第22話 私のこと——
「おっはよー! ゆーくん!」
十時を過ぎたあたりだった。
インターホンが鳴り、玄関先には桜坂さんがいた。
快活な笑顔を携え、俺の顔目掛けて右手を掲げている。
「帰ってくれ」
インターホンを無視する選択は取れなかった。
彼女には我が家に不法侵入した実績があるからだ。
「冷たいなー。せっかく、ゆーくんの言うこと聞いて、雨宮さんを殺さないであげたのに」
むぅ、と口を尖らせて、不満そうに告げる。
殺さないのが当たり前だ。
平然と、躊躇いもなく殺害できる桜坂さんが狂っている。
ただいずれにせよ、土曜日を繰り返しているということは、雨宮さんは死なずに済んだのだろう。
それにしても、一体どうやって居場所を特定したんだかな。
いっそ、聞いてみるか。
「どうやって、桜坂さんは雨宮さんを特定したんだ」
「ん? 簡単だよ。ゆーくんの近くの中学に通ってて、殺人未遂の事件を起こしてる。それだけで、ネットにはごろごろ情報が転がってるもん。あとは、関連のありそうな人に直接聞いたりね」
「……そうか。もう、あんな真似、絶対にするなよ」
「不要な人間は死んだ方がいいじゃん。ゆーくんにトラウマ与えるような女、いない方がよくない?」
桜坂さんはケロッとした表情を浮かべる。
どの口が言っているんだと突っ込みそうになったが、すんでのところで堪えた。
「そもそも前提を間違えている。仮に、雨宮さんが死んだところで、俺の気持ちは変わらない。一層、人と関わることを拒絶することになるだけだ」
「えー……。じゃあ、詰んでるじゃん。私、どうすればゆーくんと付き合えるの?」
こてん、と首を横に傾げる桜坂さん。
「諦めるのが最善だ。別の男に切り替えろ」
「ゆーくん以外の男なんて、全員ゴミじゃん。視界にも入れたくないよ」
「……詰んでるのは間違いなく俺の方だな」
「ま、根比べってのもいーよね。何回でも、何十回でも、何百回、何千回、何万回だって、私はゆーくんに告白する。成功するまで繰り返せば、必ず付き合えるもん!」
ある種、病的なまでのポジティブシンキング。
だが、それを実現可能にさせてしまう力が彼女にはある。
いっそのこと、諦めるのが合理的だろうか。
いや、それこそ自滅行為に他ならない。
桜坂さんの興味が俺からなくなること。そして、この超常現象から抜け出す糸口を見つけ出すことに注力するべきだ。
「どのみち帰る気はないんだろ。入れよ」
「うん。ありがと!」
俺は二歩後ずさって、桜坂さんが玄関の敷居をまたぐ余裕を作る。
彼女は靴を脱いで、リビングへと向かった。
卯月は今日出かけている。
だから、この家には俺と桜坂さんの二人きりだ。
「紅茶でいいか?」
「うん。レモンありで」
「うちにレモンはない」
「じゃ、ゆーくんの体液でもいいよ」
「…………」
「無視だ! なにも反応してくれない!」
桜坂さんは頬に空気を溜めて、不満そうに俺を睨む。
俺は紅茶を二つ準備すると、片方を桜坂さんに渡した。
ダイニングテーブルを挟んで、向かい合うように座る。
「ありがと」
「あぁ」
紅茶を受け取ると、桜坂さんはすっかり機嫌を良くして笑顔を見せる。
こうしてみると、普通の女の子みたいだ。
昨日のあれは、何かも間違いだったんじゃないかと思いたくなる。
けれど、あれが夢なわけがない。
あれほどリアルな夢があるなんて非現実的だ。……まぁ、同じ日を繰り返しているこの状況の方が、よっぽど非現実的なのだけれど。
「一つ、聞いていもいいか?」
紅茶を一口飲んでから、俺は切り出した。
「うん。なに? なんでも聞いて」
「桜坂さんは、俺にも時間が巻き戻る力の影響が加わるようにしているのか?」
「ううん。前にも言ったけど、ゆーくんにも影響してるなんて知らなかったよ」
「じゃあなんでこの二日間だけなんだ。今までも時を巻き戻してたなら、俺にもその能力の影響がこないとおかしい」
「私に言われてもわかんないよ」
「……そうか」
「でもこの力使ったのもかなり久しぶりだからね。色々とアップデートされたのかな?」
「なんだそりゃ」
論理的に考えても仕方がない案件なのはたしかだ。
参ったな……。
解決の糸口が掴めそうにない。
「あ、そーだ。どうしてもゆーくんが、この能力から逃れたいなら一つだけ方法があるよ」
「え?」
ピンと人差し指を立てて、ふわりと微笑む桜坂さん。
俺の興味が一気に惹かれていく。
「私のこと、殺せばいいの」
簡潔に、単刀直入に、真っ直ぐ俺の目を見つめながら、桜坂さんは告げた。
「は? なに、言って──」
「時間を巻き戻してるのは私だもん。元凶が死ねば、どうすることもできないでしょ」
「それは、そうかもしれないが」
「もちろん、そうなったら私は全力で抵抗するけどね。だって、ゆーくんと会えなくなるの嫌だもん」
ずずず、と紅茶を啜る桜坂さん。
彼女の口から紡がれた言葉とは対極的に、落ち着いた所作で、平然としていた。
「さてと、私と付き合ってよ」
「……断る」
もう何度目にもなる告白を受け、俺は作業的に断った。
「むぅ。こんなに一途にゆーくんのこと想っている女の子、他にいないのになぁ」
チラチラと小刻みに視線を送ってくる。
俺の肩がドッと重たくなる。
理不尽にはどう頑張ったって、太刀打ちできない。
もういっそ、諦めてしまった方が楽なのだろうか。
それにしても、ここまで俺に執着してくる存在がいたことに、いまだに信じられそうにない。
なにより、俺は桜坂さんのことを覚えていないわけで、過去にそれほど深いつながりがあったとは考えにくい。
結婚の約束をしていたみたいだが、それにしたって、桜坂さんの俺に対する思い入れは病気に近いものがある。子供の頃から、今に至るまで絶えず想いを育ててきたのだろう。
それは一途であると同時に、狂気であると感じた。
──ん?
あれ?
そうだ。
どうして俺は、こんな当たり前の疑問を抱いていなかったんだ?
桜坂さんは、俺ですら知らなかった雨宮さんの所在を、数日で特定するだけの情報収集力がある。
並外れた行動力を持ち合わせ、無遠慮にプライバシーを侵害する。
そんな彼女が、こと高校生活が折り返し地点に到着するまで、接触を図ってこなかった。
これはどう考えても、おかしい。
辻褄が合わない。
「……どうして、今になって俺の前に現れた?」
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