鮮血の魔女 8



 鮮血が瞼に飛び、垂れ流れた血液が涙のように頬を濡らす。

 人と同じく、赤く錆びた鉄を思わせる不快な臭いが鼻腔に入り込み、痺れていた脳が少しばかりの冷静さを取り戻すと同時――私の心に闇が襲う。


「く……うぅっ」


 ――鮮烈な恐怖と、夜の闇よりも暗く重い絶望。


 どちらとも、先程私が明確な悪意をもって与えた感情モノだった。

 

 怖い。恐ろしい。自分は本当に殺されてしまうのか。誰も助けてくれない。伝わる殺意。慈悲無き瞳。死ぬ。死ぬ。死ぬ。殺される。

 

 これは、子供の怪物が死の間際感じていた感覚だろう。

 私は全身に凍傷を負ったかのように、身体が恐怖に痺れ、全身の神経が戦慄わななき、冷や汗が身体中を濡らした。


「ハッ……! ハァッ……!」


「ミ、ミエル? 怪我でもしたのか?」


「触らないで………!」


 私の肩にルーグが触れてきたが、私は咄嗟にその手を振り払ってしまう。


 は、居なくなったからか、徐々に共感させられた恐怖は消え始めている。

 

 ――が、胸を刳り続ける絶望が、未だ消えない。

 絶望の源を殺さなければ。きっと、これは消えないんだ。


 スチールエイプ――怪物の親は、まだ生きている。先程の銃撃が効いてあいつが倒れている訳ではないのは、分かっている。

 憎悪と嫉妬に駆られた私は、無意識に自らの異能である『精神干渉』を銃撃に込めたのだろう。

 あの時の私の絶望しろと願った強い悪意が、銃と共に異能の引き金を引いたのだ。


 私は、絶望と恐怖に震える身体を起こし、倒れ気絶しているスチールエイプへと歩み寄る。


「そいつはもう……死んでるんじゃないのか?」


 ルーグの声が耳を打つ。

 ――ルーグの声色は、少し震えていた。聞くまでもなく入って来るルーグの心からは、私への違和と恐怖を感じていた。

 ルーグが私へ恐怖を感じた事に、少しばかりの寂しさと、やっぱりこうなる時が来る気がしていたという諦観を覚えた。


「まだ、生きてる。いつ起きるかわからないから、今確実にとどめを刺すよ」


 振り返らずに、私はそう言った。

 今振り返れば、大量の感情でぐちゃぐちゃになった私はきっと、色々なものが壊れて崩れて、泣いてしまう。


 私は、最初にスチールエイプと戦闘した時にナイフを突き立てた喉元へと、直刀の鋒を向ける。

 磨かれた怜悧な直刀の刃が、反射した私の顔を映していた。


 ひどい顔だ。恐怖と絶望に染まった肌からは血の気が引き白を通り越して、蒼白く、まるで幽鬼の様だ。

 返り血を浴びた瞳からは、血の涙でも流したかのように、朱色あけいろの雫が線を引いていた。


 見るに耐えず、刃を怪物の喉へと突き入れる。


「ごぉッ……!」


 一瞬、怪物は苦悶の呻きをあげたが、私はそのまま直刀に体重を掛け、半ば倒れ込むようにして、一気に首の骨を断ち切る。

 噴き出した大量の鮮血が私を濡らした。


 最期に意識を取り戻した怪物から流入してきたものは、自らの死への更なる絶望では無く、我が子の安全を願う、儚くも温かな想い。


「……」


 虚無感と、少しばかりの苛立ちを感じながら、私は立ち上がり、直刀についた鮮血を振り払う。


 ふと、首を断った怪物を見下ろせば、死を迎えた怪物の頬に、涙が流れていた。


 ――怪物の瞳からは涙が流れ、私から流れるのは鮮血か。


 これでは、本当に怪物なのは私だ。


「ありがと。ルーグ」


「あ、あぁ」


 ルーグへと直刀を返そうと差し出した刹那、ぐらりと私の視界が回転した。

 全身の力が一気に抜け落ちたように、私はごとりと倒れ込む。

 緊張と集中の糸が切れた――というよりは、肉体と精神への過度な疲労と負荷に、限界を迎えたのだ。


「ミ、ミエル!?」


「ごめん……ちょっと、限界……かも」


 その言葉を最後に、私の意識は深く沈んでいった。



 


 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


 身体を揺すられる様な感覚を覚え、目を開けると、背中側から流れてくる景色と、夕焼けの鮮やかな光が目に入った。


「まぶし……」


 左手で光を遮るようにしたところで、激痛が走り、指が折れていた事を思い出した。


「お、起きたんだね。もうすぐで街に着くよ」


 背後のルーグが振り向いてそう言った。


 どうやら、気絶した私をバギーまで運び、荷台のベルトで固定した上で、帰路についていたらしい。


「うわっ!」

 

