第9話 半人前の戦い方
番外 お月見と読書の秋
雲がなく、煌々と満月が照らす夜。今夜は中秋の名月。国家術師養成学校においてはお月見の会が開かれていた。
女子寮と男子寮に挟まれた空き地(空き地というか、隅っこには薩摩芋畑があったりときには布団が干されていたりする多目的な広場)に桟敷を出す。上級生など、学校行事に慣れた者たちは持参した
徐々に夜闇が増してくる。行灯の火が朧に足元を照らす。
蒼羽子もお月見会の空気を楽しんでいる1人だった。事前のくじ引きで甘味の配膳係に当たったため、大きなお盆に白玉団子を載せて歩き回っていた。制服から着物姿に着替えて襷掛けをしている。
「貰っていない方はいますか〜?」
ひょこひょこひょこ、っと手が上がる。順番に渡してゆく。
今日の甘味はお月見団子といえばこう、というのが出身地ごとにバラバラで収集がつかなくなりそうだったため、一番簡潔かつ間違いじゃない、という経緯で白玉団子のきな粉乗せになった。
「げッ! 各務原蒼羽子!」
「まあ、なんて言い様なのかしら。早く受け取ってくれない?」
配膳係が蒼羽子だと気づいていなかったのか、お待ちかねニコニコ顔で振り向いた櫻子が表情をクルッとひっくり返して悪態をつく。近くに春菜はいない。一人のようだ。
「ええ… …。何か変なもの入れてるんじゃない? 毒とか」
「お腹壊したなら、そこの辺りに生えてる草でも食べときなさいな」
「はあ!?」
蒼羽子の皮肉に素早く反応する櫻子。イイ反応に満足して、すました顔で去ろうとした。が、横入りが入った。
あらヤダ、この前私のこと断罪しようとしてきた内の一人じゃない。
上から目線で睨んできたのは、同じ学級の男子生徒だった。
「また何かしでかしたんじゃないだろうな」
「いえ別に? 私はあらぬ疑いをかけてくる山本さんに、『お腹壊したなら、そこの辺りに生えてる草でも食べときなさいな』と言っただけですわ」
そこら辺の、といって蒼羽子が手のひらで示した方を見て、ギクッと固まる。
ああ、貴方には意味が通じたのね。
蒼羽子が示した場所に生えているのは、地面に這うような葉っぱを持つ、大した花もつかない草である。雑草に見えるが薬草の一種で、この植物は煎じて飲むとツツジ科の植物が持つ有毒成分とくっついて毒物の吸収を阻止する働きがある。植物園から種子が飛んできたのか、勝手に生えているのだ。
つまり、『
さっと身を翻して立ち去る。待ったの声が聞こえるが、待つ理由がない。これを配り終わったらお仕事は終わりだと言われている。
さて、私も頂こうかしら。
ところで、凍乃と史はどこにいるかというと、火のそばで身体を冷やさないようにしている。2人は今朝からくしゃみ連発していたため、お団子を頂いたら速やかに部屋へ戻って休むことにしたのだ。女子寮寮長に言って許可ももらっている。他にも2、3人火のそばから動かない人たちがいる。たかが風邪と侮らない方がいい。
まあ、風邪気味なのは瑛梨経由で里見に教えてもらった小説を読みふけっていたからなので、これに
今2人してハマっているのは、架空の
そうだ、と瑛梨さんか、おそらく一緒のいるであろう水嶋君のところにお邪魔していいかしら? と思いつく。
「サクちゃんと瑛梨ちゃんは〜?」
「脱兎の勢いで出てったわよ。いつもの養育院に行くんですって。彼も一緒。
ところであんたって、目が… …」
あらまあ。そうなのね、それじゃあいよいよ1人で空いてる席探しをしないと。
立ち食いは回避しよう、と蒼羽子は大きなお盆を手に配膳しながら歩き回る。
「うっ…」
一ヶ所空いている場所を見つけた。しかし、絶対あそこには行きたくない。
「美味しいですね! 藍蘭先輩。あ、ここお弁当が着いてますよ」
「えっ、どこどこ」
「ふふっ、反対ですよ。こっちです」
春菜と藍蘭が座っている場所の正面。
嫌だ、あそこだけは嫌よ。
蒼羽子が苦虫を噛み潰したような心境でいると声をかけてくる者がいた。
「各務原さん、ここに座るといいわ。私はあそこに移らせてもらうから」
「先輩…」
声をかけてきたのは本科三年生の女子の先輩だった。容姿端麗、大変ルックスの優れた女性として有名で、本人もそれを武器にしているところがある。月光を浴びて浮かび上がる陰影が艶めかしい。
女子生徒の間で行われた「『艶事に興味ある?』と言われたら速攻で承諾する人は?
