第26話 桜坂明里という少女③
あれは、俺が八歳で、桜坂さんが七歳の頃の話だった。
当時、俺たちはよく一緒に遊んでいた。
いつも公園のブランコで一人でいる彼女を気にかけて、俺から遊びに誘うようになっていた。
「ゆーくん、まってよ」
「はやくこいって、あかり」
探検と称して色々なところに行くのがお決まりだった。
しかし、そんな楽しい日々は長くは続かなかった。
「おれ、ひっこすことになった。だから、あとちょっとしかあそべない」
「や、やだよ! ず、ずっとゆーくんといたいよ!」
家庭の事情で、俺は引っ越しが決まった。
子供の俺には避けられようのない現実。
諦めるしかなった。
だからせめて、残された時間は一緒にいようと思った。
一ヶ月あった猶予はみるみるウチに減っていき、残すところあと一日。
最後の日になった。
「じゃあ、またいつか」
「やだ……やだやだやだ!」
俺の袖を掴み、抵抗してくる。
けれど、避けられない現実。
子供の嫌の一言でどうにかなる問題じゃない。
俺だって嫌だった。
離れ離れになりたくなかった。
ただ、俺は子供にしては物分かりがよかった。
だから、俺は彼女の手を振り解き、逃げるように公園を後にした。
でないと、自分までわがままを言いそうになるから。
そして翌日。
俺は未知の経験をする。
同じを日を繰り返していたのだ。
母さんや父さんに言っても、話をまともに聞いてくれない。
公園に行くと、桜坂さん──いや、明里がいた。
「あ、おはよっ。ゆーくん!」
満面の笑顔を咲かせる明里。
「お……おはよう」
「わたしね、かみさまにおねがいしたの。そしたら、またきょうにもどれることになったんだよ!」
意気揚々と意味のわからないことを言ってくる。
けれど、どうやらこの現象の発端は、明里にあることはわかった。
「だからね、ずっといっしょにあそぼ。きょうがずぅっとつづけば、ゆーくんはとおくにいかなくていいもんね」
屈託のない笑顔で、何の躊躇いもなく告げる明里は、少し怖かった。
それから一ヶ月、休みなく遊んだ。
何度も何度も同じ日を繰り返していく内に、俺は気がついたのだ。
この状況の異常性に。
「さすがに、もう、いいんじゃないかな」
「え?」
「ダメだよ、こんなこと。もうやめよ?」
「どうして? ずぅっといっしょにいられるのに」
平然とした顔で、善悪の区別がついていない顔をしていた。
異常だと思った。
「と、とにかく、もうダメだから。もう、いっしょにはあそべない!」
俺はそう言って、逃げるように帰った。
目覚めると、また同じ日を繰り返していた。
公園には行かなかった。
これが俺にできる意思表示だった。
それが数日続いた。
興味本位で、公園に行くことにした。
いつものブランコに、明里はいた。
彼女は俺を見つけると、
「あはっ、やっとゆーくんきてくれた。ずっとずっとまってたんだよ?」
夕陽が沈みそうな時間帯だった。
誰とも遊ばず、ずっと俺のことを待っていた。
おそらく、俺が家に引きこもっていた間も待っていたのだろう。
子供ながらに、狂っていると思った。
病的なまでの俺への執着。
恐怖に近いものを感じた。いや、間違いなく、恐怖だった。
「なんで、そこまで……」
「ゆーくんとずっといたいからだよ」
ここまで俺に執着させてしまった一端には、俺以外の友達の存在がいないことが考えられる。
だから、彼女は俺に縋るしかないのだ。
考えた。
子供ながらに考えた。
そうして出した結論は──。
「おれも、あかりといっしょにいたいよ」
明里のことを否定しないことだった。
言葉が通じる相手じゃない。
寄り添ってあげるしかない。
「ほんと? えへへ、うん。ずっといっしょ」
「ただ、それはおとなになってからだ」
「おとなになってから?」
「うん」
このまま時を繰り返す。
そんなのは間違っている。
だから。
「おとなになったら、けっこんしよう」
「ふぇ?」
「けっこんしたら、ずっといっしょだ。だから、すこしはなればなれになるけど、がまんして」
明里は複雑な表情を浮かべる。
「けっこんはしたいけど、ゆーくんとはなればなれになりたくない」
「むちゃ、いわないでよ」
俺の言い分が通じなかった。
結局それからも、同じ日を繰り返すことになった。
だから俺は、神様に願ったのだ。
明里が俺から離れるようにと。
明里の記憶から俺の存在を消せるようにと。
──願ったのだ。
それで俺は手に入れた。
記憶をいじれる力を。
その後、俺は明里の記憶から、俺との思い出。そして、時を巻き戻す馬鹿げた力の存在を抹消した。
そして俺も自分の記憶から、明里との思い出。そして、記憶をいじれる力の存在を抹消した。
ただ、桜坂さんは言っていた。
事故に遭って生死の境目を彷徨っていたと。
その後、記憶を取り戻したと。
そして俺も、結城さんに殺され、死を経験した。
おそらくはそれがトリガーとなって、記憶を取り戻すことになったのだろう。
※
「要するにだ。俺には記憶いじれる力がある」
回想を終え、俺は桜坂さんの目をまっすぐ見つめる。
「……ゆーくんがなに言おうとしているのか、わかんない」
「わからないか? 俺はまたこの力を使って、桜坂さんの記憶から、俺との記憶やその馬鹿げた力の存在を抹消できるんだ」
子供の頃の俺がそうしたように。
今の俺も同じことをする。
ただ、今回は自分の記憶はいじらないようにしよう。
そうすれば、二の舞にはならずに済む。
「や、やだよ。ずっと一緒にいよーよ」
にへらっと笑みを作る桜坂さん。
俺にその資格はないんだ……。
「選択肢は二つ。俺に記憶をいじられるが、二度と俺に関わらないかだ」
「……どっちも選びたくない!」
桜坂さんは咆哮する。
だが、俺だって譲れない。
桜坂さんはポケットからナイフを取り出すと、刃先を俺に向けてきた。
「どうしてもって言うなら、一緒に死の? ゆーくん」
目尻に涙を蓄えて、スッと目を細める。
「最後まで俺の言うことは聞いてくれないんだな」
「ずっと、ずっと一緒にいようね。いつまでも一緒だよ」
その声は、いつになく優しかった。
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