第8話 悪女、十歳になる
冬は、至極平和に過ぎていった。謹慎が解けても俺が屋敷にいる時間が長かったのは、セラフィナを見張らなくてはならないからだ。
だが見張りなどもはや不要なほど、彼女は普通に生活していた。
雪が積もればセラフィナは大喜びで雪遊びに興じ、体が冷えれば俺と一緒に茶を飲んだ。
そうして春も間近に迫った頃、兄貴と三人での朝食の席で、セラフィナが料理を運んできた使用人に話しかけている声が聞こえた。
「そういえばね、フィナは今日で十歳になったから好き嫌いなくすの。お魚も食べれるようにするよ」
セラフィナにでれでれの使用人達は、それは大変素晴らしいことです、と俺と兄貴にはまず見せないほどの満面の笑顔で応えている。
一方、俺と兄貴は食事の手を止め、束の間見つめ合った。
誕生日だと? ……そういえばそんな日が、人間年に一度はあるんだっけ。
兄貴はどうやら知らなかったようで、俺を見つめたまま、呆けたような顔をしている。自分の婚約者だろ、しっかりしろよ!
「そうそう誕生日だよな、おめでとう!」
「当然知ってたさ、おめでとう!」
俺たちは交互にそう言い合った。
食事の後で、俺は兄貴に詰め寄った。
「な、なんで知らなかったんだ?」
俺も知らなかったが、自分のことはひとまず棚に上げておいた。兄貴は渋い表情をする。
「人間が年に一度誕生日を迎えるということを、ここ数年、完全に失念していた」
確かに俺と兄貴は互いの年齢と生まれた日を知ってはいるものの、誕生日の祝いなどしたことはなかった。付き合いで他人の誕生日のパーティに招かれることも自分の誕生日を祝われることもあったが、我が家の中ではまずない文化だったのだ。
「どうするんだ、準備なんてなんにもしてねえよ」
というかそもそも誕生日ってどうやって祝うんだ?
シャドウストーン家ではきっと豪華な祝いがあったことだろうし、フェニクス家で格が落ちたと思われるのも癪だ。
いかん、このままでは誕生日を祝われなかった絶望で、セラフィナが悪女になってしまうかもしれない。
兄貴はこめかみを片手で押しながら言った。
「夜までに街でプレゼントを買ってこよう」
「じゃあ俺は、料理人に夕食にケーキを出すように言っておく」
「ああ、なんとかなる。大丈夫、大丈夫、大丈夫だ」
大丈夫を三回言うほど兄貴は動揺しているらしい。冷や汗をかく兄貴など初めて見たかもしれない。
こうなったらとにかくやれることをやるしかない。俺たちは戦場へ赴く戦士のようにがちりと拳を合わせあった。
そもそも女という生き物は、何をしたら喜ぶのだろうか。真剣に考えたことなどなかった。
俺に寄ってくる人間など権力か金が目当てであり、相手をしてやれば勝手に喜んだが、心底誰かを喜ばせたいと思ったことはなく、いかに自分が空虚な人生を歩んできたかを思い知らされているようだった。たった十歳の少女が何をしたら嬉しいのか、さっぱり分からない。
日中、当のセラフィナに話しかけられてもほとんど空返事だった。
そうこうしているうちにあっという間に日が暮れ、夕方になり、大量の荷物と共にショウが帰ってきた。
「何を買えばいいのか分からなかったから全部買ってきた」
抱えきれないほどの大量の箱は、服やら靴やら鞄やら本やら人形やらが入っているらしく、危うく店でも開けそうなほどの量がある。
兄貴の商才は確かだと社交界の誰かが褒めていた記憶があるが、婚約者のことになると途端ポンコツになるらしい。
もはや我が家は一大イベント会場と化し、使用人も巻き込んで誕生日の祝いが企画されていた。メイド数人がセラフィナの足止めをしている間、俺と兄貴でプレゼントを食堂に運び込む。雪が降り始め非常に寒いがやり遂げた。
テーブルの上には料理長が張リ切りすぎて作りすぎたこぼれ落ちそうなほどの料理が並べられていた。俺と兄貴のいかなる祝いの席でさえこれほど愛情をかけられたことがないことを鑑みると、使用人達は本気でセラフィナを大事にしているようだ。
ともかくとして、悪女セラフィナが見たら鼻で笑ってゴミ箱に放り込みそうではあるが、俺と兄貴の精一杯を尽くした。
窓の外では本格的に降り始めた雪が庭の草木を更に埋め、一面の白い景色を作り上げていた。ある思いつきをした俺は、兄貴に一声かけて、食堂を後にし、隣の部屋に潜んだ。
窓を開けると、一気に外気が流れ込み、思わず身震いした。
「さむっ」
俺って意外と尽くすタイプなのかも。
これもすべてセラフィナの誕生日を祝うためだ、せいぜい感謝したまえ。
恐らくショウがセラフィナを伴って食堂に入ったのだろう、隣から、歓声が上がった。
「誕生日を祝ってもらったのって、初めて!」
セラフィナの声が聞こえた瞬間、俺はずっこけそうになった。嘘だろ、そんなはずあるか。両親のいない俺たちでさえ、それなりに親族から祝いはあったというのに。
だが彼女の家での扱いを思えば順当なのかもしれない。
なんて可哀想な奴なんだ。悪女セラフィナは自分の誕生日をいつだって盛大に祝っていたが、あれは反動だったりするのだろうか。
などと考えている間も、セラフィナがプレゼントの箱を開けては喜ぶ声が聞こえていた。ショウも嬉しいだろうな。図らずも二人きりにしてやるなんて、俺はなんて良くできた弟なんだろうか。
だが今は自己満足に浸っている場合ではない。食堂の窓が開けられる音がした。兄貴からの合図だ。
セラフィナへのプレゼントは兄貴が買ったし、料理は使用人達が作った。これが俺からのプレゼントだ。さあ喜べセラフィナ。
外に降りしきる雪に向けて、俺は魔法を放った。魔法は光となり雪を包み込み、スノードームのように光の粒を庭に振らせた。
だが彼女の喜びは、俺の予想を遙かに上回るものだった。
「すごい! すごくきれい!!」
声を震わせて、彼女は言った。
「お父様とお兄様たちに見せてあげたい。こんなに、こんなに大切にしてもらえてるんだって。
ショウがいて、アーヴェルがいて、それだけでも十分なのに、生まれて来ておめでとうって、お祝いしてもらえるなんて」
だが遂には泣くことはなく、へへ、とセラフィナが笑ったようだ。
「生まれてきてよかったって、初めて思った。……へんなの、本当の家族より、こっちの家族の方が、ずっと幸せだって思うなんて」
「なに言ってるんだよ! 俺たちはお前の本当の家族だろ!」
耐えきれず窓の外に身を乗り出して、隣の食堂にいるセラフィナに、窓越しに声をかけた。俺がいると思わなかったのか、彼女は目を丸くする。
柄にもなく熱くなり、臭い台詞を吐いたにも関わらず、俺の言葉に、兄貴が大きく頷くのが見えた。
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