2位の先輩に「よろしいのですか? あちらの場所は正面に…」見苦しいものが陣取っておりますが、と言い終わる前に、「ちょっと試してみるだけよ。代わりに回収係、お願いしてもいい?」と返された。何をするつもりかしら?
「… …、『分水嶺に立つ』の華枝か、『怪盗セザール』のルネみたい」
「せっかくだから、座ったら?」
先輩の隣に座っていた男子生徒に促される。聞き覚えのある、思ったら藤崎真佑だった。
女を取っ変え引っ変えとかしているとか、どこそこの家の未亡人の遊び相手だとか、そういう類の噂がある男だ。学業も欠席が多く、何度教師から注意されても反省する素振りはその場だけ、と聞いたことがある。
そんな男の隣に座るのか。しかも「悩殺小町番付」2位の先輩の後釜に、同じく番付5位の蒼羽子が。また新たなデマが生まれそう、同率5位だった瑛梨に代わってもらいたい、と
「もう少し、横にずれてくださるかしら」
「ハイハイ。
… …『七変化の天歌』読んだことあるんだ?」
「小声で言ったつもりでしたのに、聞こえていましたの?
ええ、『七変化の天歌』は読みましたわ。あのようなストーリーの成り上がり物はいいですわね。主人公の不屈の精神が読んでいて爽快でした」
『七変化の天歌』とは、名役者だった父譲りの類稀なる演技力を活かして主人公の天歌が依頼人の「望む相手」を演じる物語である。江戸の下町で暮らす天歌は依頼があれば、ときにはお見合いの代役、ときには幼くして亡くなった娘の生まれ変わり、ときには大名屋敷の美しき小姓まで演じる。
華枝とは『分水嶺に立つ』という回に登場する遊女だ。天歌と二転三転する駆け引きを繰り広げ最後は天歌が勝った、ように見せかけて華枝も自分の目的をしっかり達成していた、という回だった。
『怪盗セザール』のルネは、盗めないものはないと言われているセザールの永遠の商売敵のような、惚れた弱みのような、不思議な男女の力関係が成り立っている女泥棒である。こちらもまた、絶世の美女。美女の割に身体を張った活躍を見せる場面があるところにギャップを感じる。
「両方とも、男女問わず人を手のひらの上でコロコロ転がすところが似てると思わない?」
真佑の意見に蒼羽子は頷く。
さて当の先輩はというと、藍蘭と春菜の正面に座るとこんなの馬鹿でも引っかからないだろうと思うくらい、あからさまに誘惑しだした。藍蘭は先輩がワザと足を組みかえたり、鼻緒を直すのに前屈みになったりする度に目が釘付けになっている。馬鹿でも、というより馬鹿しか引っかからない、が正しかったみたいだ。藍蘭の様子にショックを受けている春菜が愉快だ。
意地の悪い笑みが浮かんでいる自覚はあった。でも、あの2人の仲に少しでも罅が入るかもしれないと思うと笑いを堪えられなかった。その切っ掛けがくだらないものなら、なお良い。
「そんな顔してるから『石楠花の毒』なんてあだ名が付けられるんじゃない?」
「あら、
「そうだな…、その美しさは夜の帳に隠しきれなかった、って感じかな」
「それはないわ」
名月に例えた真佑のセリフを否定して、完璧な笑みをつくった蒼羽子は『サロメ』の台詞を口にする。
脳裏に浮かぶのは、真冬の川の水を掬って
「月は冷たくて清い、銀の花だもの」
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