 ルーグから視界をもどせば、視界に入り込んできたものに驚愕した。

 置物のようにして座らせられていた私の開いた両脚の間には、怪物の首が乗せられていたのだ。


「あぁ、ゴメン。他に置くところが無くてさ」


 申し訳無さそうにルーグが謝ってくるが、確かにバギーの荷台に私を載せれば、ここ以外に置く所は無かっただろう。――だけど。


「顔、私の方に向けなくても良かったとは思うけどな」


「し、振動で回転したんじゃないかな」


 心が読めなかったとしても、言い訳と分かるルーグの口ぶりに、ほんの少し笑みが浮かんだ。

 しかし、次にルーグが思った事を感じ、胸が刺されるような感覚を覚えた。


「なぁ、ミエル。あのさ。その……なんか俺に隠してる事とかって、あったりする? あぁ、なんていうか、ミエルの言いたくない事なら、言わなくていいんだけどさ!」


 問うてくるルーグの内心にあったものは、当然、私の恋慕や家庭にまつわる事等では無い。

『ミエルは、もしかしてなにかの異能を持っているんじゃないか』

 ルーグの心の内にあったものは、これだ。

 隠してる事となれば、病気エンパスの事も含まれるだろう。――尤も、エンパスの事は、誰にも言うつもりもないし、話したくも無い。化物扱いされるのが目に見えるというのもあるが、心を読まれていると知ったら、確実にルーグとの関係は、今までと同じものではなくなり、壊れてしまうかもしれない。

 だが、異能の事なら、話してもいいかもしれない。そのくらいの信頼は、私もルーグにはあるのだし。

 

「……ルーグが聞きたいのは、異能の事だよね」 


 私の言葉に、ルーグは何故か申し訳なさそうに眉を下げた。だが、それ以上に興味の方が強いようだが。


「うん。さっき、大きい方のスチールエイプには、銃弾なんか通じていなかったのに、洞穴でミエルが撃った弾を食らった時は、睡眠状態になったのか気を失ったのかは分からないけど、とにかく意識が落ちていたようだったからさ」


「確かに私は、相手の精神に干渉する異能を持ってる。ただ、あまり積極的には使いたくないんだ」


 私の告白にルーグは、羨望と少しばかりの嫉妬を覚え、興奮に口を任せていた。


「精神に干渉って、とんでもない異能じゃないか! 人によっては異能者なんて言ったって、少しばかり相手の体温を下げるとか、髪の毛を操作するとか、殆ど役に立たないものもあるっていうのに凄いよ!

 でも、なんであまり使いたくないんだ? そんなすごい異能なら、国で召抱えたいと思うところだって少なくないと思うのに!」


「確かに、異能を純粋に力と見れば、そう思うかもしれないけど、私は異能の力を制御するのは苦手なんだ。だから、さっきみたいに制御が出来なくて倒れちゃった訳だし」


 本当は、相手に干渉したあとの感情や精神の影響をエンパスによって受け取ってしまうから、だが。


「制御かぁ、なるほど。そういうのもあるんだね……。でもいいな。ミエルは、俺に無いものを沢山持っていて」


 どこか、諦観を含ませたその言葉は、私に言っているのか、自分に向けた言葉なのか、よく分からなかった。


「ルーグだって、私に無いものを持ってるよ」


 私は素直にいつも思っている言葉を口に出す。ルーグの様な、英雄になりたいなどという大望は、私の中には到底ないものだ。


「でも、異能者は……いや、ミエルはきっと、特別な人間なんだよ」


 強い羨望がその呟きには込められていた。


 ルーグは特別になりたかったのかもしれないが、私は特別になんてなりたくなかった。

 私が私であるがゆえに、受ける苦しみも多いのだから。


「それでもルーグは……いつか、きっと誰よりも特別になれるよ」


 茶を濁すように、咄嗟に思いついた事が自分の口から飛び出していた。


「だって、ルーグは、英雄になるんでしょ」


 そう言いつつも、どこかなれる訳がないと思っている自分を殴りたい衝動に駆られるが、それを聞いたルーグは、自分の中の羨望と葛藤を沈めるようにして、「うん」とだけ、呟いた。


「その為にも、私も手伝うよ。ルーグには、感謝してるから」


 これは、私の本心だった。


「うん。ありがとう」


 ルーグは内側に生まれた小さな不安を、揉み消して私に感謝を述べた。


 それでも、ルーグは、怪物にトドメを刺したときの私への恐怖を拭いきれていなかった。


 ――きっとルーグの中には、赤い鮮血に濡れた私が未だに居るのだろう。

 蒼白い肌で、黒い感情をその瞳に乗せ血の涙を流した――あの鮮血の魔女の様な私が。



 


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


あとがき


今回で少女編が終わり、次回から青年編という感じになります。

ルーグの死亡を予想されていた方も居られましたが、ルーグも青年へと成長していきます笑

以前よりも、ミエルからルーグへの信頼は強くなりましたが、ルーグの中でのミエルへの感情は少し変化しているようです。

では、今後共宜しくお願いいたします。

  

 



 


  

 

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