レンタル彼氏を利用してみたら元カレが来た話をするけどいい?

石田空

 表計算ソフトを睨みながら、かたかたとキーボードを叩く。表計算ソフトなんだから、関数入れてもっと作業を効率化してもいいのに、前の会社でうっかりそれを披露したら、給料そのままで作業のお替わりが増えすぎてしまったので、反省して今は言われたことしかやっていない。

 定時の五時になる直前で作業を終えて、保存した。


「お疲れ様です」


 正社員にそう声をかけるけれど、こちらのほうにちらっと顔を向けられて軽く会釈される。それで終わりなんだから気楽なものだ。

 私はさっさと更衣室に向かって、荷物を取りに行った。正社員は残業するみたいだけれど、安い賃金の私がそれに合わせる必要はない。自分の作業が終わったら、そのまま帰ってしまえばいい。

 更衣室に入ったら、既に先客がいた。同じ派遣社員の佐々木さんだ。


「お疲れ様です」

「ねえ、野々井さん。私、来月でここ辞めるの。結婚決まったから」

「あー……おめでとうございます。わかりました」


 そう言って挨拶をする。佐々木さんは私と同年代だから、てっきり結婚する気はないのかと思っていたけど、結婚願望が少しでもあったんだなと意外に思う。

 佐々木さんはしたり顔で続ける。


「ねえ、野々井さんは?」

「私は……別に」

「でも派遣社員なんて給料がたかが知れているじゃない」

「はあ……」


 この人なに言っているんだろうと思いながら、延々と結婚観について説教してくる佐々木さんの言葉を、聞き流す。

 今時、結婚なんて人生の安全牌にならないのに。

 彼女の話を聞き流しながらロッカーに手を伸ばしていたら、勝手に佐々木さんはエキサイトしてくる。


「運命の人にはいつかは出会えるなんていうのはただの幻想だからね。自分からぐいぐいと行かないと来ないんだから」


 この人、いちいち失礼なことを挟んでくるなあ。私は愛想笑いをして「ありがとうございます」とだけ言って、さっさと着替えることにした。

 三十過ぎた頃から、「結婚していないと不良債権」扱いされることが増えたような気がする。

 さっさと着替えて佐々木さんに「お先に失礼します」と言ってから、足早に会社を後にした。

 電車に揺られながら、車内広告をぼんやりと見上げる。

 地元でやるお見合いパーティーやら、結婚マッチングアプリやらの釣り広告ばかり目に入るのに、うんざりしてくる。

 別に仕事をあくせくやりたい訳じゃない。

 だからといって結婚したい訳でもない。

 それを自分勝手だ、自己中心的だと言われたらそれまでだけど。

 アパートに辿り着き、何気なくポストを開けたら、どさどさとダイレクトメールが入っているのにげんなりとする。

 家に帰りつき、ダイレクトメールを処分したところで、スマホの通信アプリがピコンピコンと付いているのに気が付いた。

 何気なくアプリを覗くと、【寂しい私を慰めてくれる?】という文面が飛び込んできた。それを私は黙って消す。

 残り物のご飯を食べながらパソコンを立ち上げて、メールチェックをはじめる。

 広告代理店から、前に送った文章が公表されたという報告メールをもらい、私はほっと息を吐く。

 派遣社員だけだと食べていけない私は、ライターとしても活動している。二足の草鞋とはいえど、そこそこ実を結びつつある。

 私はメール確認した旨を返信してから、他のメールに目を通していたら、思わず止まってしまう文面に遭遇してしまった。


【君を愛している。できればここに連絡して欲しいんだ】


 深く深―く息を吐いてから、削除ボタンを押した。どうして今日はこんなのばかり目に付くんだろう。

 思えば、二十代のときに彼氏と別れて以降、恋愛するのが億劫になり、すっかりと枯れてしまった。

 人に合わせるのが面倒くさい。誰かのために尽くすのがしんどい。

 同棲していた彼氏にさんざん振り回されてからは、自分の人生なのに思い通りにいかないことが多過ぎて、すっかりとくたびれてしまったんだ。

 でも……。

 私は少し思いついて、ブラウザを立ち上げて、検索をかけはじめた。

 この数年、枯れて彼氏がいたことなんてない。結婚だってする気はないけれど、せめて久しぶりに誰かとデートしてみたい。

 検索したのは、女性向けのデートサービス……レンタル彼氏だった。

 彼氏が欲しい訳じゃない。ただ真似事をしてみたいだけだ。調べてみると、ある程度設定が選べて、その通りにデートを楽しむことができるらしい。ざっと説明を読んでみたけれど、この店の信憑性がいまいちわからず、店名と評判をさらに検索してみたら、ざっと出てきた。


【ここのサービスは本当にいい。夢の時間が過ごせた】

【登録してるキャストが全員紳士で、お任せで選んでも外れがない】


 いい評判しか出てこず、念のため悪い評判も調べたら、せいぜい【ついつい次の予約も入れてしまって今月どうやって過ごそう】くらいのものしか引っかからなかった。

 それらをじっくり読みながら、私は「ふむ」と唸る。

 人間関係をつくるのは面倒くさい。でもレンタル彼氏だったら、後腐れがない。安月給の私でも、一回分のサービス代と食事代くらいだったら支払えそうだ。

 それに、レンタル彼氏を利用したんだったら、その手のレポートを募集しているサイトなんていくらでもある。その手のサイトに私の文章を売り込めば、スズメの涙程度のお小遣いにはなるだろう。

 そう考えたら気が楽になり、私はサービスの予約方法の項目を読み進めた。

 方法はメールフォーム、電話、スマホアプリの三パターン。私は迷わずメールフォームを選んで送っておいた。パソコンのメールアドレスを使っておけば家に帰ってからじゃないと見られないから、他人にとやかく言われる心配もない。

 登録名義や連絡アドレスなどで会員登録する形になっていて、それらを入力したあとに、【男性の希望をお聞かせください】という項目が出た。

 そういえば、さっきはレンタル彼氏のサービス内容ばかり気にしていて、肝心のキャストは確認していなかった。でもなあ。

 イケメンの前と普通の人の前だと、ついつい取る行動が変わってしまう。いくらデートごっこするだけとはいっても、イケメン過ぎると緊張してしまうかも。

 だからといって、全部お任せというのも怖い。賑やか過ぎる人は疲れるし、寡黙過ぎる人は間が持たない。

 悩んだ末に【優しい人、サービスが丁寧な人】と記入しておくことにした。無難が過ぎるけど。

 まだ会員登録しただけなのに、私はぐったりとして机に突っ伏していたら、メールが入った。


【野々井様 お世話になっております。臨時の案件があるんですが、スケジュールは空いているでしょうか?】


 副業の臨時の依頼だった。

 私は了解のメールを送った。しばらくしたら電話がかかってきて、それで軽く打ち合わせをしたら、すぐに作業に取り掛かる。

 切り替えが大事。ワープロソフトを立ち上げて仕事をはじめる頃には、レンタル彼氏のことはすっかりと忘れていた。

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