それでも気力は満たされた。

 ならやるしかない。


「モミジロウくんって……呼んでくれよ……」


 手足に一瞬だけ力を入れて床を強く押す。

 その勢いを利用して一気に立ち上がった。


「わあっ! モミジロウくん!」


 周りから歓声が上がった。

 だが視界がぼやけて、自分がどこに立っているのかわからない。

 しかもいきなり立ち上がったせいで立ちくらみを起こし、ステージから落ちそうになっていることにも気づかない。